[15] 創業命知 (命知, y~1749) は、 日本の実業家松下幸之助が創設した企業グループを中心に使われる私年号です。
[88] 松下幸之助が「使命を知った」ことによる第2創業の日を記念し、 元年としたものです。
[76] 命知は、使命を知ったという意味です >>75, >>32。 松下幸之助が産業人としての使命と松下電器の真使命を知った (>>58) ことを指します。
[89] 創業命知、 命知は単独でこの出来事自体を指すこともあれば、 元号名として使うこともあるようです。
[67] 松下幸之助が設立した企業の1つ株式会社PHP研究所の Webサイトは、 日本語版の「命知元年」制定の記事 >>64 を、 英語版では 「first year of "Meichi" or awareness of the corporate mission」 と書き >>65、 中文簡体字版では 「命知元年」にしたと書きました >>66。
[80] 松下幸之助が設立した企業の1つパナソニック株式会社は、 「命知元年」 を 「First Year of Meichi」 と英訳していました (>>24)。 「命知元年」 を 「Celebrates the first year of "Meichi", or awareness of the corporate mission.」 と訳した例もありました >>98。
[90] これら英語表記より、読みが「めいち」であるとわかります。
[16] 元年は、日本昭和7(1932)年です。
[91] 「命知何年」 と通常の元号年風に表記する方法と、 「命知第何年」 と第何年式に表記する方法があります。 古くは後者だったと思われますが、現在は混在しています (>>56)。
[70] 命知制定当時のことは、 松下幸之助の自叙伝 私の行き方考え方 に書かれていました。 命知と創業記念日 として一章が割かれていました。 >>68 当時のいきさつはよく紹介されますが、 主たるソースはこの本だと思われます。
[58] 初旬 >>57, >>29、 松下幸之助は、 天理教の本部を訪問しました >>27, >>29。 松下幸之助は壮大な施設や熱心に奉仕する信者に感銘を受けました >>57。 当時の天理教は、 4年後の教祖50年祭、 5年後の立教100年を控え、 昭和普請と称する教団本部整備活動を実施していたのです >>29。 松下幸之助はこの経験から産業人としての使命、 松下電器の真使命を知ったのだといいます >>32, >>27。
[55] 、 松下幸之助は社員を集めて創業記念の式典を開催しました。 ここで命知が制定、周知されました。 この場で松下幸之助は、250年の計画を社員に発表しました >>32。 創業命知の年数は、この250年間の計画期間の数え方であったのです。 こうした年数を区切った計画法も天理教に学んだものだったといわれます >>29。 (Wikipedia は250年計画はヘンリーフォードに倣ったものとしていました >>30。)
[56] 松下幸之助の自叙伝によれば、 社員達に対し、 昭和7年を 「創業命知第一年」 と定め、 以後 「第二年」、 「第三年」 と数えていくことを述べました。 >>54
[59] 自叙伝は、 昭和29年、 昭和43年、 昭和61年、 平成9年と繰り返し出版されました。 元々は戦前に社内報として執筆されたものだといいます。 >>68 実際のスピーチをどの程度忠実に反映したものかは不明ですが、 詳細な内容が書かれているということは、原稿でも残っていたのでしょうか。
[34] パナソニック株式会社の Webサイトでは、 昭和7年を 「創業命知(真使命を知る)第1年」 と定めたと説明されました。 >>32
したがって昭和八年は意義深い命知二年、本格的躍進を期した年であったが、またこれにふさわしく新社屋の建設が成り、いよいよ使命の達成へ掛固ましく出発したのである。
261 ページ
しかして本年を以て創業命知第一年とすることにする。爾後命知第二年第三年と なしていくのである。命知とは命ただここに最後に一言いっておくが、われわれ の理想は高く、使命また遠大である。従って自分の諸君に要望することも、ある ...
279 ページ
この年は命知二年としていよいよ使命遂行の本格的段階に入った年であり、会社 全体としても自分としても、大いなる意気込みを以って年初を迎えた。そして 本社と本社工場の新築は急速に進んで、昭和八年一月十三日、中川組に請負わせ てい ...
284 ページ
従って昭和八年は意義深い命知二年、本格的躍進を期した年であったが、また これに相応わしく新社屋の建設が成り、いよいよ使命の達成へ逞しく出発した のである。ここでちょっと当時の人的内容についていうと、昭和七年五月五日の 創業 ...
