[3] 元号考は、 森鴎外が日本の元号について調査した結果をまとめたものです。
[4] 大日本帝国の宮内省図書寮の図書頭に就任した森鴎外 (森林太郎) は、日本の天皇の諡号や元号について研究しました。 前者が帝諡考としてまとめられて大正10年に配布された後、 後者に取り組みました。 >>6 p.310
[16] 森は大正9年頃既に元号研究に着手していました。 、 幼馴染の親友だった賀古鶴所への書簡で、 明治や大正が過去に他国の元号として使われたとされることや、 「正」が「一」と「止」に分解できることから支那で好ましくないとされることなどを挙げ、 否定的な見解を示していました。 、 やはり賀古への書簡で、女、酒、煙草、宴会を止め、 もはや仕事を辞めるしかないが、「最大著述」の元号考) をやめて1年長生きするのと止めずに1年早く死ぬのとを比べ、 文字通り命を賭して研究していたことを示しました。 しかし残念ながら森は元号考を完成できずに 、没しました。 >>6 p.316
[5] 森の遺志により図書寮編修官の吉田増蔵が森の元号考原稿を補訂しました。 >>6 p.6, p.310 吉田は森と同じ頃宮内省に任ぜられ、森の部下となった漢学者でした。 森は吉田にあとを託しました。 森の死去直前の日記の代筆も吉田によるものでした。 >>6 p.318 吉田は後に昭和改元で「昭和」の元号の考案者となりました。
[7] 補訂版は鴎外全集第6巻 (1926年) に収録されました。 >>6 p.6
[13] 全集の編纂者の与謝野寛は、 元号考は森と吉田の共撰というべきものながら、 吉田が辞退したと全集に記しました。 吉田は、森の遺志に自ら満足できるだけの完成を遂げられなかったのは遺憾とコメントしていました。 >>6 p.311
[14] 普及版 (昭和12年) の後記で森潤三郎は、 旧版の原稿は誤って焼却され、 図書寮にも自筆原稿は保管されていなかったため、 旧版全集を底本に引用元を捜索し可能な限り校訂を試みたものの、 不満足な結果となったとしていました。 >>6 p.311
[8] 更に鴎外全集第13巻 (1953年) にも収録されました。 >>6 p.6 後記で森於菟は、昭和12年の後記の通りとしました >>6 p.312。
[9] 、 元号通覧として文庫版が出版されました。 1953年版を底本に、 旧字体を新字体に改め、 明らかな間違いは訂正され、 元号ごとに読み (国史大辞典のもの) と西暦の期間が追加されました。 >>6
[10] 大化から大正までの日本の元号について、 読み方 (旧仮名遣い)、 改元日、 改元事由、 考案者、 未採用案、 採用案および未採用案の出典などをまとめたものでした。 >>6
[12]
現在も日本の公年号として知られているものが、
南朝も北朝も含めてすべて挙げられていたほか、
白雉と朱鳥の間に白鳳があり、
天武天皇の元年の元号とされていました。
出典は日本紀に白鳳十五年に朱鳥元年に改元したとあるとしていました。
>>6
[11] 未完成原稿のためか、元号によっては情報が欠けているものもありました。 南朝の元号についてはほとんど情報もなく、 一部の南朝の元号の年次は現在知られているものと異なっていました (当時まだ現在の学説が確立していなかったため)。 >>6
[15] 元号通覧には猪瀬直樹の「解説」が収録されています。 この「解説」の一部省略版が Webサイトで公開されています >>2。
[17] 猪瀬は、帝諡考の上編のような総論も森鴎外は企図していたと予想しています >>6 p.320。
[18] 猪瀬は、森鴎外が「中外元号考」と呼んでいたこと、 吉田が日本のみならず各国の元号を集めた 年号索引 をまとめていたことから、森も元号考に各国元号をまとめ、 将来の元号の選定に資そうとしたのではないかと予想しています。 >>6 p.321
[20] 帝謚考 - 国立国会図書館デジタルコレクション (宮内省図書寮著, 大正8) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1185521/1
[19] 元号に賭ける, 猪瀬直樹, 日本ペンクラブ電子文藝館 () http://bungeikan.jp/domestic/detail/90/
[1] 猪瀬直樹/inosenaokiさんのツイート: "森鷗外の『元号考』が講談社学術文庫から『元号通覧』として刊行されますが 吉田増蔵の労作「年号索引」を含めた長い解説を僕が書いています。日本という国にとって、日本人にとって元号とは何か、いまこそ立ち止まって考えてみる時期でしょう。 https://t.co/P1XRU53WPA… https://t.co/pGfNfFUw4P" () https://twitter.com/inosenaoki/status/1111157171406798848
[21] h31_03.pdf, , http://miyako-museum.jp/issue/pdf/h30/h31_03.pdf#page=2