[22] 清国の日本史研究や元号研究で宏和, 宏知といった元号が使われました。
[23] 文脈から日本の公年号である弘和を指すことが明らかで、 それ以外の解釈の余地がありません。
[24]
弘を宏とするのは清国で行われた避諱であり、
したがって宏和が避諱元号であることは明らかです。
[25]
宏知は更に和を知としたものですが、
これを避諱するべき理由は知られていません。
和と知は字形が紛らわしく、
他の元号名にもこの種の誤りはしばしばみられることから、
これも誤記の可能性が濃厚といえます。
[20] 清の日本史書 吾妻鏡補 は、 明らかに弘和のことを宏和と書いています。 >>13
[21] 清の元号一覧書 紀元編 は、 宏知を掲載し3年継続としています。 >>17
[4] 昭和42年の 日本私年号の研究 には、 私年号ではない私年号的諸資料として宏知が掲載され、 次のように説明されています。 >>3
弘を宏とすることと、
天授と元中の間にあることから、
弘和の誤りとするべき[9]
先行書の誤りを指摘する紀元編
にもまた誤りあることを
日本私年号の研究
は指摘しているのですが、その
日本私年号の研究
もまた
和
と
知
の混同を引き起こしているのであり、
ままならない現実を感じさせます。
[1] 板碑概説, 服部清五郎, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1918330/1/390?keyword=%E5%BC%98%E5%92%8C (要登録)