近代日本の季節性夏時刻制定運動

近代日本の季節性夏時刻制定運動

[3] 日本の標準時を改正しようとする運動は、 大正時代から現代まで延々と繰り返され、 そして失敗を繰り返してきました。

[4] 近代日本では、欧米の先進国で新たに導入が始まった日光節約時制度を模倣しようという議論が度々提起されてきました。

現代のものは日本の季節性夏時刻制定運動

季節性夏時刻以外や総合的な事項は日本標準時改正案

日本に限らないサマータイムの歴史と賛否については夏時刻

大正時代

[514] 大正時代欧米で初めて夏時刻制が実施されたのを受けて、 日本国内でも同様の夏時刻を実施するべき、 あるいは日本夏時刻制度を創設するべきといった議論が行われました。 欧米化による近代化が進んでいた大正モダンの時代に、 欧米の先進的な制度の採用が検討されるのは自然な流れでした。 しかし賛成派が主流となることはなく、ついに実施には至りませんでした。


[9] 第一次世界大戦が勃発しました。

[24] 天文学研究者の学会誌天文月報は、 欧州夏時刻実施を曙光利用法案と呼んで紹介しました >>713。その紹介者はかなり批判的で、科学者を無視して愚策を実施している >>713 と怒っていました。 しかしその次の号では賛成意見も紹介していました >>26日本科学者も賛否両論だったのでしょう。

[249] 、 主要一般紙の読売新聞は、 欧州各国の夏時刻実施を報じました。 欧文電報時刻 一時間繰上げるという電報の送信時刻に関する注意記事で、 日本政府逓信省を情報源としていました。 (事実の報道のみで意見表明なし。)

[248] 読売新聞欧米で 「「日光節約法 (デーライトセーヴイング) 」と云ふ一種の精力主義が素敵に流行」 していると紹介し、 「やがては我國の活動家にも口にされる」だろうと予想しました。 >>246

[23] 戦時下の欧米のような燃料問題は日本にはないとしながらも、 日本に当てはめて電気・ガスとその燃料費の節約になると指摘しました。 加えて、 「すべての健康の第一の原則は早起きにあると云ふことが動かすべかざる眞理」であり、 とくに近代人の視力低下は灯光による目の疲れが主因であるため、 太陽と共に寝起きすれば目は悪くならない、 としました。

[258] 視力低下と社会に普及した最新の科学技術を結びつける考え方は、 この時代にはもう生まれていたのですね。 さすがに現代にもなるとそれと夏時刻をかけ合わせる人はいなくなったようです。

[27] 記事は欧米の制度の紹介とそれを日本社会に当てはめた分析という体であり、 記者あるいは読売新聞社の賛否は明記されていませんでしたが、 記者がこの新制度を魅力的に感じていたことは明らかで、 とても好意的に紹介されていました。

[11] この当時はその他にも夏時日光利用法案夏時法夏期時刻といった訳語が用いられていた >>5 ようです。 summer time 系統と daylight saving time 系統の語がどちらも同時に輸入され、 それぞれもまたどう翻訳するべきか決め兼ねていた様子が見て取れます。


[711] 平山清次の講演で、 1時間ずつ一度に変更するのではなく、短時間ずつ徐々にずらしていく方式を日本で採用することを提案しました >>712, >>715, >>716, >>717夏時刻は (天文台夏時刻に対応さえすれば) いつも通りに時報に合わせて時計を調整するだけで実現可能であり、 (暦法改良度量衡統一と比べて) 大した負担はないと認識していました >>712

[718] この時期にかなり短期間で欧米のほぼすべてで夏時刻が導入され、 平山清次文明国でまだ導入していないのは日本だけだと煽っています。 21世紀にも G8 の中で夏時刻を用いないのは日本だけであり、導入するべきだと主張する人がおり、 なかなか興味深い。
[10] 第一次世界大戦が終結しました。

[438] 大正13年昭和4年日本領関東州商人夏時刻の実施を提案していました。 関東州の標準時

昭和時代初頭

[708] 昭和3,4年頃には、鳩山一郎が提案していたようです >>508, >>353, >>706。 本人が内閣書記官長時代に提案したと語っています >>508 が、 鳩山一郎-内閣書記官長を務めていました。

[1277] 日本政府内閣書記官長鳩山一郎は、 定例事務次官会議においてサンマー・タイム を実施することを提案しました。 参加した事務次官は「大体これに賛成」し (黒田英雄大蔵次官のぼやきが新聞に掲載されていますが、 積極的反対ではなかった模様。)、各省で調査して第2回会議を行い、 新しい法令に基づきから実行することを目指していました。 >>1274

