[86] 現在、パラオでは が、 米領北マリアナ諸島準州および米領グアムでは が、 ミクロネシア連邦では と が、 マーシャル諸島共和国では が標準時として使われています。
[343] 米領グアムと米領北マリアナ諸島潤州の標準時 は米国の連邦法により Chamorro standard time と呼ばれています。
[344] ChST と略されることがありますが、 現地で使われているか、広く通用するかは不明です。
[342] tzdata はグアムの時刻 を、法令成立の を境に以前は GST、 以後は ChST と呼んでいます >>339。 現地で使われているかは不明です。
[345] 日本では一般的にグアム時間、サイパン時間などと呼ばれています。
[96] tzdata はパラオから Pacific/Palau
,
ミクロネシア連邦から
Pacific/Chuuk
, Pacific/Pohnpei
, Pacific/Kosrae
,
マーシャル諸島共和国から
Pacific/Majuro
, Pacific/Kwajalein
,
米領グアムから Pacific/Guam
、
米領大鳥島から Pacific/Wake
を定義しています。
[29] tzdata は米領北マリアナ諸島準州の Pacific/Saipan
を
Pacific/Guam
の別名としています。
[88] カロリン諸島やマーシャル諸島には古くから原住民が住んでおり、 地方時を用いて暮らしていたと考えられます。 西洋世界との交流が無かった時代の日付はアジア日付ともアメリカ日付とも言えませんが、 経度によればアジア日付となります。
[116] tzdata は元の LMT を
Asia/Palau
を >>137、
Pacific/Chuuk
を 、
Pacific/Pohnpei
を 、
Pacific/Kosrae
を 、
Pacific/Majuro
を 、
Pacific/Kwajalein
を >>137
としています。 (後に一部変更 >>339)
[267] から 、 マゼラン艦隊は泥棒諸島 (グアム島) に滞在し、原住民と戦闘状態にありました。 南米から到来したマゼラン艦隊は、アメリカ日付を用いていました。
[89] スペイン領東インドはメキシコの管轄下で、 アメリカ日付の地方時が用いられたといわれています。
[30] tzdata は、元の LMT を
Pacific/Guam
は >>138、
Pacific/Saipan
は >>40、
Pacific/Chuuk
は >>339、
Pacific/Pohnpei
は (Kolonia) >>339、
Pacific/Kosrae
は >>339、
Pacific/Palau
は (Koror) >>339
としています。
[43] スペイン領フィリピンの総督 (governor-general) の
Narciso Claveria y Zaldua (ナルシソ・クラベリア、
在任期間 -) のの布告により、
の翌日がとされました。
これにより日付変更線はグアムの東側に移動しました。
[92] tzdata は
を境に
Pacific/Guam
は (Agana) >>138、
Pacific/Saipan
は >>40、
Pacific/Chuuk
は >>339、
Pacific/Kosrae
は >>339、
Pacific/Palau
は >>339
としています。
スペイン領フィリピンと同じと仮定したとしています。 >>138, >>339
[182] 大宮島の津波に関する2002年の論文 >>181 は、 の事象について 「2:49 P.M. local time」と報告されていると述べています。 両者が同じ時刻とするなら、 となります。 (誰が換算したのかは不明。)
[183] 同じく、 は「9:10 P.M. local time」 とあります >>181。 やはり です。
[229] Shanks (2003) は、 から、 PALAU と NORTHERN MARIANA ISLANDS は 、 MICRONESIA のうち Yap は 、 GUAM と MICRONESIA のうち Chuuk、Kapingamarangi Island、Nukuoro Island は 、 MICRONESIA のうち Kosrae、Mokil Island、Pingelap Island、その他 Pohnpae は 、 MARSHALL ISLANDS は (それ以前は LMT) としています >>228。
[25] tzdata の Pacific/Palau
は1901年を境に >>137、
Pacific/Chuuk
(ミクロネシア連邦) >>137 と
Pacific/Guam
(グアム) >>138
は1901年を境に 、
Pacific/Pohnpei
と Pacific/Kosrae
(ミクロネシア連邦) >>137、 Pacific/Majuro
と
Pacific/Kwajalein
(マーシャル諸島) >>137 は
1901年を境に としています。
[41] tzdata 附属データの Pacific/Saipan
は、
1901年を境に としています >>40。
[98] これらの切替日の根拠は不明です。 Shanks は他にも幾つかの地域で1901年開始としており、時期不明を表していると思われます。
[8] 1904年頃の米国海軍天文台の時差の表は、 独領の Bismarck Archipelago >>724, >>725, >>726, New Guinea >>724, >>725, >>726, Caroline and Mariana islands >>724, Carolines >>725, >>726, Mariane Islands >>725, >>726 について、 とすることが提案されている、 としていました。
[57] 1906年の日本の学術雑誌は、 1905年末の情報として、 独領のビスマルク諸島カイゼル、ウ井ルヘルム、ランド、カロリナ、マリアナは 、ただし未実施としていました >>2152。
[69] 大正3年の南洋群島へと進攻する日本海軍の文書では、 「当分ノ間特令ナケレハ」中央標準時 を用いること >>67、通信記録には中央標準時 を用いることが指示されています >>68。
[346]
tzdata は、
を境に
Pacific/Majuro
、
Pacific/Chuuk
、
Pacific/Pohnpei
、
Pacific/Kosrae
を としています。
>>339
戦況からの推測と思われます。
[64] の海軍ヤルート島無線電信所の日誌には、 「標準時東経百七十度」とあり >>63、 が使われていたようです。これはほぼヤルート島の経度です。
[66] の日誌には、 「百七十度標準時 二月九日正午前 中央標準時 二月九日正午以後」 とあります >>65。
[175] これらより、日本軍の作戦展開上は中央標準時を基本に用いたものの、 部隊によっては現地地方時により業務を行っており、 やがてそれが中央標準時に統一されていったものと思われます。 中央標準時への統一が軍内部の業務のみで行われたのか、 軍政下の現地住民への行政実務にも適用されたのかは定かではありません。
[22] 、南洋群島で3つの標準時が施行されました >>47, >>126。
名称 | 時差 | 地域 |
---|---|---|
[76] 南洋群島東部標準時 (初代) | ポナペ民政区、ヤルート民政区 | |
[77] 南洋群島中部標準時 | トラック民政区、サイパン民政区 | |
[78] 南洋群島西部標準時 | パラオ民政区、ヤップ民政区 |
[81] これは、臨南防法令第1號 (臨南防第10號標準時ニ関スル件所収) >>39 によって定められたものです。
[82] 厳密には「当隊標準時」ということですから海軍部隊内の標準時 (軍用時) なのですが、「当隊」は南洋群島占領地の軍政を担当していること、 海軍公報で海軍官房から「南洋群島占領地標準時」と称して周知していること >>39 から、この時期に既に事実上の地域標準時として運用されていたと解するのが妥当でしょう。
[83] また、既存法令の改廃への言及が皆無ですから、これより前に (軍部隊内部のみで作戦時に用いるのだけでなく、広く知らしめられた) 標準時は制定されていなかったと思われます。
[460] 「通信事務」では、南洋群島西部標準時 を使ったといいます >>39, >>461。これはすなわち中央標準時です。
[200] には標準時について英国から外交筋経由で照会があり、 この3つの標準時が回答されたようです >>199, >>215。
[347] tzdata は、
を境に