1932年を『命知元年』と定めて5月5日に第1回創業記念式を開き、ヘンリー・フォードに倣った『水道哲学』『250年計画』『適正利益・現金正価』を社員に訓示した。
そして最後に幸之助は、このようにいいました。
「今日、五月五日、松下電器は、真の創業にはいった日です。
この日を創業記念日として、毎年式典をあげることとします。そして、本年を創業命知第一年とします。
命知(めいち)とは、命を知ったという意味です。
思えば過去の十五年は、母の胎内に入っていたようなもので、今日、松下電器はこの世に生まれ出たのであります。」
[60] これら第何年方式に対し、一般的な元号年の方式による記述も見られます。
[24]
昭和7年を命知元年と定めたとする説
>>1
がよく見られます。
財団法人松下社会科学振興財団松下資料館の
Webサイトに掲載された館長の川越森雄の挨拶文にも、
「昭和7年」は「命知元年」だとありました >>28。
PHP研究所の
Webサイトにも、
「この年を命知元年と」
するとありました >>26, >>64, >>31。
パナソニック株式会社パナソニックミュージアム松下幸之助歴史館には
命知
コーナーがあり、
「
[72] 松下幸之助の昭和49年の著書 道は明日に に、 感動の命知元年 と題した節がありました >>71。 つまり松下幸之助自身も初年を命知元年と呼んでいました。 本書は雑誌連載の単行本化であり、 初出はもう少し遡る可能性があります。
[53] 松下幸之助の自叙伝は、 昭和8(1933)年を指して 「命知二年」 と書いていました。 >>3, >>54 同じ本の元年のスピーチに従うならこれは「創業命知第二年」と呼ぶべきものです。 どちらの言い方もあり得たのか、あるいは簡単な方へと変化していったのでしょうか。
感激の命知元年5月5日
当社の真使命を明示した所主告辞やその使命達成のための遠大な250年計画に、参加者は全員が感激し、興奮して次々に壇上で決意を表明、会場は興奮のるつぼとなり、午前10時に開会した式典は、午後6時に至ってようやく閉会した。
創業者は、当社が真の創業に入る記念すべきこの5月5日を創業記念日に制定し、この年を創業命知第1年とした。「命知」とは、使命を知ったということである。
参考:第一回創業記念式における所主所感、社内誌「松風」1973年5月号、1981年2月号
感激の命知元年5月5日
松下電器はこの年を創業命知(真使命を知る)第1年とし、以後毎年5月5日を創業記念日に制定、厳粛に式典を挙行している。
昭和7年 第1回創業記念式、経営理念の確立(命知元年)
1932年を『命知元年』と定めて5月5日に第1回創業記念式を開き、
5月5日を創業記念日に制定し、第1回創業記念式典を挙行、産業人の使命を闡明(せんめい)、この年を命知元年とする
[20] 松下幸之助が命知を使って年を数える方法を何に着想したものでしょうか。
[100] 会社の創業や学校の創立など組織の発足から何年目、何周年と数えること自体は今でも一般的で、 命知の昭和時代初期も珍しいことではなかったと思われます。
[101] 企業が真の創業の後のある時期に「第2創業」などと称して心機一転、 初心に帰るといったスローガンを掲げるのは、現代ではままあることです。 法人化や改組のような節目と同時に行う場合もあれば、 経営者の気まぐれ(?)による場合もあり、 経営不振や不祥事からの再出発を目指した場合もあるようです。 昭和時代初期にそうした発想が他の企業経営者にあったのかどうかは分かりません。
[102] ところでこれは、考えてみれば漢の時代に始まった即位紀年の改元の習慣そのものです。 国家レベル、政権レベルで人心一新のため皇帝在位中なのに元年にリセットした故事を、 企業レベルで再現したものと見ることができます。 私年号という言葉がこれほど相応しい事例もなかなかないでしょう。
[21]
松下幸之助が天理教を視察した当時、
天理教は設立から100年を迎えようとしていました。
天理教ではこれを「立教第百年」と呼んでおり、
そこに至るまでの各年も「立教第九十何年」のように呼んでいたのです。
[22] 松下幸之助がそれをどこかで見かけたか、 それが書かれた資料で読んだのだとすれば、 通常の元号年の表記とは違う 「第何年」 表記としたことも、 第0年から数える「創業何周年」 とは違う第1年から数え始める方式としたことも説明が付きます。
[92] 松下幸之助の松下電器産業株式会社、 現在のパナソニック株式会社は、 その後も創業命知を使った記念行事を継続していました。
[93] 創業記念に関係する場面ではこの数え方がよく出てきますが、 通常の業務では一般的な日本企業と同じように日本の元号や西暦を使っているようです。 (以前は皇紀も使っていたかもしれません。)
[52] パナソニック株式会社の
Webサイトによれば、
に
「創業命知第50年創業記念式」
「創業命知50年記念式典」
が開催されました。
Webサイトの説明文には2通りの表記がありましたが、
挿絵として描かれた会場ステージ背景には、
「