[1278] 当時既に米英で導入されていた夏時刻日本にも導入し、 「早起き早寝主義」で節電にもなるとされていました。 鉄道当局も賛同していましたが、 警視庁は市民にとって不便だとして「極力大反対」 していました。 電力当局は節電効果に疑問を呈していました。 その他新聞には2時間という点に反対する工場従業員の声や、 十分な検討が必要だとした三井物産のコメントが掲載されていました。 >>1274

[1275] 後世の文書は笑いものにされた >>353 としているものもありますが、本人談 >>508 ではそこまでひどい扱いをされたような感じでもありません。夏時刻の提唱者が当初馬鹿にされたという逸話は外国にもあるようで、 まったくあり得ない話でもありませんが、要職についている鳩山の真面目な提案が、 公然と嘲笑されるとは考えにくいものです。

[383] しかしまあ現代でも低俗なマスメディア安倍晋三麻生太郎のような現職の総理大臣低能だなどと人格攻撃していますから、 当時もそういうことはあったかもしれません。
[1276] ところが平成30(2018)年東京五輪のための夏時刻導入を巡る森喜朗安倍晋三の動きを見ていると、 そうした気持ちもわかってきますし、 実際 Twitter などでは公然と嘲笑、というか呆れられる事態になっております。

[158] 田中義一内閣満州某重大事件の影響で内閣総辞職しました。 鳩山一郎内閣書記官長辞職し、 夏時刻実施は頓挫しました。

[147] 余録:戦後の占領下で一時導入された夏時間は「サンマータイム」と呼ばれた… - 毎日新聞 (2018年9月29日 東京朝刊 ) https://mainichi.jp/articles/20180929/ddm/001/070/107000c

鳩山一郎(はとやま・いちろう)が昭和初めの田中義一(たなか・ぎいち)内閣の書記官長の時に導入を提唱したのである。1929年6月27日、各省の次官を集めた会議で「まず健康の趣旨をもってわが国にもサンマータイム制度を設けたい」と呼びかけた▲だがこの日付は夏時間導入の記念日としてではなく、張作霖(ちょうさくりん)爆殺事件の処置をめぐり田中首相が昭和天皇に厳しく叱責(しっせき)された日として歴史に記録される。1週間を経ずして内閣は総辞職し、むろんサンマータイム構想は吹き飛んだ

昭和10年前後

[407] 昭和6(1931)年頃、 暦法改良案の是非が日本でも社会的な議論となりました。 暦法改良案
[6] 満州事変が勃発しました。

[512] 学会誌天界では、 夏時刻について各界関係者が賛否両論を述べていました >>508

[82] 国際天文学連合第4回総会の Commission 31 (Time) 会合で、東京天文台長の早乙女清房 (そうとめきよふさ) は、 「Immediate abolition of the Summer Time.」を提案しました。 >>83, >>98

[683] 昭和25年国会で、東京交通労働組合飯塚愛之助が15年ほど前 (つまり昭和10年の頃) にサムマー・タイムを主張していた >>682 と証言しています。

[508] 夏期時制是非, 天界 (, ) http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/161975/1/tnk000134_223.pdf

文部大臣 鳩山一郎氏

私は田中内閣の書記官長時代に, 何かの本でサンマ・タイムのことを知り, 日本でも實施したらどうかと考へ, つぎの次官會議へ僕から提議したもので す. すると, 皆もそれはよい事で, 一つ調べて見てはといふ事になり, まづ 鐡道方面の調査を初めようといふ段になって内閣がつぶれたゝめ自然消滅に 終つたことがありました. サンマ・タイムを實施するとして,一番簡單なの は學校ですが, やるからには各方面とも連絡をとって行きたい.

昭和戦中期

[7] 支那事変が勃発しました。

[709] 京都帝国大学山本一淸内閣通年夏時刻 の実施を提案していました。 >>417。 (1932年時点では反対していた >>508 ようですがw、 通年なら良いということでしょうか。)

[1281] 日本政府大蔵次官石渡荘太郎は、 夏時刻の実施を提案しました。 >>1279 の次官会議で出席者の賛同を得て、 企画院で実施策を練ることになりました >>93

[247] 讀賣新聞社説で絶賛しました >>93。 しかし各方面からの反対で実現しませんでした >>1279。 「夏の夜眠れぬ西日本方面」から反対の声が上がり、 大きな話題となりました >>152