Pacific/Majuro
は 、
Pacific/Chuuk
は 、
Pacific/Pohnpei
は 、
Pacific/Kosrae
は
としています。
>>339
[269] 大正十二年軍艦明石南洋行動豫定表なる図には、 南洋群島の3つの標準時が時計として描かれていました >>268。
[274]
昭和7年の南洋庁の書籍には、
中央標準時の時刻に基づく南洋群島各地の気象観測結果が掲載されていました
>>273 27ページ他。
内地同様 (
[127] 、南洋群島の3つの標準時が施行されました。 南洋庁告示第42号により規定されたもので、 大正8年に制定されたものと同内容でした。 >>84。
[85] 大正8年の法令は臨時南洋群島防備隊のもので、これは1922年に南洋庁に民政業務を引き継ぎ解散しています。 実運用上は標準時はその後も変わらず用いられていたと思われますが、 法令上も存続していたのかは謎です。昭和8年南洋庁告示が特に既存法令の改廃に言及していませんから、 解散により失効していたとも思われます。 民政下の法令としては、この時初めて南洋群島の標準時が定められたということになります。
[124] 南洋庁告示第38号によって2つの標準時に改められ、 昭和13年/1938年1月1日に実施されました >>198, >>125, >>126。
名称 | 時差 | 地域 |
---|---|---|
[61] 南洋群島東部標準時 (2代目) | トラック支庁、ポナペ支庁、ヤルート支庁管下 | |
[62] 南洋群島西部標準時 | パラオ支庁、ヤップ支庁、サイパン支庁管下 |
[56] 当時の政府内文書は、内地および南洋群島内各地域の関係が密接になって時差が不便であることを改正の理由に挙げています。
また、台湾で用いられていた西部標準時の廃止にも言及しています。 >>55
当時の台湾や関東州での標準時改正の動きが南洋群島にも波及したと考えられます。
[79] 昭和8年南洋庁告示は、これにより廃止されました >>125, >>126。
[348]
tzdata の
Pacific/Majuro
、
Pacific/Kwajalein
、
Pacific/Pohnpei
、
Pacific/Kosrae
は、
1937年を境に
としています。
>>339
[381] 南洋群島 4(7), 南洋群島文化協會, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2275541/1/66 (要登録)
[456] 、昭和16年南洋庁告示第11号により、 南洋群島標準時 に標準時が統一されました >>457。
[80] 昭和12年南洋庁告示は、これにより廃止されました >>457。
[349]
tzdata の
Pacific/Majuro
、
Pacific/Kwajalein
、
Pacific/Chuuk
、
Pacific/Pohnpei
、
Pacific/Kosrae
は、
を境に
としています。
>>339
[50] 刊行南洋群島水路誌には、 次のようにあります >>49。
[210] 過去の南洋群島の標準時に関して触れた Webサイトなどでは、 当初の3区制時代のことのみを扱っているものが多いです。 その後の2区制時代までのみしか扱っていないものもあります。 最終的に中央標準時に統一されるまでの過程を正しく記述していることはほとんどありません。
[355] tzdata でも南洋群島時代の情報はまったく欠落していましたが、 2018年の改訂で本ウィキの情報を参考に修正されました >>339。
[366] 昭和時代、 内地では夏時刻実施が検討されました。 内地で実施されていれば南洋群島もそれに合わせて実施された可能性がありますが、 結局未実施に終わりました。
官房第五四二號
大正八年二月二十日
海軍省副官 小林躋造
各廳長殿
南洋群島占領地標準時ニ關スル件
本件ニ關シ左記ノ通報告有之候條御了知相成度
右通知ス
記
臨南防第一〇號
大正八年一月七日
臨時南洋群島防衛隊司令官 永田泰次郎
海軍大臣加藤友三郎殿
標準時ニ関スル件
當隊標準時ニ關シ別紙ノ通定メ候
右報告ス
臨南防法令第一號
當隊標準時ニ關シ左ノ通定ム
一、東經百三十五度ノ子午線ノ時 (帝國標準時ニ同シ) ヲ以テ「パラオ」及「ヤツプ」 民政區ノ標準時ト定メ之ヲ南洋群島西部標準時ト稱ス
二、東經百三五十度ノ子午線ノ時 (帝國標準時ヨリ一時間進ム) ヲ以テ「トラツク」及「サイパン」 民政區ノ標準時ト定メ之ヲ南洋群島中部標準時ト稱ス
三、東經百六十五度ノ子午線ノ時 (帝國標準時ヨリ二時間進ム) ヲ以テ「ポナペ」及「ヤルート」 民政區ノ標準時ト定メ之ヲ南洋群島東部標準時ト稱ス
四、通信事務ニ關スル時辰ハ南洋群島西部標準時ヲ使用ス
五、本令ハ大正八年二月一日ヨリ施行ス
大正八年一月六日
臨時南洋群島防衛隊司令官 永田泰次郎
南洋廳告示第四十二號
南洋群島標準時ニ關シ左ノ通定メ昭和九年一月一日ヨリ之ヲ施行ス
昭和八年十二月二十八日
南洋廳長官 林 壽夫
一 東經百三十五度ノ子午線ノ時ヲ以テパラオ及ヤツプ支廳管轄區域ノ標準時ト定メ之ヲ南洋群島西部標準時ト稱ス
二 東經百五十度ノ子午線ノ時ヲ以テサイパン及トラツク支廳管轄區域ノ標準時ト定メ之ヲ南洋群島中部標準時ト稱ス
三 東經百六十五度ノ子午線ノ時ヲ以テポナペ及ヤルート支廳管轄區域ノ標準時ト定メ之ヲ南洋群島東部標準時ト稱ス
南洋廳告示第十一號
南洋群島標準時左ノ通定メ昭和十六年四月一日ヨリ之ヲ實施ス
昭和十二年南洋廳告示第三十八號ハ之ヲ廢止ス
昭和十六年三月十日
南洋廳長官 近藤 駿介
東經百三十五度ノ子午線ノ時ヲ以テ 南洋群島ニ於ケル標準時トス
[297] マーシャル諸島のクェゼリンやマジュロの戦闘に関する Wikipedia
の日本語版 >>295 と英語版 >>296 の記事をみると、
内容が異なるので比較は難しいですが、
全般的に日本語が1日進んでいるようです。
両者の出典とする日米の戦史が異なる時刻を用いているためと思われます。
当時も現地で戦史と同じ時刻を用いていたのだとすると、
米軍はこの地域でアメリカ日付を用いたということになります。
[299]
グアム島、サイパン島などマリアナ諸島や、
日本列島各地を含む領域での作戦では、米軍は
を使っていました。
[300] 旧南洋群島および周辺諸島は、停戦まで日本支配地域と米国支配地域が混在する状況となりました。 停戦後、米軍は諸島を順次統治下に収めていきました。 それに伴い時刻も米軍のものに置き換えられていったと思われます。 ただし、グアムやサイパンを含めいくつかの島では、 停戦後何十年も残留日本兵が生存していました。 そこでは中央標準時 が使われ続けていたかもしれません。
[350]
tzdata の Pacific/Majuro
は、
を境に
としています。
>>339
戦況からの推測と思われます。
[113] 米軍はマーシャル諸島のクェゼリン島を基地としました。 マーシャル諸島共和国として独立した現在も、 全域が米軍基地となっています。どの時期からかは不明ですが、 遅くても1950年代 >>111 から1960年代 >>281 には、アメリカ日付である を使っていたようです。
[28]
tzdata の
Pacific/Kwajalein
は、
を境に
としています >>339。
更に
を境に
としています >>137。
その根拠は不明です (>>33)。
[60] tzdata は、を境に
Pacific/Chuuk
は 、
Pacific/Pohnpei
は 、
Pacific/Kosrae
は
としています。
>>339
戦況からの推測と思われます。
[107] の日本軍の文書には、 「カロリン、ウエーキ時間ハ重慶時間ト三時間ノ差アリ」 >>470 とあります。重慶時間が中華民国重慶国民政府の冬時間 だったとすれば、 カロリン諸島とウェーク島 (に加え、おそらくその間にあるマーシャル諸島とカロリン諸島北側にあるマリアナ諸島) は ということになります。
[166] 1950年の米国政府の時差の表では、 パラオ、カロリン諸島、大宮島、マリアナ諸島は 、 マーシャル諸島、大鳥島は となっていました >>165。
[168] の世界の標準時の表では、 カロリン諸島は東経160度以東 、 以西 、 Truk と Ponape が 、 マリアナ諸島と大宮島は 、 マーシャル諸島は 、 Nanyo Gunto は となっています >>167。
[179] 1950年代の米国政府の地図に基づき描かれたのではないかと推測される時期不明の地図では、 カロリン諸島西部が 、マリアナ諸島・大宮島 (・小笠原諸島・南鳥島) が 、カロリン諸島東部 (コスラエ含む。) が 、マーシャル諸島が で塗られているように見えます >>178。
