[4] 桓檀古記 (환단고기) は、 朝鮮半島の歴史とされるものを記述した偽書です。
[5] 日本でいう超古代史や古史古伝に相当するものといわれます。
超古代からの朝鮮半島の歴史を太白教の桂延壽が編集したものを李沂が1911年(檀君紀元5808年)5月に印刷したとされる偽書。現行版は1949年に李裕岦が呉炯基に清書させ、1979年に印刷した版である。
本書は日本の古史古伝の研究家、鹿島曻により1982年、古史古伝と同じ扱いで日本語訳書が出版されることにより大韓民国で有名になった。
と説明しています。 >>1
[10]
21世紀初期の大韓民国では、
中華人民共和国の東北工程などに反発し
(
[13] 桓檀古記には日本が朝鮮人の分派によって建国されたという記述が含まれています。 >>11, >>12
[15] 昭和時代後期、日本の一部の人は本書の「発見」 で真の歴史が明かされると喜んだようです。 日本の古史古伝などと組合せて創造的な「真の歴史」 を探求する人が出現したのだそうです。 焚書説の項も参照。
[16] 偽書にはありがちですが、 桓檀古記 は焚書されながらもかろうじて守り抜かれ、 世に出ることになったという陰謀論的出自が語られています。
[18] 超古代史研究者として知られる鹿島昇著 歴史捏造の歴史 司馬遷から江沢民まで () に収録された大韓民国慶尚大学校名誉教授南正玩の文章によると、
著者がすすめる四書(年代順)とは、
(4) 李朝鮮の光武十五年(一九一一)、太白教の宣川桂延寿による『桓檀古記』、日本の焚書に抵抗した太白教徒がひそかに伝えたものである。
のだそうです。 >>17 つまりこれが鹿島昇の理解を端的に表したものになります。
[21] 同じような主張は、少数ながら現在も大韓民国や日本で続いています。 >>20, >>19 中国と日本が32万冊以上を焚書したのだそうです。 >>20
[24] 鹿島昇は、 桓檀古記を日本と朝鮮の真実の歴史を伝えるものだとして翻訳、 出版したようです。 >>22 冒頭の訳者による解説によると、 日本書紀 は偽史で、 三国史記 も 三国遺事 も信用できないのだそうです。 そして天皇家は実は朝鮮出身で、 その隠された出自が明らかになるのを恐れていたのだそうです。
[25] そこで日韓併合後に黒板勝美、今西竜ら御用学者を動員して 「偽史シンジケート」、「歴史マフィア」 を組織して朝鮮半島の全史料を掠奪したり、 陸軍軍人酒匂景信に好太王碑を損壊させたりして、 真実の歴史が書かれた半島の史書が明るみに出るのを防いだのだそうです。 >>22 /15
[26] そして桓檀古記こそが天皇家の出自を明記した危険な史書で、 朝鮮総督府は半島全土を捜索させたのですが、 太白教徒が命がけで隠し通して、 大東亜戦争の終戦の後になって不死鳥の如く出現したのだというのです。 >>22 /15, /16
[71] 鹿島昇が 桓檀古記 を入手したのは大韓民国ソウル市の自由社代表朴蒼岩邸でしたが、 朴蒼岩は 「朝鮮総督府が韓半島の史書のすべてを掠奪したいきさつを記録する、門外不出の公文書」 を鹿島昇に託したのだそうです。 >>22 /266
[72] そして 桓檀古記 等と公文書によって、 「黒板、今西という、いわゆる史学の超大物が、実はその学者の仮面の裏に偽史シンジケートの元兇という素顔を隠していた」 ことが判明し、 桓檀古記 を読むとその「恥ずべき所業」をなぜ行ったのか、 すなわち「天皇家の祖先が決して日本列島自生の一族ではなく、朝鮮半島からの亡命者であったことを、疑問の余地なく述べている」 ことが判明したのだそうです。 >>22 /266
[27] 超古代史研究者として知られる吾郷清彦の >>22 冒頭の序文によると、 桓檀古記 は 「度重なる焚書によって失われた古代の歴史」 を伝えて韓民族と倭人のルーツを伝えるアジアの至宝なのだそうです。 >>22 /8
