元中

元中

延長年号

[4] 元中 - Wikipedia ( 版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E4%B8%AD

九州征西府や東国新田氏を中心とする南朝勢力の間では、合一後もなお「元中」年号が使用され続けた。具体例としては、『阿蘇文書』に元中10年(1393年)、『五条家文書』に同11年(1394年)・同12年(1395年)、『市河文書』に同14年(1397年)[2]、『日枝神社文書』に同18年(1401年)の各年紀を持つ文書がある。

[1] 明応熊沢天皇説の欄も参照。

メモ