[223] 1966年の米国の書籍 Time Changes (米国版) は、 MARIANA ISLANDS を 、 MARSHALL ISLANDS と GUAM を 、 WAKE ISLAND を としていました >>220。
[224] CAROLINE ISLANDS について元は だったところ近年 Eastern Carolines が 、 Western Carolines が と変更された >>220 としていました。
[310] カロリン諸島のうちパラオが米国統治当初 だったのがこの頃 に変更されたとすれば、他の多くの情報と整合しますが、 どうでしょう。
[142] の時刻表によると、 パラオは 、北マリアナ諸島とヤップ・トラックは 、 グアムとポナペは 、Majuro は 、Kwajalein は でした >>141。
[401] >>397 /96 May 16, 1968 の航空時刻表 各島の地方時記載あり
[230] Shanks (2003) は、 から、 NORTHERN MARIANA ISLANDS を 、 MICRONESIA のうち Yap を 、 MICRONESIA のうち Kosrae、Mokil Island、Pingelap Island を 、 MARSHALL ISLANDS のうち Kwajalein Island のみ 、 MARSHALL ISLANDS のそれ以外の地域 (Eniwetok Island を含む。) を としています >>228。
[26] tzdata の Pacific/Kosrae
は
を境に としています >>137。
[27] tzdata はを境に Pacific/Majuro
を
としています >>137。
Pacific/Kwajalein
は
としています >>137。
[36] tzdata 附属データの Pacific/Saipan
は、
1969年10月を境に としています >>40。
[162] 1968年の米国政府の地図に基づくという 1972年に日本で発行された地図では、 南洋群島は , , , で塗られています。 Kosrae は に属しているように見えます。 Kwajalein は と描いているように見えます。 大鳥島は に塗られています。 >>549
[202] 1970年代の航空機の時刻表には、次のようにあります。
[206] 同時期 (1977年) の路線図は、 次のような時間帯図になっています >>207。 同じ航空会社の表と図で矛盾しているようにみえますが...
[5] 米信託統治領太平洋諸島マリアナ諸島区の法典 (MIDC) は、 マリアナ諸島標準時 を標準時として定めると共に、 区行政官が夏時刻を実施できると定めていたようです。 >>13, >>14
[15] 実際に夏時刻が実施されたのかどうかは不明です。 地理的に近く政治的に関係も深いグアムでは、 1959年から 1977年まで断続的に夏時刻を実施していました (>>261)。 それに合わせて実施された可能性も考えられますが、 1968年 (>>142)、 1970年 (>>301) の情報はグアムのみで夏時刻としていました。
[314] 北マリアナ諸島はまで、
グアムの米国海軍の統治下にありました。
には米領太平洋諸島の首都がグアムから北マリアナ諸島のサイパンに移転しました。
その前の1959年の夏時刻は実施されたとすると、
MIDC に夏時刻の規定が存在することの説明がつきます。
1968年の日本返還までグアムの米国海軍の統治下の小笠原諸島で夏時刻が実施されたこと
(
[402] 南洋の島めぐり, 秋庭武美, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2977351/1/66 (要登録)
[403] >>402 、 サイパン政庁の指示でトラック島で夏時刻が実施された(と思ったら中止された)ときのどたばた。
[404] トラック島でも実施されていたということは、他の島嶼でも実施されていた可能性が高いだろう。
[4] 米信託統治領太平洋諸島全体の法典 (TTC) には標準時の規定は含まれていなかったようです。
[18] マリアナ諸島区以外の各区 (現パラオ、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島) の法令でも標準時と夏時刻が規定されていても良さそうなものですが、 現ミクロネシア連邦各区の法令集のマリアナ諸島標準時の規定に相当する部分には、 何の規定も含まれていません。
1942年2月1日、第8機動部隊はマーシャル諸島を攻撃した。その朝4時45分(1) までに、攻撃隊はロイ島(2) を爆撃する途上にあった。7時少し前にロイ島を視認。隊長は爆撃態勢に入るため、右梯形編隊を下令した。7時、攻撃隊は14,000フィートから降下を開始し、急降下中であった。
1)現地時間。米側は何処へ行っても現地時間を使用した。
2)日本側は「ルオット」と呼称した。
[3] 現在の米領北マリアナ諸島準州法典 (CMC) は、 マリアナ諸島標準時 を標準時と定めています >>13。また、夏時刻は実施しないと定めています >>14。
[16] この標準時の規定は、 MIDC が出典となっており >>13、 信託統治領時代の行政区の法令がそのまま継承されているようです。 夏時刻については、北マリアナ諸島がアメリカ合衆国の準州となって連邦法が一部適用されるようになった >>1 ため、夏時刻に関する連邦法の規定に従い元の条項は失効したと解釈された >>14 ようです。
[377] 保育界 (151)(253);1987年3月号, 日本保育協会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/11197194/1/9 (要登録)
[378]
[38] 2000年、北マリアナ諸島準州の標準時の規定が連邦法にも取り込まれました (>>253)。
[319] 北マリアナ諸島の時計は正確でないことが多いようです >>172, >>173。
TITLE 1:
GENERAL PROVISIONS
§ 501. Standard Time: Defined.
The standard time throughout the Commonwealth shall be the mean solar time of the one hundred fiftieth degree of longitude east from Greenwich (150°E). This time shall be known as Marianas Standard Time.
Source: MIDC § 1.20.010.
TITLE 1:
GENERAL PROVISIONS
§ 502. Exemption from Daylight Savings Time.
The Commonwealth of the Northern Mariana Islands is hereby exempted from the provisions of 15 U.S.C. § 260a. The entire Commonwealth shall observe the standard time set forth in 1 CMC § 501.
Source: See 15 U.S.C. § 260a.
Commission Comment: This section provides a legal basis for current practice.
MIDC § 1.20.020 authorized the former district administrator to provide for daylight savings time during dates specified in administrative directives. However, the federal Uniform Time Act (15 U.S.C. §§ 260 et seq.) provides that it supersedes inconsistent state laws; see 15 U.S.C. § 260a(b). Under the Uniform Time Act, “state” includes “any possession of the United States” (15 U.S.C. § 267), and, because that term is applicable to Guam (see 1 GCA § 1010), the act applies within the Commonwealth, as well.
