顓頊暦紀年法

古代の十二支・干支紀年法

[14] 太古の昔には現行干支紀年法十二支年と異なる、それらの原形となった紀年法が使われていました。

紀年法の発展

[27] 川原秀城は、 各国が独自の即位紀年を使っていた春秋戦国時代、 混乱を解消するために天象に基づく紀年法を模索したのが木星紀年法だと説明しています。 >>16 ただしその根拠は説明していません。

[28] 川原秀城木星紀年法干支紀年法の2つの紀年法に分けています。 また、木星紀年法から干支紀年法へは5段階で発展したと説明しています。 >>16

  1. [55] 歳星紀年法 戦国時代初期
  2. [39] 戦国期太歳紀年法 西暦紀元前4世紀頃
  3. [46] 顓頊暦紀年法 秦始皇帝元年 西暦紀元前246年から
    1. [47] 顓頊暦紀年法十干十二支紀年 秦漢移行期頃から
  4. [48] 太初暦太歳紀年法 太初元年 西暦紀元前104年から
  5. [49] 三統暦の太歳紀年法 前漢末から
  6. [50] 超辰法の不履行 後漢から, 元和2年改暦で完全廃止
[29] 顓頊暦紀年法を2分して6段階ともいえるとしています。 その場合は最初の3紀年法が木星紀年法、残る4紀年法が干支紀年法ということでしょうか。

歳星紀年法

[51] 戦国時代初期、 木星 (歳星) の軌道面ないし天の赤道帯を12等分し、 十二次としました。 木星は1年に1次ずつに移動するものとしました。 >>16

[52] このうち星紀の中央に太陽がきたとき冬至に当たるとしました。 >>16

[53] 歳星紀年法春秋左氏伝国語に見えます。 >>16


[38] 顓頊暦元と歳星紀年法 () https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/66667/1/jic059_323.pdf

[6] 近代デジタルライブラリー - 戦国秦漢の暦法 ( 版) http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1063831

[40] 暦Wiki/十二次 - 国立天文台暦計算室 () https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/BDBDC6F3BCA1.html#t7ba0e03

[42] () http://www.wa.commufa.jp/tora/thedayafter/calender/saisei.htm

[82] 密教文化 Vol. 1956 No. 35 001加地 哲定「大術暦考 (続々) P1-18」.pdf, , http://echo-lab.ddo.jp/Libraries/%E5%AF%86%E6%95%99%E6%96%87%E5%8C%96/%E5%AF%86%E6%95%99%E6%96%87%E5%8C%96%20Vol.%201956%20No.%2035/%E5%AF%86%E6%95%99%E6%96%87%E5%8C%96%20Vol.%201956%20No.%2035%20%20001%E5%8A%A0%E5%9C%B0%20%E5%93%B2%E5%AE%9A%E3%80%8C%E5%A4%A7%E8%A1%93%E6%9A%A6%E8%80%83%20(%E7%B6%9A%E3%80%85)%20%20P1-18%E3%80%8D.pdf#page=12

戦国期太歳紀年法

[54] 天の赤道を12等分した区分に十二辰: 子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥があります。 十二辰十二次木星の運行は一対一対応しますが、 順序が正反対でした。 >>16

[56] 西暦紀元前4世頃、 歳星円軌道の1本の直径に対して線対称の位置にある天体を想定し、 太歳, 歳陰, 太陰などと称するようになりました。 >>16

[58] 太歳木星と逆方向、十二辰と同じ順序で運行します。 >>16

[59] この十二辰を使った太歳紀年法が使われるようになりました。 >>16

[57] 戦国時代木星十二次太歳十二辰 (>>16 の図1を参考に作成)
                   戌      亥
                    ^       ^
            酉  降婁|   娵訾|     子
             ^  |   |   |   |      ^
     申  大梁|  |   |   |   |  玄枵|     丑
      ^  |   |  |   |   |   |  |   |      ^
  実沈|  |   |  |   |   |   |  |   |  星紀| ↖ 木星
  |   |  |   |  |   |   |   |  |   |  |   |
---------------------------------------------
  |   |  |   |  |   |   |   |  |   |  |   |
  |鶉首  |   |  |   |   |   |  |   |  |析木  
  v      |   |  |   |   |   |  |   |  |
  未     |鶉火  |   |   |   |  |大火  |
         v      |   |   |   |  |      v
         午     |鶉尾   |寿星  v      寅 ↙ 太歳
                v       v      卯
                巳      辰

