[86] 現在、パラオでは が、 米領北マリアナ諸島準州および米領グアムでは が、 ミクロネシア連邦では と が、 マーシャル諸島共和国では が標準時として使われています。
[343] 米領グアムと米領北マリアナ諸島潤州の標準時 は米国の連邦法により Chamorro standard time と呼ばれています。
[344] ChST と略されることがありますが、 現地で使われているか、広く通用するかは不明です。
[342] tzdata はグアムの時刻 を、法令成立の を境に以前は GST、 以後は ChST と呼んでいます >>339。 現地で使われているかは不明です。
[345] 日本では一般的にグアム時間、サイパン時間などと呼ばれています。
[96] tzdata はパラオから Pacific/Palau
,
ミクロネシア連邦から
Pacific/Chuuk
, Pacific/Pohnpei
, Pacific/Kosrae
,
マーシャル諸島共和国から
Pacific/Majuro
, Pacific/Kwajalein
,
米領グアムから Pacific/Guam
、
米領大鳥島から Pacific/Wake
を定義しています。
[29] tzdata は米領北マリアナ諸島準州の Pacific/Saipan
を
Pacific/Guam
の別名としています。
[88] カロリン諸島やマーシャル諸島には古くから原住民が住んでおり、 地方時を用いて暮らしていたと考えられます。 西洋世界との交流が無かった時代の日付はアジア日付ともアメリカ日付とも言えませんが、 経度によればアジア日付となります。
[116] tzdata は元の LMT を
Asia/Palau
を >>137、
Pacific/Chuuk
を 、
Pacific/Pohnpei
を 、
Pacific/Kosrae
を 、
Pacific/Majuro
を 、
Pacific/Kwajalein
を >>137
としています。 (後に一部変更 >>339)
[267] から 、 マゼラン艦隊は泥棒諸島 (グアム島) に滞在し、原住民と戦闘状態にありました。 南米から到来したマゼラン艦隊は、アメリカ日付を用いていました。
[89] スペイン領東インドはメキシコの管轄下で、 アメリカ日付の地方時が用いられたといわれています。
[30] tzdata は、元の LMT を
Pacific/Guam
は >>138、
Pacific/Saipan
は >>40、
Pacific/Chuuk
は >>339、
Pacific/Pohnpei
は (Kolonia) >>339、
Pacific/Kosrae
は >>339、
Pacific/Palau
は (Koror) >>339
としています。
[43] スペイン領フィリピンの総督 (governor-general) の
Narciso Claveria y Zaldua (ナルシソ・クラベリア、
在任期間 -) のの布告により、
の翌日がとされました。
これにより日付変更線はグアムの東側に移動しました。
[92] tzdata は
を境に
Pacific/Guam
は (Agana) >>138、
Pacific/Saipan
は >>40、
Pacific/Chuuk
は >>339、
Pacific/Kosrae
は >>339、
Pacific/Palau
は >>339
としています。
スペイン領フィリピンと同じと仮定したとしています。 >>138, >>339
[182] 大宮島の津波に関する2002年の論文 >>181 は、 の事象について 「2:49 P.M. local time」と報告されていると述べています。 両者が同じ時刻とするなら、 となります。 (誰が換算したのかは不明。)
[183] 同じく、 は「9:10 P.M. local time」 とあります >>181。 やはり です。
[229] Shanks (2003) は、 から、 PALAU と NORTHERN MARIANA ISLANDS は 、 MICRONESIA のうち Yap は 、 GUAM と MICRONESIA のうち Chuuk、Kapingamarangi Island、Nukuoro Island は 、 MICRONESIA のうち Kosrae、Mokil Island、Pingelap Island、その他 Pohnpae は 、 MARSHALL ISLANDS は (それ以前は LMT) としています >>228。
[25] tzdata の Pacific/Palau
は1901年を境に >>137、
Pacific/Chuuk
(ミクロネシア連邦) >>137 と
Pacific/Guam
(グアム) >>138
は1901年を境に 、
Pacific/Pohnpei
と Pacific/Kosrae
(ミクロネシア連邦) >>137、 Pacific/Majuro
と
Pacific/Kwajalein
(マーシャル諸島) >>137 は
1901年を境に としています。
[41] tzdata 附属データの Pacific/Saipan
は、
1901年を境に としています >>40。
[98] これらの切替日の根拠は不明です。 Shanks は他にも幾つかの地域で1901年開始としており、時期不明を表していると思われます。
[8] 1904年頃の米国海軍天文台の時差の表は、 独領の Bismarck Archipelago >>724, >>725, >>726, New Guinea >>724, >>725, >>726, Caroline and Mariana islands >>724, Carolines >>725, >>726, Mariane Islands >>725, >>726 について、 とすることが提案されている、 としていました。
