永ワ

永和 (日本)

[3] 永和は、 日本の公年号の1つです。

元号名

永ワ

[80] 永ワは、永和の異表記の1つです。

用例

日時事例

諸説

[81] 当初は永門と解読する説がありました。 その後の草書体でなく片仮名と解釈する説が提起され、 現在に至るまで通説となっています。

[82] 中世の文字表記の習慣において漢字のかわりに片仮名を使うことは、 取り立てて不自然ということはなく、 元号名に限ってもいくつか仮名まじり年号の事例が知られていますから、 永和でもそうした表記が行われたとしても不思議ではありません。

[85] 特に、平仮名字源であり、 片仮名字源の有力説もです。 漢字崩し字の用例には、 相当崩れてないし草書に近い字形となったものも見られます。 仮名ではない漢字そのものという意識で書かれた可能性もあります。

[86] あいにく現時点で Web 上で見られる板碑拓本はさほど解像度の高くない写真ばかりですが、 楷書と程遠い草書字形となっているので、他の文字もそうだった可能性が少なくありません。

[83] 草書以外のの用例が見つかったり、 特に私年号と考えるべき新たな強力な根拠が出現しない限りは、 公年号永和の異表記という解釈が妥当と考えられます。

[84] なお、使用域が集中していること、同系統の板碑での利用が見られることが指摘されており、 板碑の制作工程とそれを通した元号の流通の双方の面で注目されます。

研究史

[24] 中野区史料館所蔵品一覧に、 堀野良助寄託の板碑として、 >>15 があります。 >>5

[25] 中野区史料館堀野良助寄託品には他にも私年号板碑があります。 徳応 経緯の詳細は不明ですが、 歴史研究者である堀野良之助私年号と意識して収集したものの1つと思われます。


[36] 昭和42年の日本私年号の研究は、 異年号の小分類の1つに仮名書年号を設けていますが、 その説明の章の中で仮名まじり年号をいくつか紹介しており、 そのうちの1つに永ワがあります。 >>35

[49] 他の仮名まじり年号と合わせて、学問の浅い農民や生活のための労働時間の必要からの簡便さもあろうが、 為政者に対する揶揄が潜むとも受け取られる、としています。 >>35

[50] ただし、「永ワ」に対して具体的な「揶揄」の読み解きを行っているわけではありません。 また、他の元号名の「揶揄」も、異体字や同音字の書き分け意識が現在と異なる前近代の表記慣習との関わりを検討していない、 現在の学術的水準から見ると物足りない推測に過ぎません。
[52] ところで、平成になってから再版された日本私年号の研究に付属する年号索引には 「永ワ」や「永和」は掲載されていません。

[32] 自治体史によると、

の計6点の「永門」と読み得る板碑が報告されていました。 私年号と思われました。 >>6

[33] これについて、朝霞市の調査担当者は、草書体ではなくの変形で、 永和であると考え、志木市の担当者もこれに従いました。 >>6

[34] この永和板碑群は、おそらく同一の石工の作と思われるとされます。 >>6

[63] 自治体史は、 >>64 の注釈として、 「永ワ」銘は仮名まじり年号の例であり、 志木市, 朝霞市, 富士見市等にみられ、香取文書に散見されるとしています。 >>62

[78] 自治体史は、 >>57 >>68 >>72 に「 ((和)) 」と注釈を付けて、永和の比定年を示していますが、 それ以外に特に注記はありません。 >>67

[79] なお私年号にはその旨を別途注釈しています。

[53] 板碑の総合研究の第1巻は、 次のように述べています。 >>250

[193] 第二巻では、肥留間博日本私年号の研究から永ワ五年を 「永和(一三七九)」 の仮名まじり年号であると紹介しています。 >>192

[19] 中野区14など2基があるとし、ほかに参考ながら、 として立教大学博物館学研究室保管旧在地不詳の類例一基「永ワ二年十月一日」を実見した、 とあります。 >>192