[60] 太歳紀年法呂氏春秋に見えます。 >>16

[63] 国語春秋左氏伝呂氏春秋の紀年と実際の木星の位置との星次差から、 これらは星次差が0となる西暦紀元前4世紀頃に行われたものと考えられています。 >>16


[44] 太陰紀年法(たいいんきねんほう)とは - コトバンク (,世界大百科事典内言及 著, 版) https://kotobank.jp/word/%E5%A4%AA%E9%99%B0%E7%B4%80%E5%B9%B4%E6%B3%95-1357619

歳星紀年法は太歳紀年法や太陰紀年法(木星の鏡像の位置によって年を表す方法)に発達したが

[30] 太歳 - Wikipedia ( 版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E6%AD%B3

[31] 干支 - Wikipedia ( 版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B2%E6%94%AF#.E5.A4.AA.E6.AD.B3.E7.B4.80.E5.B9.B4.E6.B3.95

[32] 旧暦で閏年のある年を太歳(大才)と呼んでいたか分かりますか?... - Yahoo!知恵袋 () http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12161327442

[33] () http://www.wa.commufa.jp/tora/thedayafter/calender/taisai.htm

[34] 天武天皇の年齢研究-干支と太歳 () http://www7a.biglobe.ne.jp/~kamiya1/mypage-g12.htm

[35] () http://www.cam.hi-ho.ne.jp/munehiro/science/shinjyoshinzo/saisei-kiji.pdf

[36] () http://www.cam.hi-ho.ne.jp/munehiro/science/shinjyoshinzo/saden-kokugo-2.pdf

顓頊暦紀年法

[65] 木星公転周期は11.86年で12年より少し短いため、 元期から約85年で1次のずれが生じます。 >>16

[66] 秦始皇帝元年 (西暦紀元前246年)、 顓頊暦紀年法が使われるようになりました。 >>16

[68] 戦国期と比較して顓頊暦では木星は3辰、 太歳には1辰の差があります。 >>16

[64] 顓頊暦木星十二次太歳十二辰 (>>16 の図1を参考に作成)
                   酉      戌
                    ^       ^
            申  大梁|   降婁|     亥
             ^  |   |   |   |      ^
     未  実沈|  |   |   |   |  娵訾|     子
      ^  |   |  |   |   |   |  |   |      ^
  鶉首|  |   |  |   |   |   |  |   |  |玄枵 ↖ 木星
  |   |  |   |  |   |   |   |  |   |  |   |
---------------------------------------------
  |   |  |   |  |   |   |   |  |   |  |   |
  |鶉火  |   |  |   |   |   |  |   |  |星紀  
  v      |   |  |   |   |   |  |   |  |
  午     |鶉尾  |   |   |   |  |析木  |
         v      |   |   |   |  |      v
         巳     |寿星   |大火  v      丑 ↙ 太歳
                v       v      寅
                辰      卯

[69] 五星占緩徐律暦志顓頊暦紀年法 (十二辰) がみえます。 >>16

[70] 秦漢移行期頃、十干を併用した十干十二支を使うようになりました。 >>16

[71] 淮南史天文訓干支紀年の初出とされます。 >>16

[101] >>34顓頊暦紀年法太歳、それ以前のものを太陰と呼んで区別したとしています。

太初暦紀年法

[72] 川原秀城は、 太初暦木星の位置から歳名を決めたのは従来と同じでありながらも、 太初元年が15ヶ月で、 1年間に木星が1辰を超えたので、 この年の干支、紀年の元期が (顓頊暦紀年法なら丙子となるところ) 1つ先の丁丑と改められたのだと説明しています。 >>16

[73] 年始改正で15ヶ月になった結果たまたま1辰を遥かに超える長さになったことと、 干支年を天測に揃える形で従来基準より1年分進めることになったこととは、 改暦という機会に都合よく設定されただけで因果関係とするべきではないように思われるのですが、 このように説明する根拠はあるのでしょうかね。

[45] 太初 (漢) - Wikipedia ( 版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%88%9D_(%E6%BC%A2)

太初元年については以下の4種がある[1]

  • 丙子:『漢書』による。
  • 甲寅:『史記』に「甲寅」とあることから。
  • 丁丑:紀元前67年から単純に60年サイクルの逆算
  • 戊寅:『史記』に「寅」とあることから。

