縫武

建武 (日本)

[7] 建武は、後醍醐天皇の年号です。

元号名

異体字

[52] 甲斐の石造美術, 植松又次, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12423973/1/94?keyword=%E5%BB%BA%E6%AD%A6 (要登録)

元武

[8] 建武を元武と表記したと思われる事例が知られています。

用例

日時事例


日時事例

[70] 建武元年だとすると六月は遡及年号。建武六年だとすると延長年号 +1年。


日時事例


日時事例


[11] 「元武元年」 (刊本) 要検討 :

[69] 「元武 ((ママ)) 二年」 (明朝体) おそらく建武。近世文献

諸説

[72] 用例はいくつか知られています。

[73] 個別のものに注釈を付けたものはありますが、詳しく検討したものや、 横断的に検討したものは見当たりません。


[74] 諸説いずれも建武に比定しています。 いずれも簡単な注釈程度で判断の根拠は示されていませんが、 音の類似、 干支年、 内容などが勘案されているのでしょうか。

[75] 干支年がないものや >>21 のような特殊な事例もあり、 より深掘りした検討が望まれるところです。

[76] 建武は北朝で五年まで続いていますが、元武の用例は元年に集中しています。

[77] 新元号に慣れない時期に音で覚えた、伝えられたといった状況も想定する必要があるかもしれません。

研究史

[23] の史料集は、 >>21 を紹介して 「元 (マヽ) 武」 (明朝体) と注釈しています。 >>20

[64] の史料集は、 >>21 を紹介して 「元 ((建カ)) 武」 (明朝体)、 >>65 を紹介して 「元 ((建)) 武」 (明朝体)、 と注釈しています。 >>62


[16] の史料集は、 >>4 を紹介して 「元武 ((建か)) 」 (明朝体) と注釈しています。 >>14

[9] , , , の書籍は、 >>4 を紹介して 「元 ((建)) 武」 (明朝体) と注釈し建武元年と説明しています。 >>53, >>24, >>12


[56] の史料集は、 >>28 を紹介して、 「元 ((建)) 武」 (明朝体) と注釈しています。 >>28


[71] 令和時代に至るまで、私年号研究の文脈で紹介された事例は知られていません。

関連

[18] 語りべ日本の歴史 1 (旧石器時代~奈良時代), 片山丈士, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/13217575/1/119?keyword=%E5%85%83%E6%AD%A6 (要登録)

[19] >>18 天武元年が一箇所元武元年に誤植。

建

[78] 建武が建と省略されたといわれる事例があります。

用例

日時事例

[98] >>97 の写真によると、字間が各一字分くらいあって、 意図的に省略して空間を生かした配置にしているように感じさせられます。

諸説

[104] 板碑一例のみ知られています。

[105] 昭和時代以来、建武の略であることが当然のように語られています。 各時代で実見した板碑の専門家らによる判定なのでしょうが、 改めて確認して明確にしておく作業が望まれるところです。


[106] 昭和時代初期には私年号として扱われていましたが、 その後はなぜか言及されなくなっています。

[107] 私年号の定義が整理されていく中で、他の私年号とは一緒に扱えないとなったのでしょうが、 他の分類に入れられるでもなく、元号研究の分野から抜け落ちて現在に至っています。 私年号の呼称と分類

研究史

[81] の書籍は、 板碑の私年號の事例として >>79 を紹介して次のように述べています。 >>113

[87] 略字という概念が現代ほど整理されていなかったようです。 漢字の略字は板碑でよく見かけますが、本例にはあまり関係しません。 年月日の省略表記は系図などではよく見られますが、 板碑でもそこまで多くはないものの、たまに見られます。 東洋の日時表示 元号名の省略形はかなり稀です。