[275] 山本一淸新聞に寄稿し、 手間がかかる季節性夏時刻よりも通年夏時刻が有効で、 臺灣滿洲支那に倣って内地でも実施するべきだと主張しました。 >>152

[151] 新聞に掲載された農民の抗議意見は、 都会の役人には日光節約時間は有効かもしれないが、 農民は日の出前から日の入り後まで働いており、 節約するべき時間などない、としていました。 >>150

[1285] 第二次世界大戦欧州戦線では、 英仏両国が夏時刻期間を延長し、 敵対する独国夏時刻を導入するなど、 戦時夏時刻体制に移行していました。

[714] 1940年、資源節約のために夏時刻の導入が検討されたものの、 実施には至らなかったといわれています >>667

[1282] 日本政府次官会議は、 から夏時刻 を実施することとし、 各省・法制局で研究することとしました。 節電目的のもので、 「今後の研究の中心」は鉄道のダイヤや法令商取引上の取扱いであると報道されました。 >>1279

[1286] には議案が提出されました >>1270

[1987] 天文学者平山清次は、 読売新聞において、 以前 (>>711) から主張していた漸進的な夏時刻への切り替えを提案しました。 1日当たり1分で60日で合計1時間、あるいは90日かけて合計1時間半の時間を進めるというものでした。 欧米では鉄道の連絡が複雑で発着時刻變更が困難であるが、 本方式なら実現可能であり、日本が率先して採用するべきだと主張しました。 学術分野では世界時を使えばよいと考えていたようです。 >>1986

[1989] 京都帝国大学天文学者山本一淸は、 平山の提案手法では学者や交通・通信関係者などの混乱は避けられないとし、 「“標準時變更法”といふ新方法」すなわち通年夏時刻への見解を質しました。 >>1986

[1289] 京都帝国大学天文学者山本一淸は、 日光節約のための標準時變更 (通年夏時刻) が世界の趨勢であり、 時局に鑑み早急に実施するべきと主張し、 日本政府は優柔不断だと批判しました >>424

山本は満州国中華民国通年夏時刻 を導入するべきと主張していました (そして実現しました)。大東亜の標準時を参照。
[8] 大東亜戦争が開始されました。

[1985] 日本政府鉄道省は、 24時間制を採用しました。 省鉄のみならず、 私鉄鉄道以外の業界にも採用が広がっていきました。 24時間制

[1299] 帝国議会には、 本初子午線東京に変更するべきとの請願が提出されました。 しかし影響が大きすぎるとして採用されませんでした。 本初子午線

[1288] 讀賣新聞のコラム「波長」は、 毎年提案される夏時刻が今年は提案されないとし、 「米英流」である夏時刻は時計の針を進めて自分に嘘をつくもので、 時代遅れで空虚だと痛烈に批判しました。 >>252, >>1287


[744] 新聞報道によると、 軍需省電力小委員会は、夏季時間制度の導入を含む提言書を提出しました >>745

[93] 讀賣新聞 , 三面

社説

「夏期時間制」 の問題

五日の次官會議で夏 () (かぎ) り一 時間だけ時 (けい) (すす) めるいはゆる 「夏期時間制 (サンマータイム) 」が石渡大蔵次官か ら提唱 (ていせう) せられ、出 (せき) (しや) いづれも (さん) () (へう) したので、 () (ゐん) でその實 施案を () ることになつたといふことである。

() 時間 (せい) 提唱 (ていせう) は一九〇七年 に (はじ) まるのであるが、その實施は (おう) 州大 (せん) 中の一九一六年に (えい) 國が 法 (りつ) (せい) 定してからのことであ る。 () 來この案は各國に (さい) (よう) せら れ、米獨墺伊の (しよ) 國みなこれを實 施した。大 (せん) 後になつてもこの (せい) 度は (はい) 止せられず、 (えい) 國は一九二 五年に (えい) 久法として (まい) 年四月より 十月に (いた) るまで實施し、ベルギー、 オランダ、スペイン、カナダ等も それ〱新立法をなしてこれに (なら) つた。米国は (せん) 時中から (はん) (たい) (ろん) (おほ) く、今日では東北の (しよ) (しう) に行は れてゐるだけで () (へん) 的には行はれ ないが、一 (はん) 的に () (せん) 時の (りん) () () から平時の (せい) 度に直り、可な りの (はん) () に行はれてゐるのである から、今日これが (もん) (だい) になつたか らといつて、 (べつ) に異とするには足 りないのである。