[67] 地節 - Wikipedia (, ) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%AF%80

干支については2年、3年ともに甲寅となっている

超辰法

[74] 前漢末、太初暦を改め三統暦が作られましたが、 超辰法が導入されました。 >>16

[75] 歳星太歳は144年に1次を余分に進めて145次動くとされました。 12 ÷ 145144 ≒ 11.917年の公転周期に相当します。 >>16

[76] 三統暦暦元三統上元は、 太初元年の143127年前です。 この年を丙子12としました。 >>16

[93] 太初元年はなので、三統上元となります。

[98] 西暦年 ad干支年 k は、

O = −143230

k = (22 + ad + ⌊ adO144 ⌋ ) % 60

で求められます。

[77] 三統暦に従うと太初元年は丙子となります (顓頊暦紀年法相当)。 に乙酉を飛ばして丙戌となります (太初暦紀年法相当)。 大始2年から後漢光武帝建武25年までは太初暦紀年法三統暦紀年法が一致します。 つまり三統暦紀年法による過去の紀年は当時行われたものと一致しない場合があります。 >>16

[78] 三統暦によれば超辰して辛亥としなければならないはずですが、 庚戌とされました。 >>16

[79] 実施しなかった理由は難しすぎた、理解できなかったという説もあるようです。 >>16

[80] 元和2年に三統暦から四分暦改暦されました。 このとき超辰法は廃止されました。 >>16

[99] は現行干支紀年法で甲辰40です。 三統暦紀年法の式 (>>98) によれば戊午54になります。


[95] >>124 >>61 は86年に一度超辰すると説明しています。

[100] >>34 は約85年ごとに1次ずれるので修正が必要と説明しています。 (85/6年ごとに超辰するとはいっていません。) しかし >>34 は太初元年 (太初暦)、太始2年 (三統暦) と次々と超辰したとも説明しています。

[62] 十二支の起源と干支紀年は単純な60周期ではなかった! 時代や地域により異なること - NAVER まとめ () https://matome.naver.jp/odai/2141189052752056601?page=1&grid=false

[61] 新江 利彦 (Toshihiko SHINE) - 研究ブログ - researchmap, Japan Science and Technology Agency, https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/478418/f27697ca22778495fd65b8079c90677a?frame_id=973630

[41] 十二辰 - Wikipedia () https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%BA%8C%E8%BE%B0#.E5.A4.AA.E6.AD.B3.E7.B4.80.E5.B9.B4.E6.B3.95

その後

干支紀年法, 十二支年

異種紀年法説

[1] 記録には、現在に続く干支紀年法が通用したはずの時代に、 現在に続く干支紀年法と解釈すると何年かのずれが生じてしまうものが散見されます。 干支年, 1年ずれ

[2] その大部分は何らかの誤りに過ぎないと解釈されています。しかしながら、

  • [3] 誤りでは片付けられず、現在に続く干支紀年法と異なる紀年法が使われた可能性が指摘されるものが少数あります
  • [4] 誤りで説明が付くものも含め、例外的な事例をかき集めて独創的な解釈を加えることで、 他にない独創的な解釈を展開したり、陰謀論を繰り広げたりする類の説がまま行われています

[7] その由来は主に2系統あって、

のどちらかか両方の組み合わせです。理論的には

  • [11] まったく独立に発生した

という可能性もありそうですが、そのような主張は見かけません。 天文学暦学の知識をある者が既存の干支紀年法等の知識を得ることなく独立してこの種の紀年法を考案する筋道を考えにくいからでしょうか。

[12] 独創的な歴史解釈を披露する方々にとっては、古代なり異文化なりとの「つながり」 を「発見」できなければ独創的世界の広がりを作れないから、ですかねw

[149] これは友田吉之助が指摘した紀年法の問題 (引用していないのは、さすがに分野と時代が違いすぎるから気づいていないのだろうけど)。 友田吉之助説はそのままでは成り立たないが、 有意義な指摘は含まれていると考えて再検討はするべきだろう。


[22] 歳星=木星による紀年法の不具合。古代中国ではどのように対応したのか?|ゴールドライフオンライン, https://renaissance-media.jp/articles/-/14088

歲陽歲名

[90] 日知錄 : 卷二十 - 中國哲學書電子化計劃, Donald Sturgeon, https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&chapter=374063&#p16