[62] 財団法人松下社会科学振興財団松下資料館に 命知をふりかえって という付の松下電器命知50周年記念式典と書かれた映像がありました。 >>61 同じ50年ですが、こちらでは周年式の数え方となっています。
昭和56年は、創業から数えて63年目に当たるが、昭和7年に相談役が事業の真使命を明示してから、ちょうど50年目になる。それを記念して、5月5日、枚方の松下電器体育館で創業命知第50年創業記念式が開催された。
[63] -、 松下電器産業株式会社の松下電器歴史館で創業命知75年記念特別展 松下幸之助の「ものをつくる前に人をつくる」~経営の根幹は人にあり~ が開催されました。 >>10, >>9 案内文には、 「本年は、松下幸之助が事業の真の使命を知った(命知)昭和7年から75年目の創業命知第75年にあたります。」 とありました。 >>10
[96] 本稿執筆時点でリアルタイムの年を記述したと思われる、 確認できる最新の松下電器産業株式会社関係の用例は、 西暦2006年の「創業命知第75年」です。 >>10 にパナソニック株式会社に改称した後も、 「命知」や「命知元年」 への言及は数多く見つけられますが、 現在が何年であるというような利用例は見つけられません。 過去の年 (元年以外) を言及した事例としては、 西暦2014年の「命知25年」が確認できます >>77。 もう命知を使うのをやめてしまったのでしょうか。
本年は、松下幸之助が事業の真の使命を知った(命知)昭和7年から75年目の創業命知第75年にあたります。
「ものをつくる前に人をつくる」/創業命知75年記念特別展(2006)
/松下幸之助歴史館(パナソニック)
創業命知第50年を翌年に控えた1980年1月、ランドボルグ氏(バンク・オブ・ アメリカ元会長)との対談にて(85歳)
命知25年にあたる250年計画第2節を目前に迎えた1956年度の経営方針発表会で創業者は、戦後10年間にわたる苦難の期間と希望に満ちた再建の期間を終わり、本格的な活動期に入ったとして、「松下電器5カ年計画」を発表した。
[81] 松下電器自身が「命知第50年」と「命知50周年」 (= 51年) の2つの数え方をしていますが (>>62)、 それ以外にも外部と思われる人達が本来と1年ずれた命知 (周年式の命知) を使うことがあります。 元号の数え方と周年の数え方を混同した誤りと思われます。
1つは、松下電気器具製作所を設立した1918年3月7日である。まさしく創業日といえる日である。
そして、もう1つは、創業命知の日と呼ばれる1932年5月5日だ。
社内の呼び方でいえば、2009年は、「創業91年、命知77年」ということになる。
[82] 西暦2009年は、 創業を0年と数えて91周年、 命知を0年と数えて77周年の命知76年。
平成30年3月7日、パナソニック株式会社 – Panasonicが100周年を迎えました。
こうして、松下氏はこの日を”命知元年=産業人の命を知った日”として創業記念日としたのです。
松下電気器具製作所を作ってから14年後に命知元年を迎えているので、すなわちパナソニックは今から14年後の2032年に命知100年を迎えることになります。
[83] 平成30(2018)年は、 創業を0年と数えて100周年。 西暦2032年は、 命知を0年と数えて100周年の命知99年。
[85] 松下幸之助はパナソニックをはじめとする巨大な企業群を作り上げ、 松下政経塾を設立するなど、 日本の政財界に極めて多大な影響を与えました。 多くの人が今も松下幸之助の理念と経営術を学び続けています。
[86] その松下幸之助の「使命」を知ったという記念碑的な出来事である創業命知は、 当然ながら多くの注目を集めています。 Web や SNS で検索すると、 松下幸之助が創業したパナソニックグループ、 PHP研究所、 松下政経塾の関連サイトをはじめ、 他の企業の経営者や一般の人が非常に多く言及していることがわかります。
[87] ただし命知のエピソードへの言及は極めて多く、 「命知元年」の紹介もかなり多いのですが、 不思議なことに紀年法としての命知に言及したものは、 数えるほどしか見つけられません。
[97] 社外の利用例と思しきもののほとんどは、 命知の紹介の一貫で今年は何年に当たるといったような書き方をしたものです。 例示を超えて実用に至っていると思われるものは見つけられません。
事実、松下電器では、塾主がこの産業人たる使命を感得し年を新たな創業の年、命知元年として告示したところ、それ以降従業員も使命感を持って仕事に取り組み、いわば「経営に魂が入った」状態になったのである。
彼は「企業の使命」を知った昭和7年を「命知元年」と決め,独自の元号を制定していた。これは彼の死後も松下の内部では生き続けている。
創業者は
松下電器が
真の創業に入る
記念すべきこの5月5日を
創業記念日に制定し
この年を
創業命知第1年とした
我要把今年取名叫'命知'创业第一年,以后就是命知第二年、第三年,......依此类推,直到命知250年。'命知'的意义就是'知道生命'的意思。
[99] 紀年法を扱った書籍や一覧表にもあまり掲載されていません。
