明翁

明翁

[30] 明翁は、 日本の私年号とされるものの1つです。

日時事例

[8] 宇都宮市史 には銘文だけで、写真などはありません。 他書にも見当たらず、胎内銘ということで実見は困難と思われます。

[2] 宇都宮市史 は、 年代銘のみで作者銘などはない、としています。 そして明翁3年とはを表す私年号であろうと推測しつつも、 十二支年が一致しないことにも触れています。 >>1

[16] 現地案内看板、 宇都宮市の文化財情報サイト、 Wikipedia は、 「明応三年」 の銘文があると書いています >>15, >>9, >>14。 その全文は示されていませんし、原文に「明翁」とあることも書かれていません。 いったいどのような事情によるものでしょうか。

[18] 宝蔵寺の所属宗派天台宗のウェブサイトには、 宝蔵寺の現在地への移転が明応3年のことだったとあります >>17。 その根拠は書かれていませんが、寺伝によるものでしょうか。

[19] 偶然の一致とも思われず、胎内銘の解釈の際の参考にされた可能性もありそうですし、 逆に寺の移転時に仏像が作られたという説明もされていそうなものですが、 なぜか見当たりません。

[20] この銘文には気になる点がいくつもあります。

[3] これ人名を誤認パターンじゃないかな。

[5] >>23 でもメインの行の左右に干支割り振る形式をこういう翻刻にしてる事例を他で見たから、 これも実物みないとどうなのかわからんかもなあ。

[24] 宇都宮市の文化財情報サイトは、 「時代・年代」を「江戸時代」としています。 >>9 詳細は不明ですが、仏像の様式に基づく判定でしょうか。

[25] しかし胎内の墨書銘がなのに仏像が江戸時代というのはちょっと引っかかる話です。 仏像を作るより前にあったものを胎内に収めたからだ、と説明は一応付きますが... 「胎内墨書銘」としか説明がありませんが、 何にどのように書かれているのでしょうね?

[26] 亥年が3年になる日本の元号と「明」が入る他地域の元号を探してみた:

[28] やはりというか、当てはまるものが多い。

[27] 「辛」を音? 字形? で「壬」に誤ったり、 「癸」を字形? 訓? で「壬」に誤ったり、 ですかねえ?

[29] 「明翁」に変化しそうな元号名はないですねえ。

[31] 元号名が1文字しか合っていなくて干支が1文字もあっていない明応説は、 ちょっと根拠が弱すぎるのでは。

[32] かといって元号名無表記だとすると、なぜ省略したのか、そんな普通でない表記にする必要があったのか、という疑問が。

[33] 実は未発見の銘文前半があるとか。でも胎内でそんな急激に劣化して読めなくなるとも思われず。