[27] 貞治と思われるものが浄時・浄治と書かれた事例があります。
[31] >>10 >>12 は近世に収集された文書の写本ですが、 その原本が現存するかは不明です。
[21] >>20 >>24 は >>10 との関連を思わせます。
[29] この他に水戸藩系の研究者の浄治への言及 (>>461) 一件、 浄時への言及 (>>47) 一件があります。出典は不明ですが、 人脈を見ると、これらの用例との関係が深いと思われます。
[28] 二点の文書の近世写本と二点の近世由緒書中の用例、 二点の研究者による言及があり、 六点いずれも同一の系統に属すると思われます。 三点は浄時、三点は浄治とされています。
[30] 解釈案を示すものはいずれも貞治に比定しており、 その根拠を示したものはいずれも音通と考えています。
[32] ところで、 >>20 >>24 は由緒書で、 >>10 はその根拠に当たるものと思われますが、 一応その信憑性を検討する必要はあると考えられます。
[35] 発給者の源儀頼 (源義頼) がどの人物を指すか不明です。 源氏で義頼と称する人物は何名かいたようですが、 当地でその時代に活動した者は不明です。
[36] 貞治に比定したとき、貞治元年2月11日という日付も不審です。 貞治は北朝の元号で、の改元ですから、 7ヶ月の遡及年号となります。
[33]
貞治が異なる文字で書かれた理由は、音通以外に字形も考慮する必要がありそうです。
>>16 は近世人が「貞治」と書いたものですが、それと隣の「浄時」を見比べると、
遠目にみればどことなく字形の雰囲気が似ているように思えてきます。
>>16 では浄も時も比較的明瞭に書かれていますが、
より崩して筆画を不明瞭に書けば、「貞治」に近づきそうに思えます。
[34] つまり、何次かの書写を経たとき、「貞治」の崩れた字形が「浄時」 を非常に崩して単純化した字形のように見えた段階があったのではないか、とも考えられます。
[14] 江戸時代中期の日本水戸藩の研究者小宮山昌秀は、 >>10 >>12 の写本に朱書で注釈しています。 >>9
[461]
嘉永6年付の清宮秀堅による
永正ヲ榮正
ト書ルハ、 貞治ヲ淨時 ト書ルカ如 シ、
と書いています。 >>8
[48] 新撰年表でも提示される榮正の事例の引き合いに出されており、 要するに音通による異表記という指摘でしょう。 ただし、新撰年表では浄治、 香取文書纂では淨時と、第二字が違っています。
[4] 昭和42年の 日本私年号の研究 は、 研究史の紹介で >>461 に触れて浄治を紹介していますが、 本編ではまったく触れていません。 >>991
[25] の史料集は、 >>22 >>18 を紹介して、ママ注を付加しています。 >>17
[26] その後令和時代に至るまで、私年号研究の文脈で本格的に取り上げた事例は知られていません。
[5] 昭和42年の 日本私年号の研究 は、 私年号ではない私年号的諸資料の章で、 立項せず本文で、 長崎県史史料編一所収 佐須郡御判物帳 が貞治→貞徳, 正平→元年と誤っていることを指摘しています。 >>6
[2] 群馬県史 資料編 8 (中世 4 金石文), 群馬県史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9644240/1/342?keyword=%E5%88%BB%E3%81%BF%E7%9B%B4%E3%81%97 (要登録)