掌中歴

二中歴

掌中歴, 懐中歴

[39] 二中歴 - Wikipedia () https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E4%B8%AD%E6%AD%B4

[40] 三善為康 - Wikipedia () https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%96%84%E7%82%BA%E5%BA%B7

[41] 掌中歴 () http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=KSRM-266204

[42] 国書データベース, https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100232904/1?ln=ja

[49] >>35 /134、二中歴が引く懐中抄 (逸書) は掌中歴の直前の時代に成立したと推定している。 掌中歴の段階で既に懐中抄を引いていた可能性は考慮しなくていいのだろうか?

[50] >>43 掌中歴より後に懐中歴が成立したとしつつも、 より古い懐中歴の書写抄本という可能性も指摘している。

Web 版 二中歴

二中歴の成立

[1] 二中歴 - Wikipedia () https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E4%B8%AD%E6%AD%B4

現代には尊経閣文庫本と呼ばれる、加賀・前田家に伝わる古写本が残されているのみで、これは鎌倉時代後期から室町時代にかけての、後醍醐天皇のころに作られたと考えられている。

尊経閣文庫本には順徳天皇の御代に編纂されたとあり、1210年~1221年頃の成立であると考えられている。

[18] >>1 この書き方は誤解を招くよなあ。尊経閣文庫本が最古かつ他の諸本がすべて尊経閣文庫本からの派生と推測されていて、 原本が現存せず他の系統の本が見当たらないというのが正確で、 現存唯一の本ということではない。

[46] >>11 >>34 >>35 を読むと室町時代後期 (戦国時代) に尊経閣文庫本からの写本が世に出回るようになったと書かれているので、 ずっと秘蔵されて知られていなかったというわけでもない。

[47] 現代の研究者にとっての重要度のわりに近代初期までの流布範囲や知名度が低すぎるというのは、まあその通りなんだけど。

[8] ノート:二中歴 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E4%BA%8C%E4%B8%AD%E6%AD%B4

増川宏一『将棋の起源』(ISBN 4-582-76172-0) P.43 より、加賀前田家に伝わっている写本より、順徳天皇の御代(1210~1221年)に編纂されたと言えるそうです。--Tamago915 2006年3月5日 (日) 12:22 (UTC)

[62] 音図及手習詞歌考, 大矢透, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/947199/1/114

[63] >>62 二中歴の来歴を説明した早い例。小杉博士の写本 (尊経閣文庫本の写本で、史籍集覧本のもととなったもの >>35) を参照している。 こと掌中歴こと懐中歴を合わせて成立したものだと言っている。

[73] 五十音図の歴史, 山田孝雄, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1266478/1/81

[74] >>73>>62 を引きつつも尊経閣文庫の複製本の写真を掲載。 二中歴掌中歴懐中歴を便宜類聚したものでこの名があるとしている。 二中歴の編者は不明だが鎌倉時代の末頃と思われるとする。

[64] 日本漢字学史, 岡井慎吾, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1225345/1/100

[65] >>64 史籍集覧本を引く。 女院歴の「二中」を引いて、後人の増補もあるらしいとする。 「二中歴」の名は2種の「○中歴」を合わせたことによるらしいとし、 その1つは官局歴 >>13 /26 を引いて儀中歴らしいとし、 もう1つは名字歴を引いて掌中歴であったかとする。

[68] 「儀中歴」「儀中」は史籍集覧本中、この1箇所しか出現しない。

[71] 支那学芸大辞彙, 近藤杢, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1685570/1/549 (要登録) 左

[72] >>71>>64 を引いて儀中歴掌中歴を合わせたものだろうとしている。

[67] >>66>>64 に対して「儀中歴」は二中歴の原書ではなく、 二中歴掌中歴懐中歴によるものとみるのが穏当としている。

[69] 国語科学講座 X, 明治書院, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1870764/1/105 (要登録)

[70] >>69 懐中歴掌中歴を合して二中歴という、と説明している。 崇徳天皇の頃の成立としている。 群書類従には掌中歴のみで改訂史籍集覧には「揃つてゐる」 のでそちらがいい、としている。

[11] 二中歴 : 尊経閣叢刊. 解説 - 国立国会図書館デジタルコレクション, 昭12, http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1186146/5

[77] 竹頭, 幸田露伴, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1256453/1/84 (要登録)

