原譯文編之五: 自永禄四年八月至永禄五年十二月
- 一五六一年十月八日(○永禄四年八月二十九日。)付、豊後発、フアン・フェルナンデスのインディアにあるアントニオ・デ・クアドロス宛書翰
- 一五六一年十一月五日(○永録四年九月二十八日。)付、鹿児島発、島津貴久のインディアにあるアントニオ・デ・クアドロス宛書翰
- (永禄)四年(○一五六一年一月十六日〜一五六二年二月四日。)付、薩摩発、島津貴久のインド副王ドン・フランシスコ・コウティーニョ宛書翰
- 一五六一年十一月二十八日付、バサイン発、アントニオ・デ・クアドロスのディエゴ・ライネス宛書翰
- 一五六一年十二月一日(○永禄四年十月二十五日。)付、ゴア発、パードレ・ルイス・フロイスのポルトガルにあるイエズス会員宛書翰
- 一五六一年十二月四日(○永禄四年十月二十八日。)付、バサイン発、マヌエル・テイシェイラのポルトガルにあるパードレ・マルコ・ヌーネス宛書翰
- 一五六一年十二月(○永禄四年十月二十五日〜十一月二十五日。)付、ゴア発、インド管区におけるイエズス会員名簿
- 一五六二年一月二十六日(○永禄四年十二月二十二日。)付、コチン発、ゴンサロ・ロドリゲスのエヴォラにあるレオン・エンリケス宛書翰
- 一五六二年(○永禄四年十一月二十六日〜同五年十二月六日。)付、リスボン発、ポルトガル国王ドン・セバスチャンのインド副王ドン・フランシスコ・コウティーニョ宛書翰
- 一五六二年三月十一日(○永禄五年二月七日。)付、リスボン発、ポルトガル国王ドン・セバスチャンの豊後にある大友義鎮宛書翰〔ほか〕
ま た ,永 録 十 二 年 (1569年 )に 赤 城 山で 何 らか の 火山 活動 が あ っ た 可 能 性を指摘 して い る が ,こ れ は 推 論 に よる もの で , 確 か な 記録 は 見 っ か っ て い な い .
[157] 永録は、同時代史料を含め多くの用例が知られています。 >>5 のように校訂で不可視化されているものまで含めれば、相当数が存在すると推測されます。
[158] それに比してその性格に敢えて言及したものはさほど多くありませんが、 誤字・宛字の類として扱われることが多いようです。
[159]
ただ、永禄に限らず禄を録と表記した事例はあまりに多いので、
現代的な表記基準から単純な誤記と判定するよりは、
前近代的表記慣習における位置付けを検討する必要があるでしょう。
[16]
昭和42年の
日本私年号の研究
は、
異年号のうち私年号に分類されないものの中で、
[156]
の書籍は、
いくつかの文献の翻刻本ですが、
そのうち2件で、
永録は永禄の
「
[137]
の史料集は、
>>133
を紹介して、
最初の永六元年に「
[130] の地域史は、 >>122 を紹介して、 永六二年は永禄二年に該当すると考えられる、 としています。 >>126
[125]
の報告書は、
>>122
を紹介して、
「
[116]
の史料集は、
>>107
>>110
>>113
を紹介して、
「
[80]
の一志茂樹の論文は、
>>88
を紹介して、
「
[96]
の史料集は、
>>88
を紹介して、
「
[93]
の史料集は、
>>88
を永禄9年条で紹介して、
「
[98]
,
,
の書籍は、
>>88
を紹介して、
「
[55]
,
の史料集は、
>>21 を紹介して、
「
[50]
,
の史料集は、
>>21 を紹介して、
「
[67]
の史料集は、
>>64
を紹介して、
「
[151]
の史料集は、
>>23
を紹介して、
「
[154]
の史料集は、
>>23
を紹介して、
「
[140]
解釈を明示しているほとんどの文献は、六を「ロク」音を表すと解釈し、
永禄と同定しています。
[141] 干支年や文脈から、 いずれの用例にも永禄として不自然なところは見当たりません。 また、これといった異説も見当たりません。
[142]
六表記に筆者の積極的な意図を見ようとする見解もあります (>>91) が、
... からすれば、深い意図がない当時の一般的な表記慣習の範囲内の揺れと見なす方が説得力を感じます。
[138] 事例の紹介はちらほらあるようですが、 体系的な検討はほとんどなされていません。
[25] 昭和42年の 日本私年号の研究 は、 異年号のうち私年号でない同音異字年号として >>21 >>23 を紹介し、 次のように述べています。 >>20
六は禄六とする例が見られることに注目禄を六と表現、[82] 中文版维基百科は、 日本私年号の研究を出典に、 大分県史料が永禄を永六と書いていると説明しています。 >>81
[139] 日本私年号の研究が私年号ではないと分類したためもあるのか、 その後の私年号研究などではほとんど扱われていません。
和暦 (永禄十一年カ)十一月七日
西暦 1568年 11月 7日
(永緑十一年カ)十一月七日
[186] 奈良帝室博物館絵画一覧, 奈良帝室博物館, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/936562/1/15?keyword=%E6%B0%B8%E7%B7%91
[185] 高鳥屋城主内村鶴寿丸の死闘, 下村繁雄, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/13201419/1/26?keyword=%E6%B0%B8%E7%B7%91 (要登録)
[187] 豊田市の文化財 : 写真と解説, 豊田市郷土資料館, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12706232/1/8?keyword=%E6%B0%B8%E7%B7%91 (要登録)
[1] 大日本地誌大系 第30巻, 花見朔巳 校訂, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1179191/1/64
[33] 昭和40年の久保常晴の論文では、 同音異字の異年号の表に永禄として収録していましたが、 説明はありませんでした。 >>32
[38] 昭和42年の 日本私年号の研究 は、 異年号・私年号でなく私年号的諸資料として、 次のように述べています。 >>37
[83] 中文版维基百科は、 日本私年号の研究を出典に、 新編会津風土記が永禄を誤って永祖と書いていると説明しています。 >>81
[3] 川口市史 古代・中世資料編, 川口市, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9641575/1/335 (要登録)
干支ずれ
[6] 群馬県史 資料編 8 (中世 4 金石文), 群馬県史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9644240/1/136?keyword=%E6%B0%B8%E7%A6%84 (要登録)
(永禄2年は己未)
[4] 古鐘逸響年表稿, 坪井良平, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2478237/1/37 (要登録) 右
永禄と記録があるが実は元禄