次官會議で提唱 (ていせう) された夏 () 時間 (せい) () 由は、主として事 () 能率の (ぞう) (しん) にあるらしいのであるが、 (えい) 國が大 (せん) 中に (さい) (よう) したのはむしろ 燃 (れう) (せつ) (やく) の必 (えう) からであつた。け だし同國は發 (でん) の殆ど (ぜん) () が火 力であり、 (せん) (さう) (ぼつ) 發と共に (さい) (たん) (らう) 働力の不足、 (うん) () 機關の調 (せつ) 等か ら、石 (たん) の消 () を極力 (せつ) (げん) する必 (えう) があり、その (たい) (さく) として實行さ れたのである。

この (てん) から () れば水力發 (でん) を主 とするわが國では、 (こん) 本的の事 (ぜう) を異にするのであるが、元來 (えい) 國 でこれを主 (せう) したウイリアム・ウ イレツトの () (けん) (せい) 神的な能率と 休 (やう) とにあつたのであり、夏 () に は (さう) 朝に仕事の能率のあがること は自明の () なのであるから、國民 一 (はん) (きん) (ちふ) (えう) する今日、思切つ てこれを實施することは、とかく に () (かん) しがちな國民を引締める上 からも相當の (かう) 果が () 待されるの である。

たゞこゝに (ちう) 意すべきは時間變 (かう) の及ぼす (えい) (けう) の大きいことであ る。 (てつ) (だう) 時間 (へう) の如き直 (せつ) 生活に 關係あるものは當然として、現に (こう) 久的にこれを實施してゐる (えい) 國 においても、 (てん) 文臺の觀 (そく) や潮汐 の (へう) () 等につき尚ほ () 通時間に () つてゐる (れい) から () ても、 (かん) 單な思 つきだけで出來ることではないの である。

() 時間の (さい) (よう) に關聯して、 (やく) 所の夏 () 半休 (せい) (はい) 止も當然斷行さ るべきである。民間 () 業の (れい) から () ても、半休 (はい) 止はとくの (むかし) に實 行さるべきものなのであるが、特 に昨年 () () 事變の起つた當時に、 (せい) 府としてはこれを斷行すべきで あつた。國民に (たい) して () (ぜう) (にん) (しき) を強調し、 (きん) (べん) と困苦を (かく) () せよ と (えう) (きう) しながら、 (やく) 人だけは夏休 の外に (しよ) 中半休を (けい) 續するといふ のは、 (あま) りにも身勝手なことだか らである。

半休 (はい) 止は國民 (せい) (そう) (どう) (いん) () 號する手前からも當然斷行さるべ きものなのであるが、現實に (せい) 府 が努力しようとしてゐる (ちよ) (ちく) (せう) (うん) (どう) の方法としても、 (そく) 行すべき 必 (えう) がある。

(まい) 年夏 () (いう) 便 (びん) 局が半日となる 爲に、 (いう) 便 (びん) (ちよ) 金の出し入れに如何 に不便 (べん) (かん) じ時間を空 () してゐる かは (こう) 然の事實である。 (ちよ) (ちく) (せう) 勵 に乘出すならば、先づ (ちよ) 金の方法 を (かん) 便 (べん) にする必 (えう) がある當の大 蔵次官はこの (てん) () づいてゐるの かどうか。

() 時間 (せい) の採用大に可なり。 同時に (やく) 所の (しつ) () 時間をも民間並 みになすべし。これ國民の (ぜう) (しき) で ある。

[152] 夏期時刻 (サンマー・タイム) に優るもの, 理學博士 山本一淸, 讀賣新聞 夕刊 4ページ

時間節約に「ストツプの赤 信號」が突如夏の夜眠れぬ西日本 方面から揚げられ、この反對論 が大部世間の話題になつてゐる ので日光節約原則の熱心なる主 張者山本一淸博士の意見を求め て見る…。

[164] 山本の意見概要:

  • [172] 非常時だから是非日光節約法を実施するべき。
  • [180] いわゆるサンマー・タイムと混同されがちだが、 山本の日光節約法は異なる。
  • [212] 山本の主張は通年夏時刻。 臺灣、滿洲、北支、内蒙、メキシコ、チリ、ロシヤ、シカゴ市で実施済みの良案。
  • [213] 夏季時刻法は欧米で実施していたが、 手間がかかり、国内に実施しない団体があったりして、 混乱が激しいため中止する地域も出てきた。 米国でも色々議論されている。
  • [227] 高緯度で昼の長さの季節差が大きい欧州とは違い、 日本はそこまで大きくない。混乱を招くサンマー・タイムより通年夏時刻が良い。
  • [228] 内地通年夏時刻を実施するべき。 臺灣、滿洲、支那は実施済みだから、内地に追随する必要はない。
[150] 読者眼: 農民からの抗議, 讀賣新聞 朝刊 2ページ

