天𢙎

天慶

[55] 天慶は、 日本の公年号の1つです。

天𢟻

[1] 天𢟻は、天慶の避諱元号です。

[52] 日本の元号で避諱が行われた珍しい事例の1つです。

元号名

[12] 天慶の慶を𢟻に置き換えたものです。

[27] 読みは避諱前元号と同じで「てんけい」と考えられます。 (c.f. >>19)


[13] 黄門白石問答の用例 (>>10) は、 国立公文書館本 >>6, 京都大学蔵写本 >>7 のいずれも、やや崩れた字形でありながらも点画は比較的明瞭で、 明確に𢟻を表しています。

[49] 古事類苑 は明朝体で 𢟻 と翻刻しています。 >>4, >>35, >>3 明治時代の避諱の研究者和田英松による国学院雑誌所収の論文も明朝体で 𢟻 と翻刻して引用し、本文でも同じ文字で表記しています。 >>2

[16] 中京大学図書館本 >>15 ではやや字形が不明瞭ですが、右上が攵でなく牙になっているようにも見えます。

[58] 国立公文書館蔵鶯宿雑記本新埜問答 写本は、全文が草書のかなり崩れた字形であり、 左上に土、右上に殳、下に心がありますが、 左中間が口のような意図を断定しがたい字形となっています。 >>57

[19] 新井白石全集本新野問答 (黄門白石問答) では 「天𢙎 (ケイ) 」 (明朝体) のように翻刻されています。 >>18

[20] この𢙎のような字形は、国立国会図書館デジタルコレクション本新井白石全集では潰れてやや不明瞭で、 了なのかどうか、そのノの部分が見えずはっきりしませんが、 ノに当たるはずの部分の黒色部分の形状や一の部分が左寄りになっていることからみて、 了である可能性は十分にあると考えます。 末筆も撥ねているのか不鮮明ですが、撥ねの有無に関わらず同じ文字とみていいでしょう。 >>18

[21] 他の部分は平仮名ですが、読みは片仮名になっています。 >>18


[17] いずれにしても、諱であることから古字で書いたと説明されています。 >>6, >>7, >>15, >>18

[14] 中御門天皇 (在位-) の諱が慶仁であり、 これを避けたものと考えられます。 古事類苑もそう注釈しています >>4。 明治時代の避諱の研究者和田英松もそう判定しています >>2。

[22] 諸本の系統と成立時期は必ずしも明確ではありませんが、 本書中の紀年、 野宮定基の没年、 中御門天皇の在位時期、 諸本の異同を総合的に鑑みて、

と判断します。


[31] 𢟻は赧の異体字の1つとされます。 康煕字典, 大漢和辞典などにも収録されています。 >>32, >>33

[34] ところが𢟻や赧を慶の異体字とする資料は他に見当たりません。

[36] 古事類苑は𢟻を明朝体でそのまま翻刻しつつ、 注釈して 六書通に慶の古文〓声'殳心 (明朝体) とあり、 その誤写だろうと述べています。 >>4, >>35, >>3

[37] 〓声'殳心の左上は一見声ですが、よく見ると士ではなく十で尸の下横画まで達します。 国立国会図書館デジタルコレクション本ではやや不明瞭です >>4 が、 国際日本文化研究センター・古事類苑ページ検索システム本では比較的鮮明であり >>35、 古事類苑全文データベース本では外字画像を作成しており字形が明瞭です >>3。

[38] 〓声'殳心 は、 慶や𢟻の異体字としても、 声, 殳, 心で構成される文字としても、 異體字字典 や zi.tools に収録されていません。 GlyphWiki や CHISE IDS Find でも見つけられません。 異体字解読字典の慶の項にもありません。