[78] >>77 昭和13年。尊経閣文庫本を実見しているとのこと。 編者不明、現存本は後醍醐天皇時代の写本とする。 掌中歴4巻と懐中歴10巻を合流させたことによる書名とする。 崇徳天皇大治3年の成立と考えるが、順徳天皇時代説もあって一理あるとする。

[79] アジア問題講座 第八卷, 創元社, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1919027/1/153 (要登録)

[80] >>79 編者不明ながら近頃の研究だと掌中歴懐中歴を合わせて編纂したものといい、 確かに本文中に掌中懐中と注釈があり、女院歴に「二中不載此歴」云々とあるからこの説は動かないだろう、とする。

[12] 算博士三善為康について_v3 - miyoshi_no_tameyasu.pdf, , https://www.lab.twcu.ac.jp/~osada/miyoshi_no_tameyasu.pdf#page=6

[15] https://www.jstage.jst.go.jp/article/chusei/48/0/48_48_16/_pdf/-char/ja#page=4

[16] 国文学研究資料館紀要 (21), 国文学研究資料館, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/4419884/1/55 (要登録)

[20] 古往来についての研究 : 上世・中世における初等教科書の発達, 石川謙, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9524887/1/155 (要登録)

[17] 口遊

[26] >>23 >>24橋本義彦の解説『二中歴』(附)『掌中歴』>>24 には他に前田綱紀の『二中歴』考閲

[29] https://doshisha.repo.nii.ac.jp/record/15825/files/007000470025.pdf

[27] 二中歴は 「「掌中歴(しょうちゅうれき)」と「懐中歴(かいちゅうれき)」の内容をあわせて編集したもの」 >>1 とするのが定説になっているが、何を根拠としているのかよくわからない。 本文にはそんなことは書かれていないし、 掌中歴は一部現存するものと比較したのだろうが、 懐中歴は現存していない。 >>11 もこのことは前提としていて説明がない。

[36] >>34 >>35二中歴の制作過程を詳しく検討しているが、 掌中歴懐中歴が主材料という点はやはり前提としていて、 二中歴の限られた注釈のほかは現存する掌中歴しか論拠がないところが危うく感じられる。

[37] >>35 /229 の京兆歴の「私云」の件は興味深い。 「私云」に続く文は掌中歴にあるという。「私」とは誰のことか。 >>35二中歴編者だとし、それ以後の書写者だとする説を否定する。 しかし掌中歴を原素材とした二中歴編者が「私云」として引くのはおかしくないか。 原素材とされた掌中歴異本には既に「私云」と書かれていたのだろうか。 (>>35 /139 も参照されたい)

[48] >>9 /33, >>13 /12 の藤氏長者条、 藤原緒嗣から始まる元のリストの後に藤原鎌足から始まる 「或本掌中歴」 からのリストを補っているのが何だか意味深よね。

[84] 女院歴の「二中」は二中歴のことなのか、それとも掌中歴懐中歴の2つの「中」のことなのか。

[85] 掌中歴懐中歴の注釈は一様に付いているわけではなく巻3の途中から出現し始める。 正確に言えば巻1の冒頭からいきなり掌中歴は構成が違うと注釈があるが、 その後巻1と巻2にはまったく出てこない。

[86] これはどういうことなのか。掌中歴懐中歴は途中までほぼ同じで途中から内容が変わり始めるのか。 それとも注釈がなくてもどちらか由来のものをそのまま取っていたり、 混ぜていたりするのか。

[87] 二中歴の名前の由来はよく説明されるのに掌中歴懐中歴の名前は全然議論されていないのはなぜか。

[88] そのまま解釈すれば掌中は掌の中、懐中は懐・ポケットの中の意味で使われる語なのだから、 今で言えばハンドブックとか必携とかいうようなものか。

[89] 掌中歴自序は口遊に触発されたと書いているが、 題名のスタイルがずいぶんと違うように感じる。 掌中歴が確立した新しいスタイルなのか、それとも「○中歴」「○中抄」 ブームに乗っかったのか。

[90] 二中歴のもとになったものだけでもこのシリーズの題名のものに 懐中抄, 函中抄, 簾中抄 があり、他にも袖中抄のようなものがあるが、 これらにはどういう関係があるのだろうか。 (更に時代が下るとこれら以外にも「○○懐中抄」のような書物がたくさん作られているようだ。)