[57] 1906年の日本の学術雑誌は、 1905年末の情報として、 独領のビスマルク諸島カイゼル、ウ井ルヘルム、ランド、カロリナ、マリアナは 、ただし未実施としていました >>2152。
[69] 大正3年の南洋群島へと進攻する日本海軍の文書では、 「当分ノ間特令ナケレハ」中央標準時 を用いること >>67、通信記録には中央標準時 を用いることが指示されています >>68。
[346]
tzdata は、
を境に
Pacific/Majuro
、
Pacific/Chuuk
、
Pacific/Pohnpei
、
Pacific/Kosrae
を としています。
>>339
戦況からの推測と思われます。
[64] の海軍ヤルート島無線電信所の日誌には、 「標準時東経百七十度」とあり >>63、 が使われていたようです。これはほぼヤルート島の経度です。
[66] の日誌には、 「百七十度標準時 二月九日正午前 中央標準時 二月九日正午以後」 とあります >>65。
[175] これらより、日本軍の作戦展開上は中央標準時を基本に用いたものの、 部隊によっては現地地方時により業務を行っており、 やがてそれが中央標準時に統一されていったものと思われます。 中央標準時への統一が軍内部の業務のみで行われたのか、 軍政下の現地住民への行政実務にも適用されたのかは定かではありません。
[22] 、南洋群島で3つの標準時が施行されました >>47, >>126。
[81] これは、臨南防法令第1號 (臨南防第10號標準時ニ関スル件所収) >>39 によって定められたものです。
[82] 厳密には「当隊標準時」ということですから海軍部隊内の標準時 (軍用時) なのですが、「当隊」は南洋群島占領地の軍政を担当していること、 海軍公報で海軍官房から「南洋群島占領地標準時」と称して周知していること >>39 から、この時期に既に事実上の地域標準時として運用されていたと解するのが妥当でしょう。
[83] また、既存法令の改廃への言及が皆無ですから、これより前に (軍部隊内部のみで作戦時に用いるのだけでなく、広く知らしめられた) 標準時は制定されていなかったと思われます。
[460] 「通信事務」では、南洋群島西部標準時 を使ったといいます >>39, >>461。これはすなわち中央標準時です。
[200] には標準時について英国から外交筋経由で照会があり、 この3つの標準時が回答されたようです >>199, >>215。
[347] tzdata は、
を境に
Pacific/Majuro
は 、
Pacific/Chuuk
は 、
Pacific/Pohnpei
は 、
Pacific/Kosrae
は
としています。
>>339
[269] 大正十二年軍艦明石南洋行動豫定表なる図には、 南洋群島の3つの標準時が時計として描かれていました >>268。
[274]
昭和7年の南洋庁の書籍には、
中央標準時の時刻に基づく南洋群島各地の気象観測結果が掲載されていました
>>273 27ページ他。
内地同様 (
[127] 、南洋群島の3つの標準時が施行されました。 南洋庁告示第42号により規定されたもので、 大正8年に制定されたものと同内容でした。 >>84。
[85] 大正8年の法令は臨時南洋群島防備隊のもので、これは1922年に南洋庁に民政業務を引き継ぎ解散しています。 実運用上は標準時はその後も変わらず用いられていたと思われますが、 法令上も存続していたのかは謎です。昭和8年南洋庁告示が特に既存法令の改廃に言及していませんから、 解散により失効していたとも思われます。 民政下の法令としては、この時初めて南洋群島の標準時が定められたということになります。
[124] 南洋庁告示第38号によって2つの標準時に改められ、 昭和13年/1938年1月1日に実施されました >>198, >>125, >>126。
[56] 当時の政府内文書は、内地および南洋群島内各地域の関係が密接になって時差が不便であることを改正の理由に挙げています。
また、台湾で用いられていた西部標準時の廃止にも言及しています。 >>55
当時の台湾や関東州での標準時改正の動きが南洋群島にも波及したと考えられます。
[79] 昭和8年南洋庁告示は、これにより廃止されました >>125, >>126。
[348]
tzdata の
Pacific/Majuro
、
Pacific/Kwajalein
、
Pacific/Pohnpei
、
Pacific/Kosrae
は、
1937年を境に
としています。
>>339
[381] 南洋群島 4(7), 南洋群島文化協會, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2275541/1/66 (要登録)
[456] 、昭和16年南洋庁告示第11号により、 南洋群島標準時 に標準時が統一されました >>457。
[80] 昭和12年南洋庁告示は、これにより廃止されました >>457。
[349]
tzdata の
Pacific/Majuro
、
Pacific/Kwajalein
、
Pacific/Chuuk
、
Pacific/Pohnpei
、
Pacific/Kosrae
は、
を境に
としています。
>>339
[50] 刊行南洋群島水路誌には、 次のようにあります >>49。
[210] 過去の南洋群島の標準時に関して触れた Webサイトなどでは、 当初の3区制時代のことのみを扱っているものが多いです。 その後の2区制時代までのみしか扱っていないものもあります。 最終的に中央標準時に統一されるまでの過程を正しく記述していることはほとんどありません。
[355] tzdata でも南洋群島時代の情報はまったく欠落していましたが、 2018年の改訂で本ウィキの情報を参考に修正されました >>339。
