[27] 読みは避諱前元号と同じで「てんけい」と考えられます。 (c.f. >>19)
[13]
黄門白石問答の用例 (>>10) は、
国立公文書館本 >>6,
京都大学蔵写本 >>7
のいずれも、やや崩れた字形でありながらも点画は比較的明瞭で、
明確に𢟻
を表しています。
[49]
古事類苑 は明朝体で
𢟻
と翻刻しています。
>>4, >>35, >>3
明治時代の避諱の研究者和田英松による国学院雑誌所収の論文も明朝体で
𢟻
と翻刻して引用し、本文でも同じ文字で表記しています。
>>2
[16]
中京大学図書館本 >>15
ではやや字形が不明瞭ですが、右上が攵
でなく牙
になっているようにも見えます。
[58]
国立公文書館蔵鶯宿雑記本新埜問答
写本は、全文が草書のかなり崩れた字形であり、
左上に土
、右上に殳
、下に心
がありますが、
左中間が口
のような意図を断定しがたい字形となっています。
>>57
[19]
新井白石全集本新野問答 (黄門白石問答)
では
「
[20]
この𢙎
のような字形は、国立国会図書館デジタルコレクション本新井白石全集では潰れてやや不明瞭で、
了
なのかどうか、そのノ
の部分が見えずはっきりしませんが、
ノ
に当たるはずの部分の黒色部分の形状や一
の部分が左寄りになっていることからみて、
了
である可能性は十分にあると考えます。
末筆も撥ねているのか不鮮明ですが、撥ねの有無に関わらず同じ文字とみていいでしょう。
>>18
[21] 他の部分は平仮名ですが、読みは片仮名になっています。 >>18
[17] いずれにしても、諱であることから古字で書いたと説明されています。 >>6, >>7, >>15, >>18
[14] 中御門天皇の諱が慶仁であり、 これを避けたものと考えられます。 古事類苑もそう注釈しています >>4。 明治時代の避諱の研究者和田英松もそう判定しています >>2。
[22] 諸本の系統と成立時期は必ずしも明確ではありませんが、 本書中の紀年、 野宮定基の没年、 中御門天皇の在位時期、 諸本の異同を総合的に鑑みて、
と判断します。
[31]
𢟻
は赧
の異体字の1つとされます。
康煕字典, 大漢和辞典などにも収録されています。
>>32, >>33
[34]
ところが𢟻
や赧
を慶
の異体字とする資料は他に見当たりません。
[36]
古事類苑は𢟻
を明朝体でそのまま翻刻しつつ、
注釈して
六書通に慶
の古文
(明朝体) とあり、
その誤写だろうと述べています。
>>4, >>35, >>3
[37]
の左上は一見声
ですが、よく見ると士
ではなく十
で尸
の下横画まで達します。
国立国会図書館デジタルコレクション本ではやや不明瞭です >>4 が、
国際日本文化研究センター・古事類苑ページ検索システム本では比較的鮮明であり >>35、
古事類苑全文データベース本では外字画像を作成しており字形が明瞭です
>>3。
[38]
は、
慶
や𢟻
の異体字としても、
声
, 殳
, 心
で構成される文字としても、
異體字字典
や
zi.tools
に収録されていません。
GlyphWiki
や
CHISE IDS Find
でも見つけられません。
異体字解読字典の慶
[41]
国立公文書館蔵六書通刊本の慶
(篆書)
があって、注文が「
[42]
は、同じ PDF 頁に収録された
罄
,
磬
>>40 との比較などから明らかなように、
と隷定されるべき文字です。
[43]
ところでその左上の
の部分は、
確かにその字画の形状だけを見れば、
声
ではなく赤
とも解釈できないことはありません。
赤
の篆書の字形とは似ていないので、
声
や赤
の篆書の知識があれば
は
声
と隷定する以外の選択肢は無さそうですが、
字形だけなら赤
と誤解することもあるのかもしれません。
[44]
殳
と 攵
/ 攴
も近い字形であり、
混同されることがないとも言えません。
[45] 古事類苑 が 六書通 の古文を根拠に誤写と推定したのも、 こうした関係性を考慮してのことでしょう。
[46]
から
𢟻
への変化は、
隷定として直接起こった可能性がありますが、
のような楷書かそれに近い行草の字形を経由した可能性も否定はできません。
[47]
𢟻
の字形を使ったのは野宮定基の可能性が高いと思われますが、
それ以後の写本が字形を誤った可能性も否定できません。
また、
𢟻
の字形を作ったのが野宮定基とは限らず、
先行する字書類に掲示された古字をそのまま写した可能性もあります。
[48]
いずれにせよ、
赧
の異体字である
𢟻
とは同一字形の別字の衝突と考えるのが妥当でしょう。
[28]
𢙎
は慶
の異体字の1つとされます。
康煕字典, 大漢和辞典などにも収録されています。
>>29, >>30
[51]
𢟻
,
,
と
𢙎
とは字形の差が大きいですから、両者の字形が一方から他方に直接的に変化したとは考えにくいでしょう。
[50]
よって、無意識的な変化によるものではなく、
慶
の古字であるという注釈に基づき意識的に校訂したものと思われます。
全集本 >>18 収録時に訂正したものか、
底本とされた諸本のいずれかに既に
𢙎
とあってそれを採用したものかは定かではありません。
読み仮名を付したのも同じ校訂者でしょうか。
[8]
黄門白石問答の回答の部分に、
「天𢟻
[9] 黄門白石問答 は新井白石と野宮定基の問答集であります。
[11] 明記はされていませんが、藤原純友の乱についての言及であることから、 天慶の避諱であることが明白です。
[56] からに編纂された 古事類苑 が注釈を入れた (>>36, >>14) ものと、 に日本史・日本文学の研究者和田英松が注釈を入れつつ (>>14) 紹介したものが早い事例です。
[59] ところがその後避諱の事例として紹介されることはほとんど無かったようです。 和田英松の研究