※サイパンの空港の時計は信用できません。自分の時計で行動してください。
サイパンは、公共の場には時計をみかけることがあまりありません。あっても正確でない場合が多いので、必ず到着時には、時計を1時間進めることをお忘れなく。
サイパン・テニアン・ロタ情報:マリアナ政府観光局公式サイト - 知っておくと便利 (ANETT Inc.著, ) https://web.archive.org/web/20140818051828/japan.mymarianas.com/basic-info/useful/
時差は1時間。北マリアナ諸島の方が日本より1時間先行しています。日本の正午は、北マリアナ諸島の午後1時。
[235] Shanks (2003) は、 より、 MICRONESIA のうち Chuuk、Kapingamarangi Island、Nukuoro Island を としています >>228。
[31] tzdata の注釈は、 Shanks & Pottenger にチューク諸島 (ミクロネシア連邦) が から にに切り替えたとあるものの、 90年代時点で現に を使っている、として無視しています。
[236] 1977年の地図で TRUK IS. を としているものがあります (>>206) から、何らかの事実が歪んで伝わっている可能性はあります。
[44] Time Changes (世界版) の SOUTH SEA MANDATED TERRITORIES には、標準時が次のようにありました >>1256。
[97] 他の情報を矛盾しており、誤りと考えられます。 出典は不明ですが、何らかの古い時代の情報を反映している可能性もあります。 (SOUTH SEA MANDATED TERRITORIES すなわち南洋群島委任統治領となっているので、 日本統治時代の情報のようにも思えますが、完全に一致する時代はありません。
[164] 1992年に日本で発行された書籍の地図では、 Kosrae が で塗られています >>163。
[21] tzdata の Pacific/Kosrae
は、
1999年を境に としています >>137。
根拠として、1999年時点でのミクロネシア連邦政府の
Webサイトの記述を挙げています。
[153] Standard Time Zones of the World (CIA World Factbook 所収) は、 Kosrae を1985年版-2007年版で に、2008年版以降で に入れています >>154。
[318] 21世紀のミクロネシア連邦では、 連邦政府観光局の Webサイトによると、 ヤップとチュークは 、 ポンペイとコスラエは を使っています。 >>120, >>17
[317] ミクロネシア連邦の法典には北マリアナ諸島同様の条項は見当たらず、 どのように標準時が規定されているのか (いないのか) は不明です。
[128] 日本領南洋群島時代と比較すると、 ミクロネシア連邦のうち、旧ポナペ支庁管下は (初代南洋群島東部標準時と同じ)、旧トラック支庁管下は (旧南洋群島中部標準時および2代目南洋群島東部標準時と同じ)、 旧ヤップ支庁管下は (南洋群島時代より1時間早い) となっているようです >>17。
Time:
The FSM spans two time zones. Yap and Chuuk are 10 hours ahead of GMT; Pohnpei and Kosrae are GMT +11 hours.
ミクロネシア連邦政府観光局 -ヤップ、チューク、ポンペイ、コスラエ- () https://web.archive.org/web/20120310190655/www.visit-micronesia.fm/jp/guide/general.html
ミクロネシア連邦には2つの時間帯があります。
ヤップとチュークは標準時プラス10時間(日本時間プラス1時間)、ポンペイとコスラエは標準時プラス11時間(日本時間プラス2時間)です。
[134] マーシャル諸島共和国は現在 を用いています。
[37] マーシャル諸島共和国の法典には北マリアナ諸島同様の条項は見当たらず、 どのように標準時が規定されているのか (いないのか) は不明です。
[196] 1991年のマーシャル諸島の航空機の時刻表 >>195 では、 KWAJALEIN・MAJURO 間で所要時間約1時間で日付変更線を挟んでいるのであろう時刻が記載されています。
[157] 1992年の米国政府出版の地図は、 Kwajalein に加えて Enewetak も としています。 (他のマーシャル諸島とウェーク島は、 としています。) >>156 Enewetak には1944年に米軍が進攻し、 その後全島が米軍基地となっていましたが、 1970年代から民間人も住むようになったようです。 米軍基地では Kwajalein と同期間に を用いていたと思われます。 民間人も を用いていたのかは不明です。
[155] Standard Time Zones of the World (CIA World Factbook 所収) には、 Kwajalein はハワイと同じ日付だと注記がありました (ウェーク島など他の周囲の島にはありませんでした >>154。
[303] 当時の航空時刻表にも同様の注記がありました。
[217] 計算機ソフトウェアの時間帯の定義の中には、未だに Kwajalein と Enewetak を として掲載しているもの >>211, >>212, >>213, >>214, >>216 もあるようです。 この時代の情報がずっと残ってしまっているのでしょうか。
[35] Kwajalein は、 に土曜日を飛ばしてとなったようです >>111, >>291。 以後現在に至るまで を使っているようです >>109。 これはマーシャル諸島共和国政府からの要請により国内の時刻を統一したものです >>111。
[234] Shanks (2003) は Kwajalein Island について から としています >>220。
[233] tzdata の Pacific/Kwajalein
>>137 は、
を境に としていましたが、
誤りとしてに修正されました。
[121] tzdata の次週付けの注釈は木曜日から を飛ばして土曜日となったとしています >>137 が、当日の新聞報道 >>111 と異なりますから、誤りと思われます。
[286] クワジェリン米軍基地について、 2003年から 2006年にマーシャル諸島に滞在したとする人物の論文は、 当時も日付の違いがあったとしています。 基地労働者の居住するイバイ島 (同じ環礁内にあり米軍基地ではない最大の島) の市長のジョニー・レマリ (Johnny Lemari) (2003年就任、それ以前は市長代理) は、月曜日 (米軍基地では日曜日) をコミュニティの日とし、 島内の清掃を実施することにした、とされています。 >>152
[287] 2004年から 2006年にマーシャル諸島に滞在したとする人物の Webサイトでは、 イバイ島訪問時にクワジェリン米軍基地が1日遅れている >>151 としていました。
[322] 米軍の基地案内によると、 Kwajalein と Roi-Namur (同じ環礁内の米軍基地のある島) の work week は火曜日から土曜日です >>294, >>290, >>292, >>293。 つまり、 元々ハワイと同じアメリカ日付だったのが、 日付はアジア日付に変更して勤務する日はハワイと重なるままにした、 ということのようです。
[323] それを、古い時代の知識を持った現地人が誤解していたのか、 基地内を直接見たわけでない来訪者が誤解したのかわかりませんが、 基地内外で未だ24時間差が残っていると理解したのだと思われます。
Residents were going to bed Friday night and waking up Sunday morning because at midnight -- 8 A.M. Eastern daylight time on Saturday -- Kwajalein was jumping from one side of the international date line to the other.
The Marshall Islands, a group of about 100 islets of which Kwajalein is the largest, sit west of the international date line. But Kwajalein, which is about 300 miles west of the line, had synchronized its day of the week with the United States mainland, to the east, about 40 years ago when the United States Army established a missile test range here.
The Republic of the Marshall Islands requested the latest change so all its islets would be on the same side of the date line.
Kwajalein's workweek will shift to Tuesday through Saturday, the mainland's Monday through Friday. Church services will still be held on Sunday, which will seem like Saturday as it is the first weekend day off. Many people plan to use their Mondays to run errands like most mainlanders do on Saturdays.