[366] 昭和時代、 内地では夏時刻実施が検討されました。 内地で実施されていれば南洋群島もそれに合わせて実施された可能性がありますが、 結局未実施に終わりました。
[297] マーシャル諸島のクェゼリンやマジュロの戦闘に関する Wikipedia
の日本語版 >>295 と英語版 >>296 の記事をみると、
内容が異なるので比較は難しいですが、
全般的に日本語が1日進んでいるようです。
両者の出典とする日米の戦史が異なる時刻を用いているためと思われます。
当時も現地で戦史と同じ時刻を用いていたのだとすると、
米軍はこの地域でアメリカ日付を用いたということになります。
[299]
グアム島、サイパン島などマリアナ諸島や、
日本列島各地を含む領域での作戦では、米軍は
を使っていました。
[300] 旧南洋群島および周辺諸島は、停戦まで日本支配地域と米国支配地域が混在する状況となりました。 停戦後、米軍は諸島を順次統治下に収めていきました。 それに伴い時刻も米軍のものに置き換えられていったと思われます。 ただし、グアムやサイパンを含めいくつかの島では、 停戦後何十年も残留日本兵が生存していました。 そこでは中央標準時 が使われ続けていたかもしれません。
[350]
tzdata の Pacific/Majuro
は、
を境に
としています。
>>339
戦況からの推測と思われます。
[113] 米軍はマーシャル諸島のクェゼリン島を基地としました。 マーシャル諸島共和国として独立した現在も、 全域が米軍基地となっています。どの時期からかは不明ですが、 遅くても1950年代 >>111 から1960年代 >>281 には、アメリカ日付である を使っていたようです。
[28]
tzdata の
Pacific/Kwajalein
は、
を境に
としています >>339。
更に
を境に
としています >>137。
その根拠は不明です (>>33)。
[60] tzdata は、を境に
Pacific/Chuuk
は 、
Pacific/Pohnpei
は 、
Pacific/Kosrae
は
としています。
>>339
戦況からの推測と思われます。
[107] の日本軍の文書には、 「カロリン、ウエーキ時間ハ重慶時間ト三時間ノ差アリ」 >>470 とあります。重慶時間が中華民国重慶国民政府の冬時間 だったとすれば、 カロリン諸島とウェーク島 (に加え、おそらくその間にあるマーシャル諸島とカロリン諸島北側にあるマリアナ諸島) は ということになります。
[166] 1950年の米国政府の時差の表では、 パラオ、カロリン諸島、大宮島、マリアナ諸島は 、 マーシャル諸島、大鳥島は となっていました >>165。
[168] の世界の標準時の表では、 カロリン諸島は東経160度以東 、 以西 、 Truk と Ponape が 、 マリアナ諸島と大宮島は 、 マーシャル諸島は 、 Nanyo Gunto は となっています >>167。
[179] 1950年代の米国政府の地図に基づき描かれたのではないかと推測される時期不明の地図では、 カロリン諸島西部が 、マリアナ諸島・大宮島 (・小笠原諸島・南鳥島) が 、カロリン諸島東部 (コスラエ含む。) が 、マーシャル諸島が で塗られているように見えます >>178。
[223] 1966年の米国の書籍 Time Changes (米国版) は、 MARIANA ISLANDS を 、 MARSHALL ISLANDS と GUAM を 、 WAKE ISLAND を としていました >>220。
[224] CAROLINE ISLANDS について元は だったところ近年 Eastern Carolines が 、 Western Carolines が と変更された >>220 としていました。
[310] カロリン諸島のうちパラオが米国統治当初 だったのがこの頃 に変更されたとすれば、他の多くの情報と整合しますが、 どうでしょう。
[142] の時刻表によると、 パラオは 、北マリアナ諸島とヤップ・トラックは 、 グアムとポナペは 、Majuro は 、Kwajalein は でした >>141。
[401] >>397 /96 May 16, 1968 の航空時刻表 各島の地方時記載あり
[230] Shanks (2003) は、 から、 NORTHERN MARIANA ISLANDS を 、 MICRONESIA のうち Yap を 、 MICRONESIA のうち Kosrae、Mokil Island、Pingelap Island を 、 MARSHALL ISLANDS のうち Kwajalein Island のみ 、 MARSHALL ISLANDS のそれ以外の地域 (Eniwetok Island を含む。) を としています >>228。
[26] tzdata の Pacific/Kosrae
は
を境に としています >>137。
[27] tzdata はを境に Pacific/Majuro
を
としています >>137。
Pacific/Kwajalein
は
としています >>137。
[36] tzdata 附属データの Pacific/Saipan
は、
1969年10月を境に としています >>40。
[162] 1968年の米国政府の地図に基づくという 1972年に日本で発行された地図では、 南洋群島は , , , で塗られています。 Kosrae は に属しているように見えます。 Kwajalein は と描いているように見えます。 大鳥島は に塗られています。 >>549
[202] 1970年代の航空機の時刻表には、次のようにあります。
[206] 同時期 (1977年) の路線図は、 次のような時間帯図になっています >>207。 同じ航空会社の表と図で矛盾しているようにみえますが...