[41] 国立公文書館蔵六書通刊本の慶の項に、 声殳心 (篆書) があって、注文が「古文」となっています。 >>40

[42] 声殳心 は、同じ PDF 頁に収録された 罄, 磬 >>40 との比較などから明らかなように、 声殳心 と隷定されるべき文字です。

[43] ところでその左上の 声 の部分は、 確かにその字画の形状だけを見れば、 声ではなく赤とも解釈できないことはありません。 赤の篆書の字形とは似ていないので、 声や赤の篆書の知識があれば 声 は 声 と隷定する以外の選択肢は無さそうですが、 字形だけなら赤と誤解することもあるのかもしれません。

[44] 殳 と 攵 / 攴 も近い字形であり、 混同されることがないとも言えません。

[45] 古事類苑 が 六書通 の古文を根拠に誤写と推定したのも、 こうした関係性を考慮してのことでしょう。

[46] 声殳心 から 𢟻 への変化は、 隷定として直接起こった可能性がありますが、 声殳心 のような楷書かそれに近い行草の字形を経由した可能性も否定はできません。

[47] 𢟻 の字形を使ったのは野宮定基の可能性が高いと思われますが、 それ以後の写本が字形を誤った可能性も否定できません。 また、 𢟻 の字形を作ったのが野宮定基とは限らず、 先行する字書類に掲示された古字をそのまま写した可能性もあります。

[48] いずれにせよ、 赧 の異体字である 𢟻 とは同一字形の別字の衝突と考えるのが妥当でしょう。

文字
文字
慶
避諱
𢟻
異体字
:swc732
文字
文字
𢟻
関連
𢙎
関連
:swc732
文字
文字
:swc732
異体字
:swc733
文字
文字
:swc733
字形
:tensho-TE00019_0038_2_X1418_Y1931
字形
:tensho-TE00012_0038_2_X1418_Y1931
文字
文字
:swc734
字形
:tensho-TE00003_0326_1_X1281_Y2490
字形
:tensho-TE00026_0065_1_X4075_Y3187

[28] 𢙎は慶の異体字の1つとされます。 康煕字典, 大漢和辞典などにも収録されています。 >>29, >>30

[51] 𢟻, 〓声'殳心, 声殳心 と 𢙎 とは字形の差が大きいですから、両者の字形が一方から他方に直接的に変化したとは考えにくいでしょう。

[50] よって、無意識的な変化によるものではなく、 慶の古字であるという注釈に基づき意識的に校訂したものと思われます。 全集本 >>18 収録時に訂正したものか、 底本とされた諸本のいずれかに既に 𢙎 とあってそれを採用したものかは定かではありません。 読み仮名を付したのも同じ校訂者でしょうか。

用例

[10] 現在知られる唯一の用例は黄門白石問答です。

[8] 黄門白石問答の回答の部分に、 「天𢟻依御諱用古字純友」 とあります。 >>6, >>7

[9] 黄門白石問答 は新井白石 (-) と野宮定基 (-) の問答集であります。

[11] 明記はされていませんが、藤原純友の乱についての言及であることから、 天慶の避諱であることが明白です。

研究史

[56] からに編纂された 古事類苑 が注釈を入れた (>>36, >>14) ものと、 に日本史・日本文学の研究者和田英松 (-) が注釈を入れつつ (>>14) 紹介したものが早い事例です。

[59] ところがその後避諱の事例として紹介されることはほとんど無かったようです。 和田英松の研究を参照している後続の論文でも天𢟻に触れているものは見られません。

[60] また、元号研究の文脈で紹介された事例も、 現在知られている限り、皆無です。

メモ

[53] 現在まで報告されている用例は1つだけです。 天慶以外の慶の避諱の例も知られていません。 未報告の用例があるかもしれませんが、 単発または限られた範囲でのみ使われたと判断するのが妥当でしょう。

[54] 避諱のことを敢えて注釈しているのも、注釈がなければ読めないと筆者が考えたからでしょう。 古い天慶の元号はそこまで頻繁に使わないにせよ、 慶の文字を使う機会は他にもあったはずで、 新井白石門派内部でもそこまで認知されていない書き方だったと思われます。

メモ