[91] usukura.pdf, , https://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/619/619PDF/usukura.pdf#page=2

用例

[81] 木星による紀年
n
#
ad
西暦
k
即位紀年
y
年名
s
星次差
ji
十二次
shin
十二辰
ji2shin2
十二辰 (十二次から -2)
ji2shin1
十二辰 (十二次から -1)
ji2shin0
十二辰 (十二次から -0)
yshin2
十二辰 (から -2)
kanshi_se
干支 (顓頊暦)
yshin1
十二辰 (から -1)
kanshi_c
干支 (三統暦)
yshin_c
十二辰 (三統暦)
kanshi
干支 (現行)
yshin0
十二辰 (から -0)
x
紀年法
src
出典
ad
k
神武東征
y
甲寅
ji
ji2shin2
ji2shin1
ji2shin0
ji2shin-1
shin
2
yshin2
0
kanshi_se
癸丑 (49)
yshin1
1
kanshi
甲寅 (50)
yshin0
2
yshin-1
3
kanshi_c
庚戌 (46)
s
x
0
src
ad
k
神武天皇1
y
辛酉
ji
ji2shin2
ji2shin1
ji2shin0
ji2shin-1
shin
9
yshin2
7
kanshi_se
庚申 (56)
yshin1
8
kanshi
辛酉 (57)
yshin0
9
yshin-1
10
kanshi_c
丁巳 (53)
s
x
0
src
n
1
ad
k
魯僖公5
y
大火
ji
10
ji2shin2
0
ji2shin1
10
ji2shin0
8
ji2shin-1
6
shin
yshin2
0
kanshi_se
乙丑 (1)
yshin1
1
kanshi
丙寅 (2)
yshin0
2
yshin-1
3
kanshi_c
壬戌 (58)
s
3.35
x
-2
src
国語
n
2
ad
k
魯僖公16
y
寿星
ji
9
ji2shin2
11
ji2shin1
9
ji2shin0
7
ji2shin-1
5
shin
yshin2
11
kanshi_se
丙子 (12)
yshin1
0
kanshi
丁丑 (13)
yshin0
1
yshin-1
2
kanshi_c
癸酉 (9)
s
3.32
x
-2
src
国語
n
3
ad
k
魯僖公23
y
大鿄
ji
4
ji2shin2
6
ji2shin1
4
ji2shin0
2
ji2shin-1
0
shin
yshin2
6
kanshi_se
癸未 (19)
yshin1
7
kanshi
甲申 (20)
yshin0
8
yshin-1
9
kanshi_c
庚辰 (16)
s
3.08
x
-2
src
国語
n
4
ad
k
魯僖公24
y
実沈
ji
5
ji2shin2
7
ji2shin1
5
ji2shin0
3
ji2shin-1
1
shin
yshin2
7
kanshi_se
甲申 (20)
yshin1
8
kanshi
乙酉 (21)
yshin0
9
yshin-1
10
kanshi_c
辛巳 (17)
s
3.17
x
-2
src
国語
n
5
ad
k
魯僖公27
y
鶉尾
ji
8
ji2shin2
10
ji2shin1
8
ji2shin0
6
ji2shin-1
4
shin
yshin2
10
kanshi_se
丁亥 (23)
yshin1
11
kanshi
戊子 (24)
yshin0
0
yshin-1
1
kanshi_c
甲申 (20)
s
3.23
x
-2
src
国語
n
6
ad
k
魯僖公28
y
寿星
ji
9
ji2shin2
11
ji2shin1
9
ji2shin0
7
ji2shin-1
5
shin
yshin2
11
kanshi_se
戊子 (24)
yshin1
0
kanshi
己丑 (25)
yshin0
1
yshin-1
2
kanshi_c
乙酉 (21)
s
3.15
x
-2
src
国語
n
7
ad
k
魯㐮公19
y
降娄
ji
3
ji2shin2
5
ji2shin1
3
ji2shin0
1
ji2shin-1
11
shin
yshin2
5
kanshi_se
丙午 (42)
yshin1
6
kanshi
丁未 (43)
yshin0
7
yshin-1
8
kanshi_c
癸卯 (39)
s
2.07
x
-2
src
春秋左氏伝
n
8
ad
k
魯㐮公28
y
星紀
ji
0
ji2shin2
2
ji2shin1
0
ji2shin0
10
ji2shin-1
8
shin
yshin2
2
kanshi_se
乙卯 (51)
yshin1
3
kanshi
丙辰 (52)
yshin0
4
yshin-1
5
kanshi_c
壬子 (48)
s
1.77
x
-2
src
春秋左氏伝
n
9
ad
k
魯㐮公30
y
娵訾
ji
2
ji2shin2
4
ji2shin1
2
ji2shin0
0
ji2shin-1
10
shin
yshin2
4
kanshi_se
丁巳 (53)
yshin1
5
kanshi
戊午 (54)
yshin0
6
yshin-1
7
kanshi_c
甲寅 (50)
s
1.87
x
-2
src
春秋左氏伝
n
10
ad
k
魯㐮公31
y
降娄
ji
3
ji2shin2
5
ji2shin1
3
ji2shin0
1
ji2shin-1
11
shin
yshin2
5
kanshi_se
戊午 (54)
yshin1
6
kanshi
己未 (55)
yshin0
7
yshin-1
8
kanshi_c
乙卯 (51)
s
1.97
x
-2
src
春秋左氏伝
n
11
ad
k
魯昭公8
y
析木
ji
11
ji2shin2
1
ji2shin1
11
ji2shin0
9
ji2shin-1
7
shin
yshin2
1
kanshi_se
丙寅 (2)
yshin1
2
kanshi
丁卯 (3)
yshin0
3
yshin-1
4
kanshi_c
癸亥 (59)
s
1.65
x
-2
src
春秋左氏伝
n
12
ad
k
魯昭公10
y
玄枵
ji
1
ji2shin2
3
ji2shin1
1
ji2shin0
11
ji2shin-1
9
shin
yshin2
3
kanshi_se
戊辰 (4)
yshin1
4
kanshi
己巳 (5)
yshin0
5
yshin-1
6
kanshi_c
乙丑 (1)
s
1.67
x
-2
src
春秋左氏伝
n
13
ad
k
魯昭公11
y
娵訾
ji
2
ji2shin2
4
ji2shin1
2
ji2shin0
0
ji2shin-1
10
shin
yshin2
4
kanshi_se
己巳 (5)
yshin1
5
kanshi
庚午 (6)
yshin0
6
yshin-1
7
kanshi_c
丙寅 (2)
s
1.73
x
-2
src
春秋左氏伝
n
14
ad
k
魯昭公13
y
大鿄
ji
4
ji2shin2
6
ji2shin1
4
ji2shin0
2
ji2shin-1
0
shin
yshin2
6
kanshi_se
辛未 (7)
yshin1
7
kanshi
壬申 (8)
yshin0
8
yshin-1
9
kanshi_c
戊辰 (4)
s
1.90
x
-2
src
春秋左氏伝
n
15
ad
k
魯昭公16
y
鶉火
ji
7
ji2shin2
9
ji2shin1
7
ji2shin0
5
ji2shin-1
3
shin
yshin2
9
kanshi_se
甲戌 (10)
yshin1
10
kanshi
乙亥 (11)
yshin0
11
yshin-1
0
kanshi_c
壬申 (8)
s
1.93
x
-2
src
春秋左氏伝
n
16
ad
k
魯昭公28
y
(鶉火)
ji
7
ji2shin2
9
ji2shin1
7
ji2shin0
5
ji2shin-1
3
shin
yshin2
9
kanshi_se
丙戌 (22)
yshin1
10
kanshi
丁亥 (23)
yshin0
11
yshin-1
0
kanshi_c
甲申 (20)
s
1.78
x
-2
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春秋左氏伝
n
17
ad
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魯昭公32
y
越得歳(析木)
ji
11
ji2shin2
1
ji2shin1
11
ji2shin0
9
ji2shin-1
7
shin
yshin2
1
kanshi_se
庚寅 (26)
yshin1
2
kanshi
辛卯 (27)
yshin0
3
yshin-1
4
kanshi_c
戊子 (24)
s
1.33
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-2
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春秋左氏伝
n
18
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魯定公8
y
(鶉火)
ji
7
ji2shin2
9
ji2shin1
7