[5] 米信託統治領太平洋諸島マリアナ諸島区の法典 (MIDC) は、 マリアナ諸島標準時 を標準時として定めると共に、 区行政官が夏時刻を実施できると定めていたようです。 >>13, >>14
[15] 実際に夏時刻が実施されたのかどうかは不明です。 地理的に近く政治的に関係も深いグアムでは、 1959年から 1977年まで断続的に夏時刻を実施していました (>>261)。 それに合わせて実施された可能性も考えられますが、 1968年 (>>142)、 1970年 (>>301) の情報はグアムのみで夏時刻としていました。
[314] 北マリアナ諸島はまで、
グアムの米国海軍の統治下にありました。
には米領太平洋諸島の首都がグアムから北マリアナ諸島のサイパンに移転しました。
その前の1959年の夏時刻は実施されたとすると、
MIDC に夏時刻の規定が存在することの説明がつきます。
1968年の日本返還までグアムの米国海軍の統治下の小笠原諸島で夏時刻が実施されたこと
(
[402] 南洋の島めぐり, 秋庭武美, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2977351/1/66 (要登録)
[403] >>402 、 サイパン政庁の指示でトラック島で夏時刻が実施された(と思ったら中止された)ときのどたばた。
[404] トラック島でも実施されていたということは、他の島嶼でも実施されていた可能性が高いだろう。
[4] 米信託統治領太平洋諸島全体の法典 (TTC) には標準時の規定は含まれていなかったようです。
[18] マリアナ諸島区以外の各区 (現パラオ、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島) の法令でも標準時と夏時刻が規定されていても良さそうなものですが、 現ミクロネシア連邦各区の法令集のマリアナ諸島標準時の規定に相当する部分には、 何の規定も含まれていません。
[3] 現在の米領北マリアナ諸島準州法典 (CMC) は、 マリアナ諸島標準時 を標準時と定めています >>13。また、夏時刻は実施しないと定めています >>14。
[16] この標準時の規定は、 MIDC が出典となっており >>13、 信託統治領時代の行政区の法令がそのまま継承されているようです。 夏時刻については、北マリアナ諸島がアメリカ合衆国の準州となって連邦法が一部適用されるようになった >>1 ため、夏時刻に関する連邦法の規定に従い元の条項は失効したと解釈された >>14 ようです。
[377] 保育界 (151)(253);1987年3月号, 日本保育協会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/11197194/1/9 (要登録)
[378]
[38] 2000年、北マリアナ諸島準州の標準時の規定が連邦法にも取り込まれました (>>253)。
[319] 北マリアナ諸島の時計は正確でないことが多いようです >>172, >>173。
[235] Shanks (2003) は、 より、 MICRONESIA のうち Chuuk、Kapingamarangi Island、Nukuoro Island を としています >>228。
[31] tzdata の注釈は、 Shanks & Pottenger にチューク諸島 (ミクロネシア連邦) が から にに切り替えたとあるものの、 90年代時点で現に を使っている、として無視しています。
[236] 1977年の地図で TRUK IS. を としているものがあります (>>206) から、何らかの事実が歪んで伝わっている可能性はあります。
[44] Time Changes (世界版) の SOUTH SEA MANDATED TERRITORIES には、標準時が次のようにありました >>1256。
[97] 他の情報を矛盾しており、誤りと考えられます。 出典は不明ですが、何らかの古い時代の情報を反映している可能性もあります。 (SOUTH SEA MANDATED TERRITORIES すなわち南洋群島委任統治領となっているので、 日本統治時代の情報のようにも思えますが、完全に一致する時代はありません。
[164] 1992年に日本で発行された書籍の地図では、 Kosrae が で塗られています >>163。
[21] tzdata の Pacific/Kosrae
は、
1999年を境に としています >>137。
根拠として、1999年時点でのミクロネシア連邦政府の
Webサイトの記述を挙げています。
[153] Standard Time Zones of the World (CIA World Factbook 所収) は、 Kosrae を1985年版-2007年版で に、2008年版以降で に入れています >>154。
[318] 21世紀のミクロネシア連邦では、 連邦政府観光局の Webサイトによると、 ヤップとチュークは 、 ポンペイとコスラエは を使っています。 >>120, >>17
[317] ミクロネシア連邦の法典には北マリアナ諸島同様の条項は見当たらず、 どのように標準時が規定されているのか (いないのか) は不明です。
[128] 日本領南洋群島時代と比較すると、 ミクロネシア連邦のうち、旧ポナペ支庁管下は (初代南洋群島東部標準時と同じ)、旧トラック支庁管下は (旧南洋群島中部標準時および2代目南洋群島東部標準時と同じ)、 旧ヤップ支庁管下は (南洋群島時代より1時間早い) となっているようです >>17。