Take the case of the Marshall Islands, a remote Pacific atoll to the west of the International Date Line. The largest island, Kwajalein, is a U.S. Army base with virtually no native inhabitants. At the height of its Cold War activity, Kwajalein adopted the same "day" as the continental United States, thereby propelling the island to the east of the Date Line and retarding it by 24 hours in relation to its neighboring islands.
But in 1993, the regional government reclaimed its prodigal son. The impact on the unfortunate Kwajaleinians was to erase the 21st of August from their calendars -- a Saturday. Bemused residents marked the event with a 2-mile, three-day "Run Around the Clock," starting just before midnight on Friday and ending a few minutes later on Sunday morning.
マーシャル諸島共和国のクワジェリン(クワジャリン)島は21時間遅れ。これなら帰宅して企画ページを制作しても間に合うかもしれない!
(マーシャル諸島共和国の中では、この島だけが21時間遅れで、ほかの島は日本より3時間早い。つまりこの島だけがほかの島よりまる1日時間が遅いのでした。クワジェリン島は全土が米軍基地だという特殊事情があるからでしょうか。詳しいことは知らないけれど)
早稲田大学リポジトリ (NetCommons著, ) https://waseda.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=3338&item_no=1&page_id=13&block_id=21 本文PDF 171ページ
クワジェリン米軍基地は、日付変更線の東に位置するハワイの米軍基地(時差 22 時間) との通信の関係で、マーシャル諸島より 24 時間遅れた時差で生活している。そのためイバ イ住民は、マーシャルの日付で火曜日から土曜日までクワジェリン米軍基地に働きに通っ ている(米軍基地内は月曜から金曜日)。そのため、イバイ島での月曜日は休日となるため、 現在のジョニー・レマリ市長より月曜日はコミュニティの日として島内の清掃を積極的に 実施する日に定めた。
イバイ(クワジェリン)は日付変更線のこっち(西)側にあるのですが、基地がハワイに連動しているので、曜日が一日違って動いています。
即ちマーシャルの土曜日がイバイ(基地)では金曜日、日曜日が土曜日と言う訳です。
スーパーマーケットでは日曜日(安息日)にはビールを売ってくれませんから、このシステムを知らないと仏教徒は大変なことになります。
Kwajalein is west of the international date line, making it one day ahead of Hawaii and the continental United States.
When its noon Sunday on Kwajalein, its 2 p.m. Saturday in Honolulu and 7 p.m. (EST) Saturday on the East Coast. The work week on Kwajalein and Roi-Namur is Tuesday through Saturday, to correspond to the work week in the states.
Sunday, the first day of the weekend, is the primary day for religious observances, and Monday, the second day of the weekend, is a day for shopping, recreation, yard work, and patio sales.
Kwajalein is west of the international date line, making it one day ahead of Hawaii and the continental United States. When it’s noon Sunday on Kwajalein, it’s 2:00 p.m. Saturday in Honolulu and 7:00 p.m. EST Saturday on the East Coast. The work week on Kwajalein and Roi-Namur is Tuesday through Saturday, to correspond to the work week in the States.
First off, our work week doesn’t change but it is Tuesday through Saturday here. Since we are nearly a day ahead of the United States (16 hours ahead of Eastern Time) and on the other side of the International Date Line, us starting the work week on Tuesday at least puts us sort of on the same 5-day Monday through Friday cycle as the States. Doing this, we’re only 2 hours different from our District Office in Hawaii.
This works pretty well for the Honolulu folks (mostly – many still think that when I work on Saturday I’m on overtime, which I am not) but we here on the island still have to keep track of the time difference. My boss in Hono says the meeting is on Friday at 9am, and I have to know that’s Kwaj Saturday at 7am. If he says he needs that spreadsheet updated by COB Wednesday, I know I have until COB Thursday. Microsoft Outlook automatically converts for us if there’s an official calendar invite, but… I still get confused. So even though we are a day ahead of everyone, we’re 2 hours behind Hono (but a day ahead) in our real/fake adjusted time warp. Understand the dilemma?
Kwajalein is west of the International Date Line, making it one day ahead of Hawaii and the continental United States. Officially, the time zone is MHT, or Marshall Islands Time, and is Coordinated Universal Time plus 12 hours. If it is 8 a.m. on Tuesday in Kwajalein, then it is 4 p.m. on Monday Eastern-Standard time in the U.S. during Daylight Saving Time.
The workweek on Kwajalein and Roi-Namur is Tuesday through Saturday, to correspond to the workweek in the United States. Sunday is the first day of the weekend, while Monday is a day for shopping, relaxing, recreation, yard work and patio sales.
Kwajalein atoll in the Marshall Islands District of the Trust Territory of the Pacific Islands (1947–1986) and its successor, the Marshall Islands, has been administered by the United States and used the Hawaiian date, so was east of the International Date Line. Kwajalein advanced to the west of the IDL by skipping 21 August 1993 to match the dates used by the rest of the Marshall Islands at the request of its government.[14] As a result of the shift, Kwajalein's work week was changed to Tuesday through Saturday to match the Hawaiian work week of Monday through Friday on the other side of the IDL (with a remaining difference of two hours due to the two time zones involved, UTC+12 and UTC-10).