ji2shin0
5
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3
shin
yshin2
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kanshi_se
戊戌 (34)
yshin1
10
kanshi
己亥 (35)
yshin0
11
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0
kanshi_c
丙申 (32)
s
1.62
x
-2
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春秋左氏伝
n
19
ad
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魯哀公5
y
(鶉火)
ji
7
ji2shin2
9
ji2shin1
7
ji2shin0
5
ji2shin-1
3
shin
yshin2
9
kanshi_se
庚戌 (46)
yshin1
10
kanshi
辛亥 (47)
yshin0
11
yshin-1
0
kanshi_c
戊申 (44)
s
1.45
x
-2
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春秋左氏伝
n
20
ad
k
魯哀公17
y
(鶉火)
ji
7
ji2shin2
9
ji2shin1
7
ji2shin0
5
ji2shin-1
3
shin
yshin2
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kanshi_se
壬戌 (58)
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kanshi
癸亥 (59)
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yshin-1
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kanshi_c
庚申 (56)
s
1.32
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-2
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春秋左氏伝
n
21
ad
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秦始皇1
y
(娵訾)
ji
2
ji2shin2
4
ji2shin1
2
ji2shin0
0
ji2shin-1
10
shin
yshin2
1
kanshi_se
甲寅 (50)
yshin1
2
kanshi
乙卯 (51)
yshin0
3
yshin-1
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kanshi_c
癸丑 (49)
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1.38
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-1
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五星占
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22
ad
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秦始皇8
y
涒灘
ji
ji2shin2
ji2shin1
ji2shin0
ji2shin-1
shin
8
yshin2
8
kanshi_se
辛酉 (57)
yshin1
9
kanshi
壬戌 (58)
yshin0
10
yshin-1
11
kanshi_c
辛酉 (57)
s
-1.82
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-2
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呂氏春秋
n
23
ad
k
漢高祖1
y
鶉首
ji
6
ji2shin2
8
ji2shin1
6
ji2shin0
4
ji2shin-1
2
shin
yshin2
5
kanshi_se
甲午 (30)
yshin1
6
kanshi
乙未 (31)
yshin0
7
yshin-1
8
kanshi_c
甲午 (30)
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1.07
x
-1
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漢書
n
24
ad
k
漢文帝7
y
単閼
ji
ji2shin2
ji2shin1
ji2shin0
ji2shin-1
shin
3
yshin2
2
kanshi_se
丁卯 (3)
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3
kanshi
戊辰 (4)
yshin0
4
yshin-1
5
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丁卯 (3)
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0.65
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-1
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漢書
n
25
ad
k
漢文帝16
y
太一丙子(星紀)
ji
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ji2shin2
2
ji2shin1
0
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10
ji2shin-1
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kanshi_se
丙子 (12)
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丁丑 (13)
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kanshi_c
丙子 (12)
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0.25
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淮南子
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漢元朔1
y
甲寅
ji
ji2shin2
ji2shin1
ji2shin0
ji2shin-1
shin
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yshin2
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壬子 (48)
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癸丑 (49)
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1
yshin-1
2
kanshi_c
壬子 (48)
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x
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>>92
ad
k
漢太初0
y
ji
ji2shin2
ji2shin1
ji2shin0
ji2shin-1
shin
yshin2
10
kanshi_se
乙亥 (11)
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kanshi
丙子 (12)
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0
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kanshi_c
乙亥 (11)
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x
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n
26
ad
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漢太初1
y
星紀(玄枵)
ji
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ji2shin2
2
ji2shin1
0