[134] マーシャル諸島共和国は現在 を用いています。
[37] マーシャル諸島共和国の法典には北マリアナ諸島同様の条項は見当たらず、 どのように標準時が規定されているのか (いないのか) は不明です。
[196] 1991年のマーシャル諸島の航空機の時刻表 >>195 では、 KWAJALEIN・MAJURO 間で所要時間約1時間で日付変更線を挟んでいるのであろう時刻が記載されています。
[157] 1992年の米国政府出版の地図は、 Kwajalein に加えて Enewetak も としています。 (他のマーシャル諸島とウェーク島は、 としています。) >>156 Enewetak には1944年に米軍が進攻し、 その後全島が米軍基地となっていましたが、 1970年代から民間人も住むようになったようです。 米軍基地では Kwajalein と同期間に を用いていたと思われます。 民間人も を用いていたのかは不明です。
[155] Standard Time Zones of the World (CIA World Factbook 所収) には、 Kwajalein はハワイと同じ日付だと注記がありました (ウェーク島など他の周囲の島にはありませんでした >>154。
[303] 当時の航空時刻表にも同様の注記がありました。
[217] 計算機ソフトウェアの時間帯の定義の中には、未だに Kwajalein と Enewetak を として掲載しているもの >>211, >>212, >>213, >>214, >>216 もあるようです。 この時代の情報がずっと残ってしまっているのでしょうか。
[35] Kwajalein は、 に土曜日を飛ばしてとなったようです >>111, >>291。 以後現在に至るまで を使っているようです >>109。 これはマーシャル諸島共和国政府からの要請により国内の時刻を統一したものです >>111。
[234] Shanks (2003) は Kwajalein Island について から としています >>220。
[233] tzdata の Pacific/Kwajalein
>>137 は、
を境に としていましたが、
誤りとしてに修正されました。
[121] tzdata の次週付けの注釈は木曜日から を飛ばして土曜日となったとしています >>137 が、当日の新聞報道 >>111 と異なりますから、誤りと思われます。
[286] クワジェリン米軍基地について、 2003年から 2006年にマーシャル諸島に滞在したとする人物の論文は、 当時も日付の違いがあったとしています。 基地労働者の居住するイバイ島 (同じ環礁内にあり米軍基地ではない最大の島) の市長のジョニー・レマリ (Johnny Lemari) (2003年就任、それ以前は市長代理) は、月曜日 (米軍基地では日曜日) をコミュニティの日とし、 島内の清掃を実施することにした、とされています。 >>152
[287] 2004年から 2006年にマーシャル諸島に滞在したとする人物の Webサイトでは、 イバイ島訪問時にクワジェリン米軍基地が1日遅れている >>151 としていました。
[322] 米軍の基地案内によると、 Kwajalein と Roi-Namur (同じ環礁内の米軍基地のある島) の work week は火曜日から土曜日です >>294, >>290, >>292, >>293。 つまり、 元々ハワイと同じアメリカ日付だったのが、 日付はアジア日付に変更して勤務する日はハワイと重なるままにした、 ということのようです。
[323] それを、古い時代の知識を持った現地人が誤解していたのか、 基地内を直接見たわけでない来訪者が誤解したのかわかりませんが、 基地内外で未だ24時間差が残っていると理解したのだと思われます。
#page=7
MHT Marshall Islands Time マーシャル諸島時間
[380] 出典も用例もなく、ただ略語の1つとして列挙されているだけ。
[130] パラオでは標準時 が使われています。 パラオ政府観光局の Webサイトにも明記されています >>133, >>115。
[316] パラオの法典には北マリアナ諸島同様の条項は見当たらず、 どのように標準時が規定されているのか (いないのか) は不明です。
[370]
、
米国政府は、
米西戦争で獲得した3地域の標準時を定めました。
グアム島はそれに含まれませんでした。理由は不明です。
[171] のガム島の地震の観測報告は、 米領比律賓の時刻を標準時 ( の「午前9時54分24秒」) で記述する一方、 米領大宮島の時刻は地方時 (「午前11時15分頃」) で記述しています >>170。 (地震波の伝播は即時ではないので、両者は同時刻ではありません。)
[360] 1904年頃の米国海軍天文台の時差の表は、 Guam では Guam standard time が使われるとし、 東経145度 (= ) すなわち >>724、 東経142.5度 (= ) すなわち >>725、 >>726 としていました。
[208] 1905年の米国政府の資料は、 グアム島では Guam standard time 東経145度 (= ) が使われるとしていました >>272。 (>>724 と同じものでしょうか。)