  • [250] 板碑の総合研究 1 (総論編), 坂詰秀一, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12226011/1/155?keyword=%E6%B0%B8%E3%83%AF (要登録)
    • [251] 私年号板碑, 石村喜英
    • [7] 仏教考古学研究 - 石村喜英 - Google ブックス, , https://books.google.co.jp/books?id=NbIwAAAAMAAJ&q=%22%E6%B0%B8%E9%96%80%22

      373 ページ

      これらはカッコ内の公年号を誤って記したか、異字にそれほど違和感や正誤感をもたなかったための表記であったものと思われる。ゆえに、私年号からはここでは除外し、同音異字年号として扱っておく。 また片仮名交り私文で表示した「永ワ」(永和)なども、これを「永門」とよく類似するところから「永門」とみて、私年号とすることも行私年号板 市・新座市など)に限定集中する 373 碑久保氏の同書以前にも、すでに服部清道氏の『板碑概説』(註 2 )稲村坦元 ...

      374 ページ

      恐らくこのほかにも幾つか五『海録』があり、久保常晴氏の説かれた(註 7 )ところによると、この中に古写経零本の奥書が収められ、それには「論「永ワ」とみて同音異字表記と見年図 119 木玉県北足立地区(富士見市・朝霞市・志銘正月われている。

      375 ページ

      た(註 9 )が、埼玉県で調査の『板碑』でもこれを「元悳(徳)」とし( # 10 )て、同様の観点に立っている私年号板 埼玉鼻比企 ... への疑問を併せて銘文中、年号の二字目がやや不明確ながら、大沢氏はこれを「元悳(徳)元年」と見て、「元徳」の同音異字年号 ...

      379 ページ

      板 私年号板図 130 弥勒 2 年 9 月 され、しかも「如」件」の用例からみれば、恐らく康永(一二~一四)前後のものであろうといわれる(註 2 )。同じ登米郡や隣 5 と見え、私年号としては他に全く未見のもので、久保氏は行書体の書体に限ってみれば、南北朝に ... 熟知の一基であるが、あるいは一般的といえるかどうか、これを同音異字の「至徳元年甲子(三四)」とすることが行われている。

      387 ページ

      5 福徳(欠、不明)、同浦和市 387 私年号板碑 11 千々和実篇『武蔵国板碑集録』二、旧比企郡菅谷村の条。 10 『板碑』 III (埼玉県板石塔婆調査報告書、昭和五十六年)資料編 7 九三頁。同氏と初めて面識を得た折り、同氏からお聞きした。 9 8 同右。

  • [192] 板碑の総合研究 2 (地域編), 坂詰秀一, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12285158/1/72?keyword=%E6%B0%B8%E3%83%AF (要登録)

永知

永知

永和の延長年号

[11] 日本国東京都府中市本町出土 板碑 (府中市教育委員会所蔵) 永和五年 五月十六日 >>390 04

[12] 日本国東京都府中市 板碑 (府中市郷土の森博物館所蔵) 永和五年八月 日 >>390 05

[13] 府中市の板碑で永和五年銘が6基、康暦元年は0基。 永和5年3月22日より後の延長年号のものが5基。 >>390 (8月が遅い例らしい。9月から12月は0基ということか。)

[566] https://tsuru.repo.nii.ac.jp/record/2000111/files/%E9%A6%99%E5%8F%96%E6%96%87%E6%9B%B8%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8%E3%80%80%E9%A6%99%E5%8F%96%E6%96%87%E6%9B%B8%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E4%BF%9D%E5%AD%98%E3%81%AB%E5%90%91%E3%81%91%E3%81%9F%E5%9F%BA%E7%A4%8E%E7%9A%84%E7%A0%94%E7%A9%B6%20.pdf #page=20

[17] 東京都文化財調査報告書 第19 (西多摩文化財総合調査報告書 第1分冊), 東京都教育委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2476882/1/85?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83 (要登録)

[18] しまね史記, 読売新聞松江支局, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9573210/1/74?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83+ (要登録)

関連

[1] 永和は他にもあります。 永和

[9] 仮名書年号

[2] 時系列 :

メモ