[15] 朱鳥は、 天武天皇の時代に使われた日本の元号の1つです。
[21] 信州味噌の歴史, 「信州味噌の歴史」編集委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3442767/1/20 (要登録) 左
[8] 釈日本紀 28巻 | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ, https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00005881#?c=0&m=0&s=0&cv=422&r=0&xywh=2266%2C800%2C846%2C234
「
[9] 国史大系. 第7巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション, 経済雑誌社, 1897-1901, http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991097/431
「
ルビ上揃え
[24] 19960601013.pdf, , http://www.tagenteki-kodai.jp/19960601013.pdf#page=4
[25] >>205 は昭和時代の自治体史ですが、 /66 と /68 には持統天皇時代の朱鳥3年という延長年号が出てきます。
[26] 特に /68 は日本書紀から「「朱鳥三年春正月、筑紫の」」と引用しています。 実際には持統天皇紀3年条にある記事なのですが、勿論原文には「朱鳥三年」などとは書かれていませんし、 そもそも原文は書き下し文ではありません。
[27] 日本書紀からの引用の形を取っていても、 実際には日本書紀自体ではなく日本書紀を読みやすく改めたものであるわけです。
[28] そして偶然なのか必然なのか、 万葉集所引日本紀と同じように、 持統天皇時代の紀年に「朱鳥」を誤って補っています。
[29] さすがに昭和時代の自治体史の編纂で日本書紀からの引用するのに何らかの形の日本書紀を参照したのではないとも考えにくく、 万葉集をはじめとする古来の文献とは独立に、 同じような誤りが起こり得ると実証したものとみなして良いのではないでしょうか。
[2] 呉の元号で赤烏があります。 紛らわしいことに赤鳥と書かれることがあります >>3。
[1] 朱鳥 - Wikipedia () https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E9%B3%A5
「飛鳥」の表記について : 地名と枕詞
[5] 飛鳥時代の金石文, 吉永登, 関西大学東西学術研究所紀要 5: 1-11, () https://kuir.jm.kansai-u.ac.jp/dspace/bitstream/10112/16104/1/KU-0400-19720330-01.pdf
[6] <研究ノート>四神の一、朱鳥について () https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/239303/1/shirin_077_6_933.pdf
[10] 日本百科大辞典 第5巻, 三省堂編輯所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/898069/1/672 (要登録)
[11] 松阪市史 第3巻 (史料篇 古代・中世), 松阪市史編さん委員会 編著, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9570231/1/335 (要登録) 左
朱雀3年 天武天皇
[12] https://fukuyama-u.repo.nii.ac.jp/record/5786/files/KJ00004163114.pdf #page=20
朱鳥は私年号ともいうが、
[13] >>12 古代年号の混沌とした状況からエセ情報を掴まされた? でも「白雉」にはそういう記載がない。
[22] 朱雀と日本の古代年号の謎。「朱雀」という年号があった? - 不思議なチカラ, http://fushigi-chikara.jp/sonota/9011/
[23] >>22 よくある「調べてみました! わかりませんでした! いかがでしたか!」式まとめブログと同じ構造だけど、 こればかりは事実わからないから仕方がないなw
[30] もう一つの歴史教科書問題 九州年号見つけた②ーー菅原道真の刀剣に刻まれた「朱鳥」, https://rekisi.tosalog.com/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E5%B9%B4%E5%8F%B7%E8%A6%8B%E3%81%A4%E3%81%91%E3%81%9F%EF%BC%81/%E8%8F%85%E5%8E%9F%E9%81%93%E7%9C%9F%E3%81%AE%E5%88%80%E5%89%A3%E3%81%AB%E5%88%BB%E3%81%BE%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%80%8C%E6%9C%B1%E9%B3%A5%E3%80%8D
さて、その時伝えられたとされる剣について、『皆山集①』潮江村の天満宮(現在の潮江天満宮、高知市天神町19-20)の項に次のような記述がある。
「御剣銘に朱鳥二年八月北 神息とみゆ」(P356)