[58] 1906年の日本の学術雑誌の時差の表は、 米領グアムについて、東経145度で日本より1時間半早い >>2152 とあります。経度を信じれば ですし、時差を信じれば です。後者は誤りでしょうか。
[361] 東経145度 (= ) が とされており、 後の版で 東経142.5度に変更されていることから、 最初の経度が誤りだったと考えるのが妥当でしょう。 (東経145度はグアム島の東端をかすめており、 ほぼ地方時ではあります。 元々はそうだったのが改正された可能性はあります。)
[362] グアムは米軍の軍政下にありましたから、 米国海軍天文台の情報は信頼できると考えたいところですが、 これよりあとの時代に地方時 とする資料が見られることが気になります。 米国海軍天文台は近代的標準時推進の立場でしたから、 米国の海外領土にも標準時を設定したものの、 現地で実際に用いられるには至らなかった可能性もありましょうか。
[221] 1966年の米国の書籍は、 GUAM について 1912年に標準時が となり、 に標準時が となった >>220 としています。
[218] 1918年の雑誌記事は、ニュージーランドで30分の標準時変更で GMT と整数時差に改正されたことに関連付けて、グアムも地方時から標準時に移ることになろう >>219、と述べていました。現行の時差については明記されていませんが、 列挙されている他の地域は30分単位の時差があるものです。 もっとも英領インドなど現在まで30分の時差を保っている地域もありますから、 整数時差の時間帯を採用するだろうというのは筆者の希望的観測なのでしょう。
[147] 日本政府の情報では、 Guam I. について、 1920年-1921年は 、 1922年-1926年は 、 1927年-1933年は とされています >>148。 は (一度実施された標準時が廃止されたというのでなければ) の誤植でしょうか。 1926年と1927年の間に標準時が実施されたのでしょうか。
[177] の米国海軍の地図によると、 グアム島は北マリアナ諸島と同じ に属しています >>176。 グアム島は米軍当局の軍政下にあったのですから、 信頼しても良いものでしょうか。
[24] 他の南方占領地や周囲の日委任統治領南洋群島同様に、中央標準時
が実施されていた可能性が高いですが、不明です。
[227]
tzdata の Pacific/Guam
は、
を境に
としています。
戦況からの推測です。
>>339
[341] tzdata の Pacific/Guam
は、
を境に
としています。 >>339
[149] 1949年や1952年や1956年の航空機の時刻表には、グアムは とあります >>144。
[11] 承認のグアム公法第5-5号 AN ACT TO ADD SECTION 223 TO CHAPTER 3, TITLE I, GOVERNMENT CODE OF GUAM, RELATIVE TO ESTABLISHING A STANDARD TIME FOR GUAM AND PROVIDING FOR DAYLIGHT SAVING TIME FOR GUAM により、グアム政府法典が改正され、 グアム標準時 と グアム日光節約時 が定められました。両者の切り替えは執行官令で定める日のとされています。 >>10
[262] 1959年-1977年に、グアムでは1959年法 (>>11) に基づく執行官令によって夏時刻が実施されています (>>261)。
[340] tzdata の Pacific/Guam
は、
米領グアムの法令を出典に、
夏時刻を次の通りとしています。
>>339
[90] 米国政府文書でグアムの夏時刻を Guam daylight time と呼んだ例があります >>358。 tzdata はグアムの夏時刻を GDT と呼んでいますが、 tzdata 独自の略称です >>339。
[222] 1966年の米国の書籍は、 グアムでは日光節約時が未実施としていました >>220。
[256] 承認のグアム公法第9-58号 AN ACT TO EXEMPT GUAM FROM THE PROVISIONS OF SECTION 3(a) OF THE UNIFORM ACT OF 1966 は、アメリカ合衆国の Uniform Time Act of 1966 に従い夏時刻を実施しないこととし、 夏期も標準時を用いることと定めました >>255。
[301] に北マリアナ諸島とグアム島を訪れた日本の国会図書館研究員は、 グァム島ではからまで夏時刻が実施され、 米領太平洋諸島は標準時のままだった >>304 としていました。 (実際には終了が早まりました。)
[397] たのしい南洋群島 : 旅行する人々への手引き, 小菅輝雄, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3008736/1/20 (要登録)
[398] 著者は昭和38年と42年に南洋を訪ねた (どちらもグアム訪問したのか不明、しかしグアムは交通のハブなので2回とも経由した可能性が高い)。
当時の
南洋群島各島の移動で時計を直す描写もあり。
/46 クオジャレン島が「
[371] オール大衆 27(5), 経済通信社, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2246907/1/33 (要登録)
[372] 、日本とグアムの時差2時間。
