[1] 非戦 (y~1804) は、 平成時代の日本の私年号です。
[5] 日本の極左活動家の野本三吉 (本名加藤彰彦、同姓同名の別人に注意) は、 同人誌の 個人誌『生活者』 で非戦を使っていたようです。 >>4, >>9, >>10
[7] 平成14(2002)年が元年に当たります。 >>6
[12] 「非戦2年~非戦8年」 の範囲のものがあるようです >>10。 1冊なのか、 継続して発行されたものか不明です。 いずれにしても8年までは継続されたようです。
[13] それ以後の用例は見つからず、状況は不明です。
[15] 関連して 野本三吉 個人誌 生活者 1972‐2002 という書籍がに発刊されました。 30年間書き続けた55号分が収録されているといいます。 >>14 「非戦2年~非戦8年」 はその続編に当たるのでしょうか。 本書の題名は西暦年ですが、 末年は非戦元年に当たります。 本文中で非戦が用いられているのかは不明です。
[25]
なお、
野本三吉はの新聞に寄稿して、
戦後カレンダーと戦後暦への賛意を示したようです。
原子力資料情報室 保管書籍・資料一覧(Version.20140731)
ID番号 | タイトル | 編著名(作成者) | 出版社(作成組織) | 出版/作成年月日 | キーワード | キーワード2 | |
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主番号 | 枝番号 | ||||||
1044 | 生活者 | 個人誌『生活者』 | 個人誌『生活者』 | 非戦2年~非戦8年 | 沖縄・子ども・福祉 |
[2]
日本の極左活動家の高橋健一
(同姓同名の有名人多数につき注意)
は、
自身の
Web日記で私年号の戦後を使っていましたが
[17] 自己紹介に 「加藤彰彦さん(筆名 野本三吉 前沖縄大学学長) に出会い、大きな影響を受ける」 とあり >>16、 非戦も野本三吉の影響と思われます。 戦後もその影響かもしれません。
[73] 「戦後57年(2001年)10月15日」 () 付の記事まで戦後が使い続けられましたが、 その次の 「非戦元年(2002年)9月11日」 () 付け記事から、 非戦に改元されました。 このWeb日記はその次の で終わっており、 以後の状況は不明です。 >>65
[21] 個人誌『生活者』 の入手方法が不明で、 Web 上に用例もほとんどないので、 多くを推測に頼らざるを得ません。
[3] 高橋健一の 「非戦元年9月11日」 記事にはアメリカ同時多発テロ事件 () から1年が経過したことが言及されていました >>65。 非戦の建元はそれに因むものなのでしょうか。 だとすると、 高橋健一が改元前に使った戦後と同じく周年で数えることを意図し、 事件の1年後を元年としたものでしょうか。
[22] テロ事件を受けて米国を中心とする連合軍はアフガニスタンに進攻し、 その年のうちにタリバン政権は崩壊、 年末には暫定政権が樹立されました (アフガニスタン紛争)。 紛争はそれで終結せず、 その後も戦闘が続きました。 関連して日本の自衛隊はインド洋に派遣されました。 野本三吉や高橋健一は、 こうした情勢に不満を持っていた可能性が高いでしょう。 テロ事件やアフガニスタン紛争自体よりも、 自衛隊派遣への反発が直接の理由かもしれません。
[23] 戦後と同じく改元日に年数を進める英国式改元の可能性もありますが、 現在知られている用例と推測が正しいなら、 グレゴリオ年始に年数を進める東洋式改元の可能性が高そうです。
[18] 極左活動家が使う私年号には他に核時代、 ヒロシマ紀元、 戦後暦、 原爆暦、 エコ暦などが知られています。 非戦同様に戦争に関係するものが多く、 強い思想的背景を思わせると同時に、 極左活動家の元号とひとくくりにし難い派閥の分断も感じられます。
[26] 「非戦」 が戦争のない状態を指すのなら、 戦後暦と同じか、 日本国との平和条約なり日中平和友好条約なりの成立した時点から起算するべきです。 日本だけでなく広く世界で戦争がない状態をいうのだとすれば、 始めからまったく成立し得ません。 あるいは使用者らが個人的に非戦の誓いを立てたようなものに由来するのでしょうか。 そうしたものが広く受け入れられ普及するとは考えにくく、 まさしく私年号というに相応しいものでしょう。
[19] こうした活動をする人々は反政府的、反天皇的思考を持ちがちなようで、 それらに関係の深い日本の元号を嫌う傾向にあるようですが、 これらもまた政治的思想を時代に結び付ける東洋の元号の伝統を踏襲したものに過ぎず、 一つ穴の狢といったところでしょうか。