元永

元永

[6] 元永は、日本の公年号の1つです。

元禾

[45] 元禾は、日本の私年号の1つと考えられていたものです。

[46] 近代の研究環境の限界のため、公年号元永が誤認されたものでした。

元号名

[64] 読みは、 「げんか」 とされます。 >>61

用例

日時事例

[5] >>80 の白黒写真は字形の細部がわかりにくいですが、「亢禾」 のように見えます。しかし図題は「元永二年」になっています。 同じ石碑と思われる >>83 の写真を見ると確かに「元永二年」 に見え、 >>82 もそう読んでいます。 亢和

研究史

[14] 板碑概説は、 >>11>>80 で初めて紹介されたもので、著者服部清五郎は未見であるとしています。 >>4 /389 つまり、本書の記述は >>9 の写真に基づく判断ということでしょう。

[15]元禾 (亨の當字) 二年十一月七)」 と説明しています。 >>4 /129

[23] この部分は版では 「元禾 (永の當字) 二年十一月七)」 と変更されています。 >>21 /126

[16] 元禾というは私年號は初めて見たもので、あるいは元亨かもしれないものの、 干支年がないので断定できないとしています。 >>4 /389

[22] この部分は版では元亨あるいは元永かもしれない、 と変更されています。 >>21 /347

[24] >>22 だとわかりにくいですが、 >>23 だとに強引に変更された痕跡が見えます。

[17] 板碑鎌倉時代のものだろうと推測されています。 >>4 /389

[25] 日本私年号の研究は、

と書いています。>>29 >>22 >>23 はこれを踏まえたものと思われます。

[18] の書籍は、 板碑で使われる私年号の例の1つとして元禾>>11 で使われており、 >>80 に掲載されていることを書いています。また、他の私年号と一括して、 板碑からみて足利期のものと思われるとしています。 >>3

[19] >>18 は内容の類似性より >>14 の大胆な要約のように思われます。

[38] 国史辞典 は、 >>11 >>80 >>14 を根拠に、 元禾鎌倉時代私年号としています。 >>39

[37] なお、これらは元禾>>80 にあると書いていますが、 >>80 にあるのは板碑の紹介文と写真だけであり、 しかも >>80 自体は「元永」と読んでいるのであり、私年号と初めて判断したのは >>4 のようです。

[40] 昭和時代日本歴史大辞典は、 鎌倉時代私年号としています。 >>39

[41] 昭和37年の日本史巡見の手引 (日本私年号の研究所引) は、 元禾室町時代私年号としています。 >>39

[47] 室町時代説の根拠は不明です。

[63] 角川日本史辞典私年号の表は、 元禾鎌倉時代私年号としています。 >>62 それを出典とする私年号の表は、 (げん) () 鎌倉時代私年号としています。 >>61


[20] 久保常晴の論文は >>4 を引いて紹介していますが、それ以上の情報がないとしています。 >>2

[50] 昭和39年の久保常晴の論文は、私年号の1つとして元禾を収録し、

としていました。 >>49

[57] 本編にはありますが、私年号異年号の一覧表からは省かれています。 それについての説明はありません。

[31] 昭和42年の日本私年号の研究は、余論私年号的諸資料の1つに元禾を収録し、

としています。 >>29

[36] 久保常晴字形そのものはと表現して問題ないものとし、 異体字の1つという解釈を取っているようです。


[43] 日本語ウィキペディアは、初期から掲載していましたが、 平成20年3月まで鎌倉時代説だったのが元永の誤認か、と変更され、 平成20年8月には完全に削除されました。 >>42 いずれの変更も理由は不明です。

[58] 平成時代Webページ私年号一覧表鎌倉時代私年号としています。 >>39

[44] 日本私年号の研究以後に作られた主要な表には元禾はあまり掲載されていないようです >>39 が、 皆無ではありません。 >>59

[60] >>58著者ウィキペディア 編集者が参照した何らかの資料にも掲載されていたのでしょう。

関連

元和

[7] https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00106199-00000005-0345.pdf?file_id=63452 #page=28

元永 (寛永か)

メモ