[45] 昭和9年の久保常晴の論文は、 異年号と思われながら孤例のものとして >>79 を紹介しています。 >>900

[82] 出典の板碑概説説を支持して建武の単称としています。 >>900

[88] 昭和42年の日本私年号の研究にはなぜか掲載されていません。


[68] の書籍は、 大分県下の板碑の私年號の事例として、 建を挙げています。 それら私年号を意識的に使用したのか否かは不明としています。 >>136


[92] , , , , の書籍は、 >>79 を紹介して、 建武二年八月廿日の略と説明しています。 >>94, >>90, >>99, >>101, >>103


[89] その後令和時代に至るまで、私年号研究の文脈で紹介された事例は知られていません。

縫武

[49] 縫武 (y~4190) の用例が日本で1例知られています。

日時事例

[40] >>337 にこの鈴と思われる白黒写真がありますが、銘文は判読不能です。 ウェブ検索でも写真は見当たりません。

[32] 縫は注意してみると建に糸偏を付けたようにも見えます。 >>337

[36] 𦂩は中華民国の「內政部戶政用字」として CNS 11643 に追加され、 Unicode にも追加されました。 >>37 つまり台湾の人名にあると思われますが、 それ以外はウェブ検索などでもこれといった用例の説明が出てきません。

[31] >>337 は >>30 について、銘文から楠木正成の冥福を祈って作られたものに間違いないと断定します。 しかし延元元(1336)年丙子5月25日に死去した楠木正成と建武2(1335)年乙亥1月1日は一致しません。 >>337

[33] 元号をわざと1年間違えて月日も違えながらも、 楠木正成であることには相違ないと、地元では十分承知していたといいます。 >>337

[34] >>337 は聞いたことのない偽年号を使い表向き誤魔化したのは、 謀反人等支配権力に憚る人を祀る場合の常套手段だとします。 そして元和の13天の事例や偽名で墓に葬った事例をいくつか挙げます。 >>337

[35] >>337 はまた、偽年号を使って支配者を憚る必要があった足利政権の時代の作であるとし、 「乙亥」は制作年ではなく没年を建武2年と合わせるための偽作だろうとしています。 >>337

[43] 一方社伝では、 建武2(1335)年元旦に新田義貞が戦勝祈願のため楠木正成の鈴を奉納したとされます。 >>42, >>41 銘文には新田義貞の名が無いので、他の伝承によると思われます。

[44] 銘文は楠木正成を追悼するものと解釈するより、 楠木正成の持ち物の鈴だったと解釈する方が自然に思われます。

[45] 史実かどうかはともかくとして、 鈴が楠木正成の持ち物だったのを、 生前の建武2年1月1日付で奉納していた、 と銘文が主張していると読めば、 日付と死去の日はそもそも無関係で、 何の矛盾も隠蔽もないことになります。

[46] 隠蔽工作だとすれば、命日をわざわざ不自然に書き換えているのに、 楠木正成の名前がそのまま書かれているのは極めて不可解です。

[47] 建が縫に置き換わったのは、 何らかの意図があったとも誤記とも断定できるだけの材料がありません。

[48] 建武から離れた時代になって、何らかの資料から書き写した時に、 伝写の過程で文字が書き換わっていたその資料 ( 秘伝書の日時 ) の誤りを引き継いだとも考えられますが、 確証はありません。

[51] この鈴が作られた時代や銘文が書かれた時代はよくわかりません。

[50] >>337 のいう偽年号がどのようなものかはいまいちよくわかりませんが ( 偽年号 )、 ともかく、 縫武は私年号研究者には知られていなかったようで、 令和時代に至るまで私年号や異年号の一覧に掲載されてこなかったようです。

延長年号

[54] 日本中世の延長年号

[2] 長崎大学学術研究成果リポジトリ, NetCommons, https://nagasaki-u.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=24247&item_no=1&page_id=13&block_id=21 PDF 8ページ

「建武癸酉」

用例

事件

[3] 建武の新政

メモ

文字
文字
縫
字形類似
𦂩

[1] 後醍醐はんは、光武帝が漢朝再興したみたいに天皇家の権力を復活させようと意気込んで、元号も建武にしたと言われてます。結果はご存知の通り。