[1] 史書等で干支元号年形式の日時表示が使われることがあります。
[5] 中華王朝の史書や、 中原をはじめ雲南や越南でも近世金文では通常の東洋の日時表示の元号名元号年干支年の順序がほとんどですが、 周縁地域では干支年が先に来ることがあります。
[8]
西夏語では元号名干支年元号年の順に書きますが、
西夏地域の漢文でもこの順序で漢字表記した例がみられます。
[14] 西夏語の言語的な特徴によるものなのか、たまたま形成された慣習なのか、どちらなのでしょうね。
[7] 越南では伝統的に史書で干支年を先に置く書き方が使われてきたようです。 干支を順に書いていき、そこに元号年と記事を書いていくような編纂方法から発展したものでしょうか。 後続の史書は前例に倣ったものでしょう。 列伝等の本文中には君主名干支年即位紀年の順に書いた例もあります。
[381] 日本でも年干支の後に年数が来るとされる例がごく稀に報告されています。 実在するのか、誤報告なのか、はっきりしません。
[13] >>355 の場合、中央の行に「永仁三年」とあって、その左右に干支を割り振る形で書かれていたものを、 たまたまこのように翻刻したのかもしれません。
[18] 江府名勝志, 藤原之廉 撰, 横関英一 校注, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9640430/1/109 (要登録)
[16]
朝鮮半島でも20世紀の偽書
桓檀古記
でこの形式が使われています。
[10] 《删注脉诀规正》((清)沈镜)电子书下载、在线阅读、内容简介、评论 – 京东电子书频道, , https://e.jd.com/30332426.html
本次校注选用的底本为收藏于中国中医科学院图书馆的清康熙庚辰三十九年(1700)刻本,该本虽不一定为是书之祖本,但属早期刻本应无误,且刻印精良,错讹极少。
[20] 大楠公秘史, 八板千尋, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1041757/1/115 (要登録)
[21] >>20 三河吉野朝関係の文書。元号名 + 十二支年 + 元号年。 月日にも怪しげな表記が。 飛んで /131 あたりにも。