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10
ji2shin-1
8
shin
yshin2
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kanshi_se
丙子 (12)
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丁丑 (13)
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yshin-1
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丙子 (12)
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-1
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漢書
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漢太初1
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丙子
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ji2shin2
ji2shin1
ji2shin0
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丙子 (12)
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丁丑 (13)
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1
yshin-1
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丙子 (12)
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-1
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>>92
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漢太初1
y
丁丑
ji
ji2shin2
ji2shin1
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yshin2
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丙子 (12)
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丁丑 (13)
yshin0
1
yshin-1
2
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丙子 (12)
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0
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>>92
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漢太初1
y
甲寅
ji
ji2shin2
ji2shin1
ji2shin0
ji2shin-1
shin
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丙子 (12)
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丁丑 (13)
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丙子 (12)
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>>92
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漢太初1
y
戊寅
ji
ji2shin2
ji2shin1
ji2shin0
ji2shin-1
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丙子 (12)
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丁丑 (13)
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丙子 (12)
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>>92
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27
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漢太初4
y
執除(大鿄)
ji
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ji2shin2
6
ji2shin1
4
ji2shin0
2
ji2shin-1
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shin
4
yshin2
2
kanshi_se
己卯 (15)
yshin1
3
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庚辰 (16)
yshin0
4
yshin-1
5
kanshi_c
己卯 (15)
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-0.82
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0
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漢書
ad
k
漢太始1
y
ji
ji2shin2
ji2shin1
ji2shin0
ji2shin-1
shin
yshin2
8
kanshi_se
乙酉 (21)
yshin1
9
kanshi
丙戌 (22)
yshin0
10
yshin-1
11
kanshi_c
丙戌 (22)
s
x
?
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ad
k
漢太始2
y
ji
ji2shin2
ji2shin1
ji2shin0
ji2shin-1
shin
yshin2
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kanshi_se
丙戌 (22)
yshin1
10
kanshi
丁亥 (23)
yshin0
11
yshin-1
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丁亥 (23)
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?
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ad
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漢地節2
y
甲寅
ji
ji2shin2
ji2shin1
ji2shin0
ji2shin-1
shin
2
yshin2
11
kanshi_se
壬子 (48)
yshin1
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kanshi
癸丑 (49)
yshin0
1
yshin-1
2
kanshi_c
癸丑 (49)
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?
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>>92
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漢地節3
y
甲寅
ji
ji2shin2
ji2shin1
ji2shin0
ji2shin-1
shin
2
yshin2
0
kanshi_se
癸丑 (49)
yshin1
1
kanshi
甲寅 (50)
yshin0
2
yshin-1
3
kanshi_c
甲寅 (50)
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x
0
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>>92
n
28
ad
k
漢初元2
y
閹茂(大火)
ji
10
ji2shin2
0
ji2shin1
10
ji2shin0
8
ji2shin-1
6
shin
10
yshin2
8
kanshi_se
癸酉 (9)
yshin1
9
kanshi
甲戌 (10)
yshin0
10
yshin-1
11
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甲戌 (10)
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-0.27
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漢書
n
29
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漢竟寧1
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太歳戊子(星紀)
ji
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ji2shin2
2
ji2shin1
0
ji2shin0
10
ji2shin-1
8
shin
0
yshin2
10
kanshi_se
丁亥 (23)
yshin1
11
kanshi
戊子 (24)
yshin0
0
yshin-1
1
kanshi_c
戊子 (24)
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-0.25
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0
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西漢瓦銘
n
30
ad
k
新始建国5
y
寿星
ji
9
ji2shin2
11
ji2shin1
9
ji2shin0
7
ji2shin-1
5
shin
yshin2
7
kanshi_se
壬申 (8)
yshin1
8
kanshi
癸酉 (9)
yshin0
9
yshin-1
10
kanshi_c
癸酉 (9)
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-0.98
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漢書
n
31
ad
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新始建国8
y
星紀
ji
0
ji2shin2
2
ji2shin1
0
ji2shin0
10
ji2shin-1
8
shin
yshin2
10
kanshi_se
乙亥 (11)
yshin1
11
kanshi
丙子 (12)
yshin0
0
yshin-1
1
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丙子 (12)
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-0.82
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0
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漢書
n
32
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新天鳳7
y
大鿄
ji
4
ji2shin2
6
ji2shin1
4
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2
ji2shin-1
0
shin
yshin2
2
kanshi_se
己卯 (15)
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3
kanshi
庚辰 (16)
yshin0
4
yshin-1
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kanshi_c
庚辰 (16)
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-0.63
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漢書
n
33
ad
k
新地皇2
y
実沈
ji
5
ji2shin2
7
ji2shin1
5
ji2shin0
3
ji2shin-1
1
shin
yshin2
3
kanshi_se
庚辰 (16)
yshin1
4
kanshi
辛巳 (17)
yshin0
5
yshin-1
6
kanshi_c
辛巳 (17)
s
-0.72
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0
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漢書
ad
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漢建武25
y
ji
ji2shin2
ji2shin1
ji2shin0
ji2shin-1
shin
yshin2
7
kanshi_se
戊申 (44)
yshin1
8
kanshi
己酉 (45)
yshin0
9
yshin-1
10
kanshi_c
己酉 (45)
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x
?
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ad
k
漢建武26
y
ji
ji2shin2
ji2shin1
ji2shin0
ji2shin-1
shin
yshin2
8
kanshi_se
己酉 (45)
yshin1
9
kanshi
庚戌 (46)
yshin0
10
yshin-1
11
kanshi_c
辛亥 (47)
s
x
?
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ad
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秦建元14
y
歳在鶉火
ji
7
ji2shin2
9
ji2shin1
7
ji2shin0
5
ji2shin-1
3
shin
yshin2
0
kanshi_se
丁丑 (13)
yshin1
1
kanshi
戊寅 (14)
yshin0
2
yshin-1
3
kanshi_c
辛巳 (17)
s
x
1
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比丘大戒序
ad
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秦建元15
y
太歳己卯鶉尾之歳
ji
8
ji2shin2
10
ji2shin1
8
ji2shin0
6
ji2shin-1
4
shin
3
yshin2
1
kanshi_se
戊寅 (14)
yshin1
2
kanshi
己卯 (15)
yshin0
3
yshin-1
4
kanshi_c
壬午 (18)
s
x
1
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関中三記
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秦建元15
y
歳在鶉尾
ji
8
ji2shin2
10
ji2shin1
8
ji2shin0
6
ji2shin-1
4
shin
yshin2
1
kanshi_se
戊寅 (14)
yshin1
2
kanshi
己卯 (15)
yshin0
3
yshin-1
4
kanshi_c
壬午 (18)
s
x
1
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関中三記
ad
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平成30
y
歳次鶉火
ji
7
ji2shin2
9
ji2shin1
7
ji2shin0
5
ji2shin-1
3
shin
yshin2
8
kanshi_se
丁酉 (33)
yshin1
9
kanshi
戊戌 (34)
yshin0
10
yshin-1
11
kanshi_c
壬子 (48)
s
x
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src
>>21
ad
k
平成30
y
歳次降婁
ji
3
ji2shin2
5
ji2shin1
3
ji2shin0
1
ji2shin-1
11
shin
yshin2
8
kanshi_se
丁酉 (33)
yshin1
9
kanshi
戊戌 (34)
yshin0
10
yshin-1
11
kanshi_c
壬子 (48)
s
x
1
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>>21
ad
k
令和6
y
ji
ji2shin2
ji2shin1
ji2shin0
ji2shin-1
shin
yshin2
2
kanshi_se
癸卯 (39)
yshin1
3
kanshi
甲辰 (40)
yshin0
4
yshin-1
5
kanshi_c
戊午 (54)
s
x
?
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研究史

[18] 川原秀城薮内清に師事しており、 その研究を引き継いだものでした。また、本稿では

の資料が使われています。 >>16

関連

歳在

メモ

[88] 20210713-mxt_kyokasyo02-000015567_001.pdf, , https://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2021/000015567/20210713-mxt_kyokasyo02-000015567_001.pdf#page=5

干支は、中華王朝の殷の時代から使わ れている紀年法で、

生徒が誤解するおそれのある表現である。 (殷の時代における干支の使用法について確定して いるかのように誤解する。)

[137] いやそこは使われた形跡ないって断言しちゃってよ!



[43] Blog | 北辰結社 () https://simadu1123.wixsite.com/hokusin/blog-1/wu-ji-fa-jian-noocha-bi

[21] 誤記発見のお詫び。, https://simadu1123.wixsite.com/hokusin/post/wu-ji-fa-jian-noocha-bi

これ以降は言い訳になってしまうのですが、このような誤記が起こった理由を説明します。当初私は歳星紀年法の成立当初の方法、つまり木星が位置する方向を天文学的な正確な数値を元に十二次を当てはめようと考え、プラネタリウムソフトなどを利用し算定しました。それによって求まったのが「歳次鶉火」という記述です。

しかし、日本の具注暦では「木星の方向をたいして考えていな」かったのです。日本に伝わった頃には歳星紀年法は形骸化し、実際の木星の所在方向は気にせず、年の十二支との対照によって求めるようになり→「子:玄枵 丑:星紀 寅:析木 卯:大火 辰:壽星 巳:鶉尾 午:鶉火 未:鶉首 申:實沈 酉:大梁 戌:降婁 亥:娵訾」という対照方法が確立されました。なので日本の具注暦を再現する以上、この方法で対照しなければならなかったのです。


[23] 先秦年代学研究的理论与方法初探 - 民初思韻, http://cn.rocidea.com/one?id=10271

[24] 马王堆简帛的岁星纪年与干支纪年 - 知乎, https://zhuanlan.zhihu.com/p/682785345