[399] たのしい南洋群島 : 旅行する人々への手引き, 小菅輝雄, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3008736/1/35 (要登録)
著者を案内した「
[400] 42年とは昭和42年。日本時代に教育を受けたであろうこの米領太平洋諸島パラオの住民は、 日本語もそこそこ話せたのであろう。台詞がそのままなのか、 著者が整えたのかはわからない。著者が日本人読者向けに西暦から元号になおして書いたという可能性もなくはない。 ただこの書籍は適宜西暦年を使っているので、元号に統一しようという意図を持っていたわけではないから、 老コロール人が日本人向けに元号年で喋っていた可能性は十分にあるか。
[258] 1980年3月5日承認のグアム公法第15-104号 An Act to enact Title I of the Guam Code Annotated and to repeal all laws inconsistent therewith は、グアム法典注解に >>256 の変更を取り込んで改正しました。 これはグアムに適用される法令を集積して注釈を加えたもので、 標準時に関しては、連邦法に適切な時間帯が無いので独自の規定が必要なこと、 連邦法に基づく夏時刻を実施するか、しないかのいずれか (現行法では実施しない) であり、執行官令による夏時刻の実施は最早認められないと解されることが注記されています。 >>257
[315] 北マリアナ諸島の夏時刻実施については米領太平洋諸島の項 (>>5)、 小笠原諸島の夏時刻実施については小笠原の標準時を参照。
[373] 月刊社会党 (389), 日本社会党中央本部機関紙局, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1408616/1/36 (要登録)
グアムは日本と時差1時間、ベラウは日本と時差なし。
[253] 承認のアメリカ合衆国公法第106-564号 An act to establish a standard time zone for Guam and the Commonwealth of the Northern Mariana Islands, and for other purposes により、アメリカ合衆国の Act of March 19, 1918 (Calder Act) と Uniform Time Act of 1966 が一部改正され、 Chamorro standard time が追加されました >>12。
[254] これは現に制定されているグアムと北マリアナ諸島の標準時に関して連邦法としての法的根拠を与えるもののようです。
[327] Robert Anacletus Underwood は、米国議会下院におけるグアム代表として、 グアムと北マリアナ諸島の標準時に関する連邦法制化につとめました。 >>282, >>283
[328] Robert の高校時代の教え子でグアムの通信会社の John Day は、 グアムと北マリアナ諸島の時間帯に公式名称がないことを Robert に伝えました。 >>282
[329] また元グアム島民は 1999年、 グアムが米国の国内ニュースに露出する機会を逃していると Robertに指摘しました。 米国の夏時刻の切り替えの際には、 米領サモアが夏時刻を実施していないと名指しされていました。 >>282
[330] Robert とスタッフは時間帯の名称を検討し、 Chamorro Standard Time しかないとの結論に達しました。 Guam time zone では北マリアナ諸島が忘れられ、 Guam/Marianas time zone でも Marianas が落とされる可能性があり (Hawaii-Aleutian Island time zone は Hawaiian Standard Time と呼ばれている)、 Marianas time zone ではグアムが忘れられると考えました。 民族名である Chamorro を名称とすることについて、 カロリン人 (北マリアナ諸島の憲法ではチャモロ人と共に先住民とされています。) から Chamolinian とするべきと提案がありましたが、 Robert はグアムでは通用せず、 グアムと北マリアナ諸島を包括する語は Chamorro しかないと拒みました。 >>282
[332] 、 Robert は法案 HR 3756 を提出しました。 >>331, >>282 法案は可決され P.L. 106-564 となりました。 >>12, >>282
[334] Chamorro を名称にしたのは、 知事選挙のチャモロ人票を得るためだ、 と穿った見方をする人もいました。 実際にはチャモロ人の反対陣営から「議会で Chamorro standard time 以外何もしなかった」と批判するのに使われました。 Robert にとって Chamorro standard time は重点政策でなく、成立時に「Robert といえばこの法律、となるよ」 と言われたときにはピンときていませんでしたが、 実際そうなりました。 >>282
[260] 2015年12月版グアム法典注解の標準時の規定 >>259 は、 1980年版 (>>258) から基本的に変わっていないようです。
[326] 何年のことか不明。1977年の記事 >>278 があるのでその頃か。
[117] tzdata の Pacific/Wake