CdoTmzEnewetak 39 Enewetak で使用されるタイム ゾーン 12:00
(GMT-12:00) Eniwetok, Kwajalein Dateline Standard Time N ZW12
> Eniwetok (until the 1990er years UTC−12h)
> Kwajalein (until the 1990 years UTC−12h)
Eniwetok, Kwajalein Date Line Time UTC -12:00
DTSTART;TZID="(GMT-12.00) Eniwetok/Kwajalein/Dateline Time":20120221T040000
#page=7
MHT Marshall Islands Time マーシャル諸島時間
[380] 出典も用例もなく、ただ略語の1つとして列挙されているだけ。
[130] パラオでは標準時 が使われています。 パラオ政府観光局の Webサイトにも明記されています >>133, >>115。
[316] パラオの法典には北マリアナ諸島同様の条項は見当たらず、 どのように標準時が規定されているのか (いないのか) は不明です。
[370]
、
米国政府は、
米西戦争で獲得した3地域の標準時を定めました。
グアム島はそれに含まれませんでした。理由は不明です。
[171] のガム島の地震の観測報告は、 米領比律賓の時刻を標準時 ( の「午前9時54分24秒」) で記述する一方、 米領大宮島の時刻は地方時 (「午前11時15分頃」) で記述しています >>170。 (地震波の伝播は即時ではないので、両者は同時刻ではありません。)
[360] 1904年頃の米国海軍天文台の時差の表は、 Guam では Guam standard time が使われるとし、 東経145度 (= ) すなわち >>724、 東経142.5度 (= ) すなわち >>725、 >>726 としていました。
[208] 1905年の米国政府の資料は、 グアム島では Guam standard time 東経145度 (= ) が使われるとしていました >>272。 (>>724 と同じものでしょうか。)
[58] 1906年の日本の学術雑誌の時差の表は、 米領グアムについて、東経145度で日本より1時間半早い >>2152 とあります。経度を信じれば ですし、時差を信じれば です。後者は誤りでしょうか。
[361] 東経145度 (= ) が とされており、 後の版で 東経142.5度に変更されていることから、 最初の経度が誤りだったと考えるのが妥当でしょう。 (東経145度はグアム島の東端をかすめており、 ほぼ地方時ではあります。 元々はそうだったのが改正された可能性はあります。)
[362] グアムは米軍の軍政下にありましたから、 米国海軍天文台の情報は信頼できると考えたいところですが、 これよりあとの時代に地方時 とする資料が見られることが気になります。 米国海軍天文台は近代的標準時推進の立場でしたから、 米国の海外領土にも標準時を設定したものの、 現地で実際に用いられるには至らなかった可能性もありましょうか。
[221] 1966年の米国の書籍は、 GUAM について 1912年に標準時が となり、 に標準時が となった >>220 としています。
[218] 1918年の雑誌記事は、ニュージーランドで30分の標準時変更で GMT と整数時差に改正されたことに関連付けて、グアムも地方時から標準時に移ることになろう >>219、と述べていました。現行の時差については明記されていませんが、 列挙されている他の地域は30分単位の時差があるものです。 もっとも英領インドなど現在まで30分の時差を保っている地域もありますから、 整数時差の時間帯を採用するだろうというのは筆者の希望的観測なのでしょう。
[147] 日本政府の情報では、 Guam I. について、 1920年-1921年は 、 1922年-1926年は 、 1927年-1933年は とされています >>148。 は (一度実施された標準時が廃止されたというのでなければ) の誤植でしょうか。 1926年と1927年の間に標準時が実施されたのでしょうか。
[177] の米国海軍の地図によると、 グアム島は北マリアナ諸島と同じ に属しています >>176。 グアム島は米軍当局の軍政下にあったのですから、 信頼しても良いものでしょうか。
[24] 他の南方占領地や周囲の日委任統治領南洋群島同様に、中央標準時
が実施されていた可能性が高いですが、不明です。
[227]
tzdata の Pacific/Guam
は、
を境に
としています。
戦況からの推測です。
>>339
[341] tzdata の Pacific/Guam
は、
を境に
としています。 >>339
[149] 1949年や1952年や1956年の航空機の時刻表には、グアムは とあります >>144。
[11] 承認のグアム公法第5-5号 AN ACT TO ADD SECTION 223 TO CHAPTER 3, TITLE I, GOVERNMENT CODE OF GUAM, RELATIVE TO ESTABLISHING A STANDARD TIME FOR GUAM AND PROVIDING FOR DAYLIGHT SAVING TIME FOR GUAM により、グアム政府法典が改正され、 グアム標準時 と グアム日光節約時 が定められました。両者の切り替えは執行官令で定める日のとされています。 >>10
[262] 1959年-1977年に、グアムでは1959年法 (>>11) に基づく執行官令によって夏時刻が実施されています (>>261)。
開始 | 時差 | 出典 |
---|---|---|
1959年6月27日2時 | グアム日光節約時 | >>248 |
1961年1月29日2時 | グアム標準時 | >>239 |
1967年9月1日2時 | グアム日光節約時 | >>241 |
1969年1月26日 12:01 AM | グアム標準時 | >>243 |
1969年6月22日2時 | グアム日光節約時 | >>246 |
1969年8月31日2時 | グアム標準時 | >>246 |
1970年4月26日2時 | グアム日光節約時 | >>247 |
1970年9月6日2時 | グアム標準時 | >>242 (10月25日2時予定 >>247) |
1971年4月2日2時 | グアム日光節約時 | >>238 |
1971年9月5日2時 | グアム標準時 | >>238 |
1973年12月16日2時 | グアム日光節約時 | >>237 |
1974年2月24日2時 | グアム標準時 | >>240 |
1976年5月26日2時 | グアム日光節約時 | >>245 |
1976年8月22日2時1分 | グアム標準時 | >>250 |
1977年4月24日2時 | グアム日光節約時 | >>244 |
1977年8月28日2時 | グアム標準時 | >>249 |
[340] tzdata の Pacific/Guam
は、
米領グアムの法令を出典に、
夏時刻を次の通りとしています。
>>339
[90] 米国政府文書でグアムの夏時刻を Guam daylight time と呼んだ例があります >>358。 tzdata はグアムの夏時刻を GDT と呼んでいますが、 tzdata 独自の略称です >>339。
[222] 1966年の米国の書籍は、 グアムでは日光節約時が未実施としていました >>220。
[256] 承認のグアム公法第9-58号 AN ACT TO EXEMPT GUAM FROM THE PROVISIONS OF SECTION 3(a) OF THE UNIFORM ACT OF 1966 は、アメリカ合衆国の Uniform Time Act of 1966 に従い夏時刻を実施しないこととし、 夏期も標準時を用いることと定めました >>255。
[301] に北マリアナ諸島とグアム島を訪れた日本の国会図書館研究員は、 グァム島ではからまで夏時刻が実施され、 米領太平洋諸島は標準時のままだった >>304 としていました。 (実際には終了が早まりました。)
[397] たのしい南洋群島 : 旅行する人々への手引き, 小菅輝雄, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3008736/1/20 (要登録)
[398] 著者は昭和38年と42年に南洋を訪ねた (どちらもグアム訪問したのか不明、しかしグアムは交通のハブなので2回とも経由した可能性が高い)。
当時の
南洋群島各島の移動で時計を直す描写もあり。
/46 クオジャレン島が「
[371] オール大衆 27(5), 経済通信社, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2246907/1/33 (要登録)
[372] 、日本とグアムの時差2時間。
[399] たのしい南洋群島 : 旅行する人々への手引き, 小菅輝雄, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3008736/1/35 (要登録)
著者を案内した「
[400] 42年とは昭和42年。日本時代に教育を受けたであろうこの米領太平洋諸島パラオの住民は、 日本語もそこそこ話せたのであろう。台詞がそのままなのか、 著者が整えたのかはわからない。著者が日本人読者向けに西暦から元号になおして書いたという可能性もなくはない。 ただこの書籍は適宜西暦年を使っているので、元号に統一しようという意図を持っていたわけではないから、 老コロール人が日本人向けに元号年で喋っていた可能性は十分にあるか。
[258] 1980年3月5日承認のグアム公法第15-104号 An Act to enact Title I of the Guam Code Annotated and to repeal all laws inconsistent therewith は、グアム法典注解に >>256 の変更を取り込んで改正しました。 これはグアムに適用される法令を集積して注釈を加えたもので、 標準時に関しては、連邦法に適切な時間帯が無いので独自の規定が必要なこと、 連邦法に基づく夏時刻を実施するか、しないかのいずれか (現行法では実施しない) であり、執行官令による夏時刻の実施は最早認められないと解されることが注記されています。 >>257
[315] 北マリアナ諸島の夏時刻実施については米領太平洋諸島の項 (>>5)、 小笠原諸島の夏時刻実施については小笠原の標準時を参照。
[373] 月刊社会党 (389), 日本社会党中央本部機関紙局, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1408616/1/36 (要登録)
グアムは日本と時差1時間、ベラウは日本と時差なし。
[253] 承認のアメリカ合衆国公法第106-564号 An act to establish a standard time zone for Guam and the Commonwealth of the Northern Mariana Islands, and for other purposes により、アメリカ合衆国の Act of March 19, 1918 (Calder Act) と Uniform Time Act of 1966 が一部改正され、 Chamorro standard time が追加されました >>12。
[254] これは現に制定されているグアムと北マリアナ諸島の標準時に関して連邦法としての法的根拠を与えるもののようです。
[327] Robert Anacletus Underwood は、米国議会下院におけるグアム代表として、 グアムと北マリアナ諸島の標準時に関する連邦法制化につとめました。 >>282, >>283
