[4] 藪内清著作集 第一巻 定本 中国の天文暦法は、 支那暦法研究所として名高い 中国の天文暦法 を全編収録しています。
[7] 初版発行。
[5] 中国の天文暦法 が扱っていなかった殷の時代に関する論文も収録されています。
[6] 著作集第1巻の三九〇ページの「あとがき」 (中国の天文暦法のあとがき) には、 「一九九〇年五月吉日」 とあります。 あとがき本文によると、 一九六九年に初版刊行、 一九七五年にその第三刷刊行。 増訂版 増補改訂 中国の天文暦法 で四十数箇所の増補訂正と「補遺」の追加。
[21]
[12] 元号を考える, 鈴木武樹, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12208591/1/8 (要登録)
[13] >>12 昭和の元号危機の折に書かれたもの。薮内清は反対論者。
[14] 紀年法の歴史をコンパクトにまとめていて読みやすいが、 いくつか事実に基づかない記述があり、それが元号に反対する理由に繋げられているのが気にかかる。 例えば米国建国紀元や英国王即位紀年は現在でも存続しているくらいなのに、 本記事ではそんなものはない (から日本もなくしていい) と書いている。
[16] 改元のない長期的紀元の有用性を説くために中国では暦元 (上元) が使われてきたというのも、ちょっと無理があるのでは。 それが本当に機能してたなら、中国史の研究はもっと楽になっていたはず、 というのはこの分野の専門家の薮内清が一番良く知っているだろうに。
[17] むしろ暦元からの年数積算の考え方があった中国でなぜ元号が使われ続けたのか、の方を史上トップレベルの中国思想研究者には説明して欲しかったよぬ。
[15] 薮内清の偉大な業績に比べると元号関連はどう見ても晩節(?)を汚す失敗作なんだよな。 中国の暦と国制を鋭く観察してきた薮内清ほどの学者でも、 暦の内在する政治性には勝てなかったんだな。
[20] >>15 いやむしろそれだからこそ暦と政治の関係性を無視できなかったし、 研究者と政治の距離感も東洋の伝統から脱却できなかったともいえるのかね。
[1] 薮内清 - Wikipedia () https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AE%E5%86%85%E6%B8%85
[10] 支那の天文学, 藪内清, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1878453/1/9 (要登録)
[11] 東方学報 = Journal of Oriental studies 12(1), 京都大学人文科学研究所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3558894/1/52 (要登録)