⿸厂友治

⿸厂友治

[1] 奈良県銘文集成, 土井実, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2995180/1/361 (要登録)

奈良市西ノ京町 薬師寺八幡宮 狛犬 裏墨書

⿸厂友治元年十二月七日乙酉日

    此日宮うつしをわします

(明朝体 作字されている)

丁未 治がつく元年は宝治、宝がこの字体にならない

天治 干支合わず

(丁未はどこから来た? 銘文誤脱か?)

(平安時代末に排列されている)

[3] 奈良県史 - Google ブックス, , https://books.google.co.jp/books?id=HFpMAQAAIAAJ&q=%22%E5%8F%A3%E6%B2%BB%22

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... 保延元年東大寺法華堂柱(一一三五) 7 保延四年法隆寺釈迦如来像 13 (一一三八)法隆寺納舍利塔 14 法隆寺輿舁面 80 保延六年大宇陀町大藏寺扁(一一四○ )額 81 永治元年春日大社镜(二四一)昭永治二年山王神社大日石仏 15 (一一四二) 3 康治元年薬師寺 ...

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狛犬自体は藤原時代の作である。右の銘文には、この日に宮うつしがあったと記している。紀年は一応「康治元年」(一一四二)と考えられ、異年号というよりむしろ異体文字と解した方がよいと思う。 t 正規に通用する元号以外に、別の異なった元号を表記した ...

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作の時代などを総合して一応「康治元年」(一一四二)とする。此日宮うつしをわします口治元年十二月七日乙酉日(康)仏師法師僧口口口宝]造進八幡宮像一対、高さ阿方は五二・二丼、彩色の州浜座の裏に墨書銘がある。狛犬は平安時代後期の作。 88 薬師寺八幡宮狛犬奈良市西ノ京町〇康治元年(一一四二)この石仏と銘文 ...

[2] 奈良県史: 金石文 - 奈良県史編集委員会 - Google ブックス, https://books.google.co.jp/books?id=4pcNAQAAMAAJ&q=%22%E5%8F%A3%E6%B2%BB%22

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... 年」う考え方もあるが、月日の干支が合わず、寛治という説も銘文中、紀年の口治は異体文字で記されていて、宝治とい此日宮うつしをわします III 治元年十一一月七日乙酉日(康)仏師!::::!法師僧 11:10 口宝前 0 造進八幡宮州浜座の裏に墨書銘がある。铂犬は平安時代後期の作。桧材寄木造、彩色像一対、高さ阿方は五一一.

[7] 日本国奈良県西京薬師寺休岡八幡宮木造狛犬台座裏墨書 「□□元年十二月七日>>6

[8] >>6 に写真がありますが、国立国会図書館デジタルコレクション (非公開) の白黒複写では銘文の判読は困難です。

[9] 12月7日乙酉となる年は、

です。 >>6

[14] 歳神丁[未]が□□元年の干支だとすると、 >>9 に該当年はありません。 >>6

[15] >>14私年号用例の多くは元年であることから田村吉永は□□を私年号と考えました。 >>6

[16] 田村吉永は、元号名を「私にはどうも読めない」としています。 >>6

[17] 日本美術史年表は康治元年奈良薬師寺休丘八幡宮狛犬としています。 >>6

[18] しかし康治元年は壬戌で、12月7日も乙酉ではありません。 >>6

[19] 丁[未]が丁丑の誤りだとすると応永4年が候補となります。 しかし歳神が干支年を記したものとは簡単に決し難いです。 田村吉永は今のところなんとも解し難いとしました。 >>6

[20] 田村吉永は□□が私年号であることには強い自信を持っていたようです。 しかし昭和47年のほぼ同内容の論文では□□は省かれています。 大和の私年号

[4]

寛治元(1087)年丁卯12月7日乙酉

天治元(1124)年甲辰12月7日庚戌

康治元(1142)年壬戌12月7日乙丑

宝治元(1247)年丁未12月7日丙戌

[5] 808_獅子(薬師寺) :: 東文研アーカイブデータベース, https://www.tobunken.go.jp/materials/nenki/120796.html

[21] 001-092_本文_4.indd - a1664843418761.pdf, , https://www.seijo.ac.jp/research/institution/publications/jtmo420000015oo6-att/a1664843418761.pdf#page=79