[328] Robert の高校時代の教え子でグアムの通信会社の John Day は、 グアムと北マリアナ諸島の時間帯に公式名称がないことを Robert に伝えました。 >>282
[329] また元グアム島民は 1999年、 グアムが米国の国内ニュースに露出する機会を逃していると Robertに指摘しました。 米国の夏時刻の切り替えの際には、 米領サモアが夏時刻を実施していないと名指しされていました。 >>282
[330] Robert とスタッフは時間帯の名称を検討し、 Chamorro Standard Time しかないとの結論に達しました。 Guam time zone では北マリアナ諸島が忘れられ、 Guam/Marianas time zone でも Marianas が落とされる可能性があり (Hawaii-Aleutian Island time zone は Hawaiian Standard Time と呼ばれている)、 Marianas time zone ではグアムが忘れられると考えました。 民族名である Chamorro を名称とすることについて、 カロリン人 (北マリアナ諸島の憲法ではチャモロ人と共に先住民とされています。) から Chamolinian とするべきと提案がありましたが、 Robert はグアムでは通用せず、 グアムと北マリアナ諸島を包括する語は Chamorro しかないと拒みました。 >>282
[332] 、 Robert は法案 HR 3756 を提出しました。 >>331, >>282 法案は可決され P.L. 106-564 となりました。 >>12, >>282
[334] Chamorro を名称にしたのは、 知事選挙のチャモロ人票を得るためだ、 と穿った見方をする人もいました。 実際にはチャモロ人の反対陣営から「議会で Chamorro standard time 以外何もしなかった」と批判するのに使われました。 Robert にとって Chamorro standard time は重点政策でなく、成立時に「Robert といえばこの法律、となるよ」 と言われたときにはピンときていませんでしたが、 実際そうなりました。 >>282
[260] 2015年12月版グアム法典注解の標準時の規定 >>259 は、 1980年版 (>>258) から基本的に変わっていないようです。
For Tutuila, Samoa, Samoan standard time, longitude 1721° west. For the island of Guam, Guam standard time, longitude 145° east. For the Philippine Islands, Philippine standard time, longitude 120° east. For Porto Rico, Atlantic standard
一九七〇年五月十九日の正午に、私は那覇国際空港発の エア・マイクロネシアのボーイング七二七型機で、 サイパン島に向けて離陸した。
予定どおり二時間五十分の飛行でサイパン島に着陸した
沖縄とサイパン島の間には一時間の時差がある。 サイパン島に着陸したのは現地時間で十五時五十分、 平屋建てのホテルに着いたときは、もう十七時に近いころであった。 熱帯の太陽はまだ真昼と同じ明るさであったが、
五月二十一日
サイパンを離陸して三十分ほどでロタ島に着陸した。 二十分ほどの間、乗客たちはゾロゾロと空港ビル(小舎)へ降りる。
機内に戻り、離陸して四十分ほどでグァム島に着陸した。 サイパンは信託統治領であるから、ここでは入国手続も必要だし税関もある。
グァム島では四月二十六日から十月二十五日までの半年間、 いわゆる「夏時間」 Daylight saving time が適用されている。 信託統治領にはその適用がないため、 サイパンとグァムの間で今は一時間の時差がある。 そのため、グァムに着いたのは現地時間では十一時四十分ころであった。
p. 19
0330 Guam daylight time, June 6, 1976.
東京との時差は一時間だが、サマ— .タイムでもう一時間早いのだという。グアムは、 サイパンへの直航便がないので、中継地として寄ったので、私には何の計画も予備知識 もなく、名古屋の方で立てた観光プランのままに動いた。
[326] 何年のことか不明。1977年の記事 >>278 があるのでその頃か。
河出書房新社, 1977-10
サイパンの旅 / 本多秋五 / p186~204 (0097.jp2)<1786278>
The Mariana Islands were not part of any time zone legislated by the U.S. Congress until the Chamorro time zone was established by Public Law 106-564 on December 23, 2000. Prior to 2000, Guam's standard time was based on territorial Public Law 5-25 (1959) which designated the time Guam Standard Time. The law (Guam Code Annotated, Title 1, Section 1010) was established long before the Northern Mariana Islands came under U.S. sovereignty in 1986, and still remains in the book today despite federal overlap.
Robert Anacletus Underwood, a former member of the US Congress, was the president of the University of Guam from 2008 until July 2018.
Underwood served as the Guam Delegate to the US Congress in the 103rd through 107th Congresses from 1993 to 2003 during which he sponsored major legislation for Guam, played an active role in US Department of Defense authorization bills and was an advocate for political development for insular areas and the extension of educational and social opportunities for Asian Americans and Pacific Islanders. During his tenure in congress, he became a senior member of both the House Armed Services and Resources committees. He emphasized the importance of Guam and the Asian Pacific region in national strategic policy and worked to enhance the benefits of military personnel, especially those in guard and reserve units.
He brought recognition to Guam’s unique people by lifting the ban on betel nut (pugua) importation into the US Customs Zone, inclusion in the National World War II Memorial, the creation of Chamorro Standard Time (CST) and participation in national commemorative events.
[117] tzdata の Pacific/Wake
は、元の地方時を
としています >>118。
[270] 同じ頃日本人が移住していましたが、日本政府は米国の領有を承認しました。 日本の領土となったことはなく、内地から遠く離れた孤島ですから、 現地日本人も中央標準時を用いていたとは考えにくいです。 地方時を用いていたのでしょうか。 しかし間もなく離島させられ、 定住者のいない無人島に戻りました。
[231] Shanks (2003) は、から (それ以前は LMT) としています >>228。
[119] tzdata の Pacific/Wake
は、1901年を境に
としています >>118。
[320] の米国の航空会社の時刻表には、 WAKE ISLAND は 、 GUAM ISLAND は とありました >>284。
[104] 元々民間人がおらず米軍基地しかなかった大鳥島は、この時期日本軍のみが駐留しており、 軍用時である中央標準時 が用いられたと考えられます。 住民がいないので軍政府の布告のような形で明確に標準時が制定・改正された可能性は低いですが、 島で唯一共通に用いられた時刻が中央標準時だったのなら、 これが当時の大鳥島の事実上の標準時といえるでしょう。
[48] の日本軍の文書には、 「カロリン、ウエーキ時間ハ重慶時間ト三時間ノ差アリ」 >>470 とあります。重慶時間が国民政府の冬時間 だったとすれば、 カロリン諸島とウェーク島は ということになります。
[354] tzdata は不確実だとして採用していません。 >>339
[321] の米国の航空会社の時刻表には、 WAKE ISLAND は 、 GUAM ISLAND は とありました >>285。
[129] 朝鮮戦争中の記事に関する 1971年の回想録では、 ウェーク島が米国側からみて日付変更線を超えたところにあること、 2時間の夏時刻が実施されていたことが注釈されています >>123。
[271] 太平洋を横断する航空路が発達した20世紀中盤には、 大鳥島は航空機が飛び石状に寄港する島の1つとして使われました。
[143] 1949年や1952年や1956年や1969年の航空機の時刻表には、大鳥島は とあります >>144。
[140] 1954年の日本航空の時刻表は、経由地の大鳥島とホノルルの間に日付変更線を描いています >>139。
[180] 1950年代の米国政府の地図に基づき描かれたのではないかと推測される時期不明の地図では、 大鳥島は と注記されているようにも見えます (潰れていて判読が難しいです)。 >>178
[382] アメリカの旅, 丹羽保次郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2976011/1/4 (要登録)
詳細な旅程が記録されています。
[225] 1966年の米国の書籍は、 WAKE ISLAND の標準時を としています >>220。
[46] 米領大鳥島では、現在も が使われていると思われます。 2016年現在、2011年付けの米軍の Webサイトにその旨の記載があります >>108, >>109。
[160] 2011年付けの (他の地域の) 米軍資料では米領大鳥島は とされています >>159 が、その事情は不明です。
The Wake Island Time Zone observes standard time by adding twelve hours to Coordinated Universal Time (UTC+12).