[31] 鹿島昇は出版の少し前、 の蔵前工業会 (東京工業大学の同窓会) で講演して自説を披露しています。 それによると、 桓檀古記 は明治時代に朝鮮総督府が掠奪したにも関わらず、 一部だけ甕の中に隠しておいたのだそうです。 桓檀古記 などから 日本書紀 の嘘がわかるのだといいます。 >>30 /7
[32] しかも「明治焚書」といって、
明治時代に朝鮮総督府があらゆる史書を
焼いた。その理由は百済の亡命者だという ことを隠すことにあった。系図を隠すため に日韓併合をやった。私はソウルに行っ て, 要するに朝鮮の人が日本に来て日本の 歴史を焼いて, つぎに本国に戻って本国の 歴史を焼いたといっております。
[33] 桓武天皇の祖先に百済王がいるのは平成時代の日本では有名です。 明治時代にはそれを隠さなくてはならず日韓併合したというのです。 神皇正統記 にも桓武天皇時代に「日本が三韓と同じ」という書を焼いたとあるので、 日本でも本国でも歴史を焼いていることになるのだそうです。 ちなみに桓武天皇の支持者に秦氏がいますが、 秦氏の祖先の始皇帝も、孔子も実はユダヤ人で、 秦の焚書で系図を隠したのだそうです。 >>30 /11
[29] の経営関係の雑誌で、 大韓民国の大統領来日で警備が厳しいことから突然なぜか 桓檀古記 の話が始まる独創的な「編集後記」があります。 それによると、
のだそうです。 >>28
[39] 経営コンサルティングには幅広い知識が必要なのだと感心させられますが、 >>34 >>38 は鹿島昇の言っていることと大筋で同じなので、 他も鹿島昇かその周辺から出てきた内容なのでしょう。
[42] そんなところに顔を出すくらいですから、 鹿島昇の主張に触れて賛同する人も当時は少なからずいたのでしょう。
[44] それでは 桓檀古記 は焚書されたのでしょうか。 焚書のことは 朝鮮史編修会事業概要 >>43 に書かれているのだそうです。 朝鮮史編修会は大日本帝国朝鮮総督府に設置された朝鮮の史書編纂のための国家機関で、 内地人や朝鮮人の学者らが参加していました。 これが「御用学者」なのでしょう。
[45] 実のところ本書に焚書しましたとは書かれていません。 資料蒐集を伴う史書編纂と焚書は正反対の作業なのだから当然です。
[46] 編纂事業開始の目的は次のように説明されています。 >>43
[51] つまり日本の植民地統治に相応しくない史書で溢れているが、 禁止するのは無理なので新しい史書を作ろうという趣旨だというのです。
[52] この事業趣旨は現代の視点から見れば皇国史観の 「偽史」構築と批判されても仕方ないのかもしれませんが、 少なくても旧史を焼くことには反対しています。 これを焚書の根拠として引用することの方が偽史に思えます。
[53] 本書には朝鮮半島各地や内地から朝鮮史関係の文書を収集したことが書かれています。 史料の収集は史書編纂の基礎的作業ですから、当然のことです。 史料調査もしないで妄想を書き散らかす方が「偽史」です。
[55] ただ注意しなければならないのは、 当時の朝鮮人や現代の大韓民国人が日本の近代化事業を 「風水侵略」 と誤解したように >>54、 史料収集事業が (たとえ権限を持つ有力者の了承を得ていたとしても、 それ以外の一般人から) 収奪と認識された可能性は排除できません。 史料を借用して写本を作ったり、博物館に収蔵するだけでも、 「掠奪」「文書狩り」「焚書」 と認識された (または後に記憶が置き換えられた) こともあったかもしれません。
[56] とはいえ、それと 桓檀古記 がその対象だったかは別問題です。 現在知られている限り、 桓檀古記 は大日本帝国時代の研究者の知るところとなっていません。 「秘蔵」されて守りきった以外の写本は存在しないのか、 それとも研究者の手に渡ることなく本当に焚書されてしまったのでしょうか。