は、元の地方時を
としています >>118。
[270] 同じ頃日本人が移住していましたが、日本政府は米国の領有を承認しました。 日本の領土となったことはなく、内地から遠く離れた孤島ですから、 現地日本人も中央標準時を用いていたとは考えにくいです。 地方時を用いていたのでしょうか。 しかし間もなく離島させられ、 定住者のいない無人島に戻りました。
[231] Shanks (2003) は、から (それ以前は LMT) としています >>228。
[119] tzdata の Pacific/Wake
は、1901年を境に
としています >>118。
[320] の米国の航空会社の時刻表には、 WAKE ISLAND は 、 GUAM ISLAND は とありました >>284。
[104] 元々民間人がおらず米軍基地しかなかった大鳥島は、この時期日本軍のみが駐留しており、 軍用時である中央標準時 が用いられたと考えられます。 住民がいないので軍政府の布告のような形で明確に標準時が制定・改正された可能性は低いですが、 島で唯一共通に用いられた時刻が中央標準時だったのなら、 これが当時の大鳥島の事実上の標準時といえるでしょう。
[48] の日本軍の文書には、 「カロリン、ウエーキ時間ハ重慶時間ト三時間ノ差アリ」 >>470 とあります。重慶時間が国民政府の冬時間 だったとすれば、 カロリン諸島とウェーク島は ということになります。
[354] tzdata は不確実だとして採用していません。 >>339
[321] の米国の航空会社の時刻表には、 WAKE ISLAND は 、 GUAM ISLAND は とありました >>285。
[129] 朝鮮戦争中の記事に関する 1971年の回想録では、 ウェーク島が米国側からみて日付変更線を超えたところにあること、 2時間の夏時刻が実施されていたことが注釈されています >>123。
[271] 太平洋を横断する航空路が発達した20世紀中盤には、 大鳥島は航空機が飛び石状に寄港する島の1つとして使われました。
[143] 1949年や1952年や1956年や1969年の航空機の時刻表には、大鳥島は とあります >>144。
[140] 1954年の日本航空の時刻表は、経由地の大鳥島とホノルルの間に日付変更線を描いています >>139。
[180] 1950年代の米国政府の地図に基づき描かれたのではないかと推測される時期不明の地図では、 大鳥島は と注記されているようにも見えます (潰れていて判読が難しいです)。 >>178
[382] アメリカの旅, 丹羽保次郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2976011/1/4 (要登録)
詳細な旅程が記録されています。
[225] 1966年の米国の書籍は、 WAKE ISLAND の標準時を としています >>220。
[46] 米領大鳥島では、現在も が使われていると思われます。 2016年現在、2011年付けの米軍の Webサイトにその旨の記載があります >>108, >>109。
[160] 2011年付けの (他の地域の) 米軍資料では米領大鳥島は とされています >>159 が、その事情は不明です。
[2]
[185] Remove many invented abbrs in 'africa', 'backzone' (eggert著, ) https://github.com/eggert/tz/commit/87f960b0458754d83a15ab7f444e9ce1a2e5d168
[186] Remove many invented abbreviations in 'australasia' (eggert著, ) https://github.com/eggert/tz/commit/a25d615495c57081297939b4befe6f9b6bf438ea
[188] つまり:
[190] >>189 はページ内に年号がないが、他のページの記述からおそらく2004年。
[265] Air Nauru () http://www.timetableimages.com/ttimages/on.htm
[266] Trust Territory Air Service () http://www.timetableimages.com/ttimages/trust66.htm
[337] New Guinea And The Marianas : Samuel_eliot_morison : Free Download, Borrow, and Streaming : Internet Archive () https://archive.org/details/in.ernet.dli.2015.101104/page/n9
[364] Robert の努力にも関わらず言及されない北マリアナ諸島準州。。。
[365] () https://www.transportation.gov/sites/dot.dev/files/docs/GU%20NM%20Chamorro%20Est.pdf
[369] [mixi]パラオ暦の文の意味を教えてください。 - パラオ語 | mixiコミュニティ () https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=3583531&id=34016383