[2]
[185] Remove many invented abbrs in 'africa', 'backzone' (eggert著, ) https://github.com/eggert/tz/commit/87f960b0458754d83a15ab7f444e9ce1a2e5d168
[186] Remove many invented abbreviations in 'australasia' (eggert著, ) https://github.com/eggert/tz/commit/a25d615495c57081297939b4befe6f9b6bf438ea
時刻に関する記述を抜粋:
平成13年
8月8日(水)
午前8時過ぎ、やはりコンチネンタルミクロネシア航空のCS957便で、マーシャル諸島のマジュロに向けて出発する。この便は、グアム発、トラック島、ポナペ島、コスラエ島、クワジャレイン島、マジュロ島経由ホノルル行きである。途中の島に一つ一つ寄って行くのが面白い。
午前10時、最初の経由地トラック島に到着。
トラック島でしばらく止まって、それからポナペ島に向けて離陸。約一時間でポナペ島に到着。時差があるので、午後1時到着。
ポナペにまた1時間ほど止まった後、ポナペを離陸して、今度はコスラエ島に向かう。これも約1時間。午後3時に到着。
トラック島、ポナペ島に続いて、コスラエ島に着陸。
午後4時、今度はクワジャレイン島に向けて再度離陸。またまた約1時間でクワジャレイン島に着いた。再び時差があるので、午後6時到着。
クワジャレイン島を午後7時に離陸、1時間の飛行で、やっと目的地のマジュロ島に到着した。午後8時の到着。出発したのがグアム時間の午前8時で、グアムとマジュロで2時間の時差があるから、10時間かかったことになる。
[188] つまり:
この地区の時差は小刻みでわかりにくいので、自分の為にも整理してみました。
Tokyo :JST
Guam, Thuuk :JST+1H
Pohnpei, Kosrae :JST+2H
Kwajalein, Majuro :JST+3H
[190] >>189 はページ内に年号がないが、他のページの記述からおそらく2004年。
クワジェリンを発って次の寄港地は美女の眠る山のあるコスラエ。時差マイナス1。
ポナペ 日本時間 +2時間 日本が正午の場合、14時
トラック 日本時間 +1時間 日本が正午の場合、13時
コスラエ 日本時間 +3時間 日本が正午の場合、15時
ヤップ 日本時間 +1時間 日本が正午の場合、13時
パラオ 日本時間 +0時間 日本が正午の場合、同じ正午
グアム発0820→チューク(トラック)着1000
チューク発1045→ポンペイ着1258(時差+1時間)
ポンペイ発1345→コスラエ着1446
コスラエ発1530→クワジャレイン着1736(時差+1時間)
クワジャレイン発1815→マジュロ着1908
マジュロは日本との時差が3時間。マジュロの12時には日本はまだ9時ということになる。
Time Zone Abbreviation Zone Description Relative UTC
KOST Kosrae Time UTC+12
[265] Air Nauru () http://www.timetableimages.com/ttimages/on.htm
[266] Trust Territory Air Service () http://www.timetableimages.com/ttimages/trust66.htm
出撃時刻や飛行時間は戦争標準
時で管理されたが、それは「日時分」の六桁の数字の最後に「Z」の文字
を付したグリニッジ標準時および数字の最後に「K」の文字を付したマリ
アナ時によっていた(20)
(19) 奥村喜重『中小都市空襲』三省堂、一九八八年、一〇三頁。
(20) Z 時に一〇時間加えると K 時となり、K 時から一時間引くと日本時となる。
同前『中小都市空襲』三省堂、一九八八年、一一八〜一二〇頁。
米軍はウルシーで、現地時刻ではなく、日本時刻を採用していたことも小灘さんは突き止めた。この点については、アメリカのウィスコンシン州のプラットビルに住む回天研究家マイク・メアさんから筆者に送られてきた戦闘詳報添付図の欄外にその記述が出ていることでも裏付けられた。
余談だがマイク・メアさんは、父君がミシシネワの乗組員(無事救助)だったため、カイテンオタクといってもよいほど回天に入れ込み、研究している人物である。
筆者も在日米海軍司令部を通じ、名著「深く静かに潜航せよ」のエドワード・L・ビーチ氏に問い合わせたところ、ビーチ氏も日本近海で戦った経験から、日本時刻を採用していたことを認めた。
米海軍は地球規模で作戦を展開していたため、どの時間帯を使うかは、そのつどきめていた。長い間、現地時刻と信じて日本時刻との時差(四十分)をつづってきた戦記は、誤りだったのである。
[337] New Guinea And The Marianas : Samuel_eliot_morison : Free Download, Borrow, and Streaming : Internet Archive () https://archive.org/details/in.ernet.dli.2015.101104/page/n9
(Operation “Forager”)
East Longitude dates except for events in Europe, the United States and Hawaii, “King” Time (Zone minus 10).
On 22 March (West Longitude date) . On the third day out, 25
March, at 1332,6
6 East Longitude date, Zone minus 11 time. The force skipped 24 March, and
the rest of the operation is in this time.
At 0600 May 17, by Zone minus 10 time, it was still dark.
CINCPOA PRESS RELEASE NO. 252, 4 SEPTEMBER 1945
The American flag was raised at 3 o'clock this after- noon, Guamtime. Under the over-all command of Marine Major General Henry L Larsen, Island Commander Guam, Rota thus became American territory for the first time in history.
However, daylight saving time is not observed in Hawaii, American Samoa, Guam, Puerto Rico, the Virgin Islands, and most of Arizona.
[364] Robert の努力にも関わらず言及されない北マリアナ諸島準州。。。
[365] () https://www.transportation.gov/sites/dot.dev/files/docs/GU%20NM%20Chamorro%20Est.pdf
Previous editions of this guideline required upper-case letters, but the Congressman who introduced Chamorro Standard Time preferred "ChST", so lower-case letters are now allowed.
パラオの民族学といえば、昭和4年(1929年)から15年間にわたって島民と生活を共にしながら、パラオの民族・文化を調査・研究された土方久功(ひじかたひさかつ)氏が何と言ってもその第一人者でしょう。
この土方氏の著作集第一巻「パラオの社会と生活」によると、パラオの暦はおよそ次のようです。
パラオ語にあっては、「年」をラックと呼び、「月」をブイルと呼ぶが、ラックは六ヶ月から成って居り、この云わばラック半年が二度めぐって完全な一年をなすのであって、前半年は丁度東風季節に当たるのでホゴス(東)と呼ばれ、後半年は西風期にあたるのでゲバルヅ(西)と呼ばれる。
一月、 ツムル
二月、 マダラップ
三月、 ヘリヅ
四月、 タオフ
五月、 オルゴードル
六月、 ヘイヤフ
[369] [mixi]パラオ暦の文の意味を教えてください。 - パラオ語 | mixiコミュニティ () https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=3583531&id=34016383
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