[58] 大韓民国出身の日本の大学の研究者の平成時代の論文によると、 日韓併合直後に朝鮮総督寺内正毅は40種20万冊の朝鮮語書籍を押収して焚書したのだそうです。 そしてそれ以後、押収と焚書が繰り返されたのだそうです。 また、朝鮮人が多く住んでいた上海で発行された併合10年後の英字紙によると、 日韓併合直後にあらゆる国史、1字1画でも韓国の文化を記録した文字があるものを没収し焼却しており、 国史を見ただけでも勾留されたのだそうです。 >>57 #page=3
[59] このような主張は20世紀末期から21世紀初期に大韓民国や日本の一部の研究者が行っているようです。
[61] 一方で令和時代の日本の研究者によると、 寺内正毅は精力的に文化財保護行政を推し進めたにも関わらず、 掠奪文化財を内地に持ち帰ったとするデマが拡散されているのだといいます。 >>60 #page=11 焚書についても、日韓併合当時の朝鮮には出版業界が未形成で、 焚書するべき「数十万冊」もの朝鮮書が存在しない可能性が高いのだそうです。 >>60 #page=19
[62] 当時の日本は、内地でも出版は厳しく統制されていました。 国内外で分離独立派が暗躍する朝鮮でも新しい史書 (>>49) には当然厳しい官憲の目が向けられていたはずです。 現代の日本なら表現の自由、思想信条の自由は守られるべきですが、 当時はそうではありません。 「危険思想」の書籍出版は差し止められるでしょうし、 国外からの持ち込みも認められないでしょう。 ただそれは出版規制、検閲の問題なのであって、 数十万冊の焚書で文化や歴史を抹消するのと一緒にすることはできません。
[65] 1字1句も許されないほど厳しく大規模な押収活動が行われていたなら、 現存する朝鮮史や朝鮮文化とその記録はいったいどこに隠されていたのだということになります。 そして日韓併合前後の朝鮮には多数の外国人も在住していたのですから、 もっと詳細な焚書記録が残っていてもいいはずです。 大々的な焚書が実施されていたなら、 桓檀古記 のような貴重な記録を国外に持ち出す外国人がなぜ現れなかったのでしょうか。 桓檀古記 以外にも、現在伝わらない貴重な 「真の歴史」 を書いた書物はもっとたくさんあったはずではないでしょうか。
[64] 平成時代にウィキペディアにも焚書で歴史記録が失われた旨の記述がなされたようですが、 出典をたどっても原典が見つからないと指摘されています。 >>63
[80] 現在でも大韓民国で 桓檀古記 を信奉する宗教は、 焚書とはいっていませんが、似たようなことを主張しています。 >>79 (25分頃から)
[81] それによると、 伊藤博文が朝鮮に来て、 日本が朝鮮を永久に支配するため歴史を断ち切る必要があると感じたので、 天皇の特命で朝鮮総督府に特別機関朝鮮史編修会が設置され、 今西竜が三国遺事を改変したり、 檀君に不当な評価を下したのだそうです。 >>79
[83] また 桓檀古記 はに独立運動家の支援で初刊本30冊が発行されましたが、 日本帝国主義学者黒板勝美はそれを読んで衝撃でその場で燃やしてしまったのだそうです。 おそらく日本の正倉院や王室宝物庫 (宮内庁書陵部的な何かを想定しているか?) にも1冊くらいは残っているのではないかと思っているそうです。 >>82 (27分頃から)
[75] 大韓民国でも 桓檀古記 の評価はわかれているようで、 学術的な素養のある人は 桓檀古記 の名前があるだけで検討の価値すらないような扱いをするものの、一方では
なのに韓国では桓檀古記を否定するだけで、「日本のまわし者」扱いされて罵られることが多いらしい。
また、部分的には類似した史観が学校の歴史教科書にも採用されていることから、
ともいわれています >>11。
[1] 桓檀古記 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%93%E6%AA%80%E5%8F%A4%E8%A8%98
[2] 환단고기 - 나무위키, https://namu.wiki/w/%ED%99%98%EB%8B%A8%EA%B3%A0%EA%B8%B0