[36] ソノヤマ・タカスケさんはTwitterを使っています 「「え?命和?」「え?令知?」って見間違っておられる方を立て続けに見かけて、創業記念の日に「天命を知った記念すべき日」として「命知元年」と名付けた松下幸之助翁のことを図らずも思い出してしまった。」 / Twitter (午後1:18 · 2019年4月1日 , ) https://twitter.com/T_SONOYAMA/status/1112569943499825152
[51] その他松下幸之助を手本とする経営者達が自分にとっての「命知」 を定めていることがあります。
その意味でも今年を「命知元年」と定義した。
この命知元年は、昭和7年5月5日に、
松下幸之助さんが使命に目覚めた日と
されている。
そこから松下電器の大躍進が始まったとされる。
「ジコタツ」もいよいよ9年目に入った。
そこで「命知元年」と定義して
次の飛躍のための準備の時としたいものだ。
[45] 日本国三重県津市の企業株式会社北村製作所は、 自社独自の命知を使っています >>43。
[46] 令和2(2020)年が「創業50周年」で「命知20年」でした >>43。
[47] 創業はで >>44、 昭和45(1970)年を第0年と数えた50周年。
[48] 命知を逆算して第1年は平成13(2001)年。 旧有限会社北村製作所から株式会社北村製作所に改組した年でした >>44。
[50] 社内では毎年記念日頃に使われていそうですが、 Web 上では他の用例は見つけられません。
おかげさまで弊社は、今年2月で創業50周年と同時に、メーカーとして命知20年を迎えることができました。
(新聞の写真あり、新聞内に「「命知」とは、」と説明あり。)
[17] 日本を中心に活動する武道団体極真会館は、 松下幸之助に倣って平成23(2011)年を極真会館の命知元年と定めました。 ただし、元年スローガン的な用法しか見当たらず、 2年以後は見つけられません。
松井館長は今年が極真会館最大の行事である『全世界空手道選手権大会』の第10回記念大会を開催する大きな節目の年であることから、「今年は極真会館の命知元年(松下電器=現パナソニックの創始者・松下幸之助が自分の会社の使命を悟った日としてこう名付けた)として定める」として所信表明を宣言した。
極真会館は、2011年を『極真会館・命知元年』と定めて、震災のちょうど2カ月前にあたる2011年1月11日に、「極真会館は、世界平和を目指し、武道空手道の普及による社会体育活動を通じて、社会に有用たる人材の育成に努める」という団体活動目的と、「最強求道の志・相互互恵の志・永続繁栄の志」という3つの団体活動指針を公式表明いたしました。
なんとあの昭和の経営の神様、松下幸之助が1932年を「命知元年」と定めて、「水道哲学」や「250年計画」という目指すべき大きな大きな目標を掲げ松下電器を大発展させたのと同じように、本年を【極真会館 命知元年】と定め、新年合宿でその方針を発表されました。
極真会館「命知元年」・活動指針要綱
さて論語に「十有五にして学に志し、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る」とあります。五十歳は人の生涯において命知の年ともいわれます。ぜひ今年を「命知元年」にしようではありませんか。
[105] 新風 (95), 東京だより新社, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1789018/1/28 (要登録)
[106] PHP総合研究所所蔵松下幸之助関連資料 : 二〇〇六年一月一日~六月三十日, PHP総合研究所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/8695753 #page=7
[107] 松下幸之助年譜, PHP総合研究所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/8695825
[108] 標準化と品質管理 = Standardization and quality control 35(1), 日本規格協会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2797446/1/19 (要登録)
[109] https://dl.ndl.go.jp/pid/2484630 (非公開)
創業三十五年史
図書
松下電器産業三十五年史編集委員会, 1953
38: して当年をもつて創業命知第一年と名付け、爾後、命知二年、命知三年となされてゆくことに
[110] 松下幸之助の世界, 中村寿雄, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2974999/1/58 (要登録)
[111] https://dl.ndl.go.jp/pid/3371464 (非公開)
週刊現代 10(12);1968・3・28
雑誌
(講談社, 1968-03)
32: 知ったという意味で「命知第一年」と名づけられた。この命知年号でいけば、ことし松下は「命知三十