[91] 二中歴はそのうち掌中歴懐中歴を使ったということだが、 なぜこの2つが選ばれたのか。二中歴で使っている他の諸書はなぜ採られなかったのか。 他は「歴」ではないからなのか。

[92] 掌中歴懐中歴によるところが大きいからなのか。 しかし掌中歴3巻と懐中歴10巻では分量の差が大きい。 懐中歴掌中歴で増補・校合したとなりそうなものだが。 掌中歴懐中歴と並び立つほど存在感の大きなものなのか。

[94] 掌中歴懐中歴が重視されて編集されたとすると、 なぜ他の○中抄は掌中歴懐中歴ほど重視されなかったのか。

[93] 懐中歴懐中抄はどういう関係なのか。

メモ

[19] 本朝書籍目録考証, 和田英松, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1117041/1/318

[21] 日本地図史, 秋岡武次郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3022553/1/60 (要登録)

[22] 古事類苑 歳時部2, 神宮司庁古事類苑出版事務所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/897572/1/96

[28] 二中歴(ニチュウレキ)とは? 意味や使い方 - コトバンク, デジタル大辞泉,精選版 日本国語大辞典,改訂新版 世界大百科事典,日本大百科全書(ニッポニカ),世界大百科事典内言及, https://kotobank.jp/word/%E4%BA%8C%E4%B8%AD%E6%AD%B4-592098

[31] DO00360R155.pdf, , https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/DO/0036/DO00360R155.pdf#page=6

[33] 173-174.pdf, , http://www.wasan.jp/sugakusipdf/173-174.pdf#page=5


[60] 伴信友全集 第2, 国書刊行会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/991313/1/77 右下

[61] >>60 掌中歴を引いている


[54] 群書類従 第四輯, 塙保己一, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1879724/1/20

[55] >>54 本朝皇胤紹運録頭注の4箇所で二中歴を引いている。

[57] 栗里先生雑著 : 一五巻 下, 栗田寛, 栗田勤, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1087995/1/213

[58] >>57 明治17年逸年号考二中歴を引いている。

[56] 日本書紀通釈 上篇之1,2, 飯田武郷, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/772295/1/42

二中歴を引いている。

[59] 史籍集覧 (>>13) 旧版と新加のうちの新加の方に二中歴

[75] 日本地理学史, 藤田元春, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1213166/1/53 (要登録)

[76] >>75 二中歴所収の懐中歴奥付が付された日本地図。これと同系統のものがの時代の大陸にも流布していた、と。 なお海東諸国紀日本地図は別系統。

[83]

掌中歴自序は口遊が必要なことの410, 510しか書かれていないと述べている。

[95] ウェブで検索すると二中歴は半分陰謀論の聖典みたいになっててしんどいなあ。

[96] 懐中歴二中歴が作られた頃には異本がいくつか得られる程度に使われていたらしいが、 いつしか失われた。いつまで存在していたのか研究したものは見当たらない。 中世以後現代まで、二中歴の原資料として以外での言及はほとんどない。

[97] 掌中歴二中歴が作られた頃には異本がいくつか得られる程度に使われていたらしいが、 多くはいつしか失われ、今はごく一部分が残るのみである。 二中歴にない独自の記述があるため、 二中歴編纂後にも加筆されながら伝写されたことがわかる。 (なお現存本が二中歴編纂に使われた本とどのような関係なのかはまだ検討の余地がありそう。) 完本がいつまで存在していたのか研究したものは見当たらない。 現存本は近世以来研究者に参照されているが、二中歴の原資料としての言及を除けばそれほどよく参照されているわけではない。 群書類従に収録されており近世にはそこそこ知られていたとは思われるが、 現存部分の収録内容がさほど興味を引かれるものではなかったか。

[98] 二中歴がいつどのように作られ、どのように使われたかはほとんど不明だが、 中世後期頃まで追記されながら公家で細々と使われていたのは確か。 中世後期に世に出たが当時の知名度は皆無だったようで、 その後広まったもののほとんど研究者に参照されることなく近代を迎える。 明治時代中頃から少しずつ研究者に使われるようになり、 「掌中歴懐中歴を合わせて二中歴」 の通説が昭和時代の初め頃までに成立した。