(やく) 人の (おも) ひつきから色々な (けい) 畫が次か ら次へと發 (〓う) される。日光節約 (せつやく)

▽日光節約 (せつやく) は成る (ほど) 、朝寢坊 (ねぼう) な都會人には必 (えう) であらう。 (こと) (やく) 人には絶対 (ぜつたい) (えう) であると (みと) める。併しわれ〱農民は、 (こと) に夏の農繁期 (はんき) においては朝太 陽の未だ出でざるに起き出で、 夜は太陽が (しづ) んでもまだ働いて 居る。何處に節約 (せつやく) すべき時間が あり得よう。

(新農生)

[353] 横溝正史事典 ( 版) http://homepage2.nifty.com/a-to/jiten.htm

特別夏期時間、夏季の間、1時間づつ時計を進めて、早朝の涼しい間を利用して仕事の能率を上げようとする制度。昭和3年書記官長の鳩山一郎が提言したが笑殺された。

[706] 日本にサマータイムは必要なの? | ログ速@2ちゃんねる(net) () https://www.logsoku.com/r/2ch.net/geo/1116383587/

61 : 名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2005/12/17(土) 13:10:07 ID:k9bD+vxA [1/1回]

1929/06/27,昭和4/06/27

鳩山一郎がサマータイムの7月実施を提案する。

[667] サマータイム(サマータイム)とは - コトバンク (ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,知恵蔵,朝日新聞掲載「キーワード」,デジタル大辞泉,百科事典マイペディア,人事労務用語辞典,ワイジェイFX用語集,デジタル大辞泉プラス,大辞林 第三版,日本大百科全書(ニッポニカ),世界大百科事典内言及著, ) https://kotobank.jp/word/%E3%82%B5%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0-69722

日本は1940年(昭和15)燃料節約のうえから問題にされたことがあったが立ち消えとなった。

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

外地と戦時占領地の夏時刻

[419] 台湾満州支那香港では第二次世界大戦頃に中央標準時(相当)を標準時に採用しており、 これは夏時刻を通年採用したものと捉えることもできます。

[302] 第一次世界大戦から第二次世界大戦の間に欧州夏時刻は普及し、 アジアでも複数の地域で採用されていました。中国大陸でも都市によっては実施されています。 日本夏時刻GHQ の指示によるものと言われていますが、 日時度量衡の世界的な標準化と改良は当時の時代の流れでしたから、 第二次世界大戦が起こっていなければ日本でも国内からの提案で夏時刻制度が実施されていた可能性はあります。

[1758] その一方で、 国民にありとあらゆる犠牲を含む戦争協力を求めた第二次世界大戦中にあっても、 関係各局で度々提案された夏時刻が実施されなかった (できなかった) ということは、 夏時刻の実施のハードルがそれだけ高かった、 あるいは十分なメリットがみられなかったとも受け取れます。

[1759] 例えば厳しい灯火管制が敷かれた状態の方が、 夏時刻を導入するより照明のための消費電力が少なかったのかもしれません。

[1964] ところで、西部標準時地域や外地をどう扱おうとしていたのか、 山本の提案以外は言及していません。 自然に考えれば西部標準時地域も同様に1時間ないし2時間加えるのでしょうが、 西部標準時廃止後は地方時と2時間ないし3時間の時差が生じてしまうことになり (せっかく統一したのにまた分割するということもないでしょう)、 大変不便になったことでしょう。 満州国日本から強い要請があれば同調したでしょう (同調しない場合関東州は難しい判断を迫られそうです)。 現実の夏時刻実施でも諸勢力の足並みが揃わなかった中華民国 ( 中国大陸の標準時 ) では、 地理的にかなり無理のある日本夏時間に合わせるのは政治的に難しそうです。 内地夏時刻化が強行されていれば、 日満支経済ブロックのせっかくの標準時統合が水の泡となってしまうところだったかもしれません。

[1965] 大東亜戦争の開戦後に至っては、 南洋各地に展開する日本軍軍用時中央標準時でしたし、 南方占領地標準時として採用した地域もありました。 中央標準時はもはや事実上の大東亜の標準時となっていました。 内地の都合で夏時刻を実施したところで、 大東亜全体がそれに追随した (できた) とも思えず、 軍にも少なからず混乱がもたらされたはずです。

[607] 逆に言えば、そんなことも気にしないくらいのレベルにしか検討が進まなかったのであり、 日本軍も時刻政策に関心を持っていなかったということなのでしょう。

その後

[1] 昭和時代中期 昭和のサンマータイム

[2] 更にその後 日本の季節性夏時刻制定運動

メモ