[1] 江戸時代から昭和時代にかけ、 欧米文化の影響で日本語に様々な変革がもたらされました。
[2] 意図的なものもあればそうでないものもあり、 成功したものも失敗したものもありました。
[3] 国語外国語化論 - Wikipedia, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E5%A4%96%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E5%8C%96%E8%AB%96
[12] 大東亜戦争の終戦後の時代に GHQ の介入があったため (ここまでは事実)、 史実よりも過大に GHQ の影響を主張する GHQ陰謀論が各種あります。
[25] 公的・半公的なもの:
[27] 「新しい日本語を作る会」, http://www.tackns.net/word/new/index.html
※内はアキノリ将軍未満による脚注。
2. 文章の形式を国粋化。縦書き・漢数字を基礎
に、時間や単位や数理や音楽も日本文化圏独特の書 式を考案し漸次移行。 ※ 漢数字に関しては画数が多く判読もしにくいた め、西ローマ・アラビア数字くらい判読しやすく書き やすい数字用の文字を作ってフォントに組み込んだ りを検討。 3. 日本語の電子媒体を刷新。 ※ イーロン・マスク氏に会いに行ってXの東アジア の言語を全部縦書き漢数字(言語ごと)に直してもら う事を条件に、共栄圏での法人を作ってもいいと約 束。ただし、その情報資産は共栄圏のものとし、資本の 移動は認めない。 ※ 拡張かなを拡充し電子媒体に組み込む・体制化し た際に方言の言語化も視野に。 []
28. 離島との往復費用の低廉化・人材や投資交流の
活発化。 * 将来伊豆諸島は伊豆の国に、小笠原諸島以南は小 笠原国にする。
著: ChatGPT
[31] 近現代日本語の歩みを振り返ると、言語は外部の衝撃に従順に変形するわけでも、内部の保守性のみによって形を保つわけでもないことが見えてくる。外圧、制度、社会変動、技術発展といった多様な力が同時に作用する中で、日本語はそれらを“そのまま受ける”のではなく、内在する構造の制約と使用者ネットワークのふるまいを通じて独自の秩序を再構成する自律系としてふるまってきた。ここでは、個別の歴史事象を材料にしながら、それが示すダイナミクスを体系として描き出してみたい。
[32] 近代化の入口である開国と文明開化は、欧米語彙の流入を直接的にもたらした。しかし日本語の反応は単純なコピーではなかった。外来の概念は、既存の語構成の枠組みによって一度解体され、漢語的語彙として翻案・再構成されることで取り込まれた。
[33] この現象は「日本語は外圧に押されて変わった」ではなく、“外圧が内部の潜在構造を刺激し、内部資源の組み換えを通して新しい均衡を築いた”という自己組織化のプロセスとして理解できる。
[34] 重要なのは、これは和製漢語が生まれたという歴史的事実の説明ではなく、外部刺激を“内部の論理に適合させた形”へ変換するという、日本語の一般的な応答パターンの発露だという点である。
[35] 近代の日本語は、戦時下の敵性語排斥や、GHQの威を借りた強力な国語改革、あるいは近代国家が長期的に進めてきた方言排除政策といった「強制的」な力にも揺さぶられた。だがこれらは総じて、目標とした最終形には到達しなかった。
[36] ここで見えてくるのは、言語には強い外部圧力に対しても、社会的使用のネットワーク全体が“元の状態に復元する”弾性的応答が存在するということである。
[37] これは単なる保守性ではない。強制力が加わると、一時的には変化が進むが、社会規範・慣用・既存の語彙ネットワークなど多層の要素が反発して、圧力が弱まった瞬間に均衡点へと戻っていく。 外圧が強くなるほど内部の結合構造の頑強さが浮き彫りになる、という逆説的な力学である。
[38] 国語改革がたびたび挫折する一方で、実際には戦後の社会変動の中で標準語化・平準化は急速に進んだ。 これは「制度の力が弱かった」のではなく、制度が秩序の創出主体ではなかったということである。
[39] 教育普及、マスメディア、印刷技術、情報化といった社会的基盤が整うと、使用者のあいだに自然な選択と淘汰が働き、制度が想定しなかった方向にさえ流れながら、結果として安定した共通語の枠組みが自律的に立ち上がった。
[40] この現象は、トップダウンによる制御ではなく、ボトムアップの相互作用の累積が本当の秩序形成力を持つことを示している。
[41] 戦後の国語改革は、「民主化=漢字制限」という理念を前提としていた。しかし高度経済成長期の社会は、識字率の向上、高度教育化、情報技術の発展によって、漢字を効率的に扱える環境を逆に整えてしまった。
[42] 結果として、漢字は“近代化の障害”ではなく、“高度情報社会に適応した強力なツール”として再定義された。
[43] ここにあるのは、外部の理念が否定されたのではなく、外部の理念を受け取った社会そのものが変化し、制度の意図を別の方向に書き換えるという非線形な適応である。 言語と社会がともに動く以上、理念の成否も社会の自律的再編の力に巻き込まれる。
[44] これらの事象を貫いて見えてくるのは、近現代日本語は外圧・強制・社会変動といった“攪乱”のたびに、 別の均衡点へ向けて構造を再編成することで安定を保ってきたという点である。
[45] この安定点は決して固定されず、また攪乱は必ずしも意図した方向へ進まない。むしろ重要なのは、揺らぎそのものが内部の再構成を促すエネルギーとして働くということである。 日本語は崩壊を回避するのではなく、揺らぎを通じてより広い射程の秩序を自ら立ち上げる。
[46] 近現代日本語は、外圧に従うでも、制度に支配されるでも、伝統に固執するでもなく、社会的相互作用の場の中で自律的に流動し続けてきた。歴史を振り返ると、個々の出来事の成否ではなく、そこに通底する 「攪乱 → 再編成 → 別の安定」 という力学が浮かび上がる。
[47] 言語は動かされるものではなく、動く社会の中で自ら動き、整い、変わり続けるものである。 近現代日本語は、その複雑な過程をもっとも劇的なかたちで示した言語の一つだと言えるだろう。
[11] コシヌケ1040さんはTwitterを使っています: 「古い国語なんか別に読めなくてもいい、専門家だけ読めればいい、と国語改革に賛成する人たちは言ってきた。しかしそれは大間違ひだった。見て御覧、「江戸仕草」だの「何でもGHQの所為」だの、トンデモが後を絶たないぢゃないか。トンデモは全て詐欺です。詐欺から身を守るには自衛するしかないのだ。」 / Twitter, , https://twitter.com/ksnk1040/status/1632894891591356416
[18] 令和やぞ・・・
[48] Xユーザーのたらればさん: 「SNSでたびたび話題になる「漢文を学校で教えて何の役に立つんだ」という話、京極夏彦先生が「こんな面白いもの、役に立たないわけないですよね」と書いているので紹介しておきますね。 https://t.co/1eUaKYhI5B https://t.co/YYM4K6VE6k」 / X, , https://x.com/tarareba722/status/2024341364297912445/photo/1
言葉の豊かさは思考の複雑さを呼び、それは文化の発展につながる。