非戦元年

非戦 (元号)

[1] 非戦 (y~1804) は、 平成時代日本の私年号です。

野本三吉

[5] 日本極左活動家野本三吉 (本名加藤彰彦 (1941-) 同姓同名の別人に注意) は、 同人誌個人誌『生活者』非戦を使っていたようです。 >>4, >>9, >>10

[7] 平成14(2002)年元年に当たります。 >>6

[12] 「非戦2年~非戦8年」 の範囲のものがあるようです >>10。 1冊なのか、 継続して発行されたものか不明です。 いずれにしても8年までは継続されたようです。

[13] それ以後の用例は見つからず、状況は不明です。

[15] 関連して 野本三吉 個人誌 生活者 1972‐2002 という書籍がに発刊されました。 30年間書き続けた55号分が収録されているといいます。 >>14 「非戦2年~非戦8年」 はその続編に当たるのでしょうか。 本書の題名は西暦年ですが、 末年は非戦元年に当たります。 本文中で非戦が用いられているのかは不明です。

[25] なお、 野本三吉新聞に寄稿して、 戦後カレンダー戦後暦への賛意を示したようです。 戦後暦 野本三吉戦後暦を使ったのかは不明です。

[4] コラム/野本三吉, http://www.shinjuku-shobo.co.jp/column/data_old/nomoto-sankichi/nomoto.html

本文は野本三吉(加藤彰彦)個人誌『生活者』6月号No158、非戦元年6月1日、より転載

[6] 本文中に一切記載がないが、 加藤彰彦沖縄大学に赴任したとの内容から、 を描いたものとわかる。

[9] 出会い書評, http://www.shinjuku-shobo.co.jp/new5-15/shohyo/shohyo_data/DeaitoWakare.html

出会いと別れの原風景

--社会福祉ゼミナール・10年の記録

野本三吉 著

[『生活者』第162号 非戦2年1月20日]

沖縄大学人文学部福祉文化学科教授

加藤彰彦(野本三吉)

[24] 「昨年10月、ぼくは、横浜市立大学に別れを告げ、沖縄大学の教員となった。」 とある。別記事によると4月から沖縄大学で働き、 7月まで横浜市立大学で教え、 4ヶ月間は重複していたという >>4 ので 「昨年10月」 がいつか特定し難いが、 だろうか。 この推測が正しいなら 「非戦2年1月20日」 はとなる。
[10] CNICarchive(20140731ver1.0).pdf, https://cnic.jp/files/books/CNICarchive(20140731ver1.0).pdf#page=14

原子力資料情報室 保管書籍・資料一覧(Version.20140731)

ID番号タイトル編著名(作成者)出版社(作成組織)出版/作成年月日キーワードキーワード2
主番号枝番号
1044生活者個人誌『生活者』個人誌『生活者』非戦2年~非戦8年沖縄・子ども・福祉
[11] この一覧表ではタイトルに「昭和」「平成」と入っていても西暦年日付が書かれていて、 原表記を保存せず西暦へ統一する編集方針を採ったものと思われますが、 この1例だけ西暦ではありません。 編集者の意図によるものか、 それとも原書から西暦年を特定できず止む無くそのまま書いたのでしょうか。

高橋健一

[2] 日本極左活動家高橋健一 (同姓同名の有名人多数につき注意) は、 自身の Web日記私年号戦後を使っていましたが 戦後暦 、 あるときから非戦を使うようになりました。

[17] 自己紹介に 「加藤彰彦さん(筆名 野本三吉 前沖縄大学学長) に出会い、大きな影響を受ける」 とあり >>16非戦野本三吉の影響と思われます。 戦後もその影響かもしれません。

[29] 時点で、 加藤彰彦の主宰する結社の幹部として高橋健一が活動していたことが確認できます。 >>31 両者の親密な関係がその後も継続したことが伺えますが、 紀年法は不明です。

[73] 「戦後57年(2001年)10月15日」 () 付の記事まで戦後が使い続けられましたが、 その次の 「非戦元年(2002年)9月11日」 () 付け記事から、 非戦改元されました。 このWeb日記はその次の で終わっており、 以後の状況は不明です。 >>65

暦法

[21] 個人誌『生活者』 の入手方法が不明で、 Web 上に用例もほとんどないので、 多くを推測に頼らざるを得ません。

[3] 高橋健一の 「非戦元年9月11日」 記事にはアメリカ同時多発テロ事件 () から1年が経過したことが言及されていました >>65非戦建元はそれに因むものなのでしょうか。 だとすると、 高橋健一改元前に使った戦後と同じく周年で数えることを意図し、 事件の1年後を元年としたものでしょうか。

[22] テロ事件を受けて米国を中心とする連合軍はアフガニスタンに進攻し、 その年のうちにタリバン政権は崩壊、 年末には暫定政権が樹立されました (アフガニスタン紛争)。 紛争はそれで終結せず、 その後も戦闘が続きました。 関連して日本自衛隊インド洋に派遣されました。 野本三吉高橋健一は、 こうした情勢に不満を持っていた可能性が高いでしょう。 テロ事件やアフガニスタン紛争自体よりも、 自衛隊派遣への反発が直接の理由かもしれません。

[23] 戦後と同じく改元日に年数を進める英国式改元の可能性もありますが、 現在知られている用例と推測が正しいなら、 グレゴリオ年始年数を進める東洋式改元の可能性が高そうです。

関連

[18] 極左活動家が使う私年号には他に核時代ヒロシマ紀元戦後暦原爆暦エコ暦などが知られています。 非戦同様に戦争に関係するものが多く、 強い思想的背景を思わせると同時に、 極左活動家元号とひとくくりにし難い派閥の分断も感じられます。

[26] 「非戦」 が戦争のない状態を指すのなら、 戦後暦と同じか、 日本国との平和条約なり日中平和友好条約なりの成立した時点から起算するべきです。 日本だけでなく広く世界戦争がない状態をいうのだとすれば、 始めからまったく成立し得ません。 あるいは使用者らが個人的に非戦の誓いを立てたようなものに由来するのでしょうか。 そうしたものが広く受け入れられ普及するとは考えにくく、 まさしく私年号というに相応しいものでしょう。

[19] こうした活動をする人々は反政府的、反天皇的思考を持ちがちなようで、 それらに関係の深い日本の元号を嫌う傾向にあるようですが、 これらもまた政治的思想を時代に結び付ける東洋の元号の伝統を踏襲したものに過ぎず、 一つ穴の狢といったところでしょうか。

[20] 極左主義時刻の結びつきという観点では、 世界終末時計との類似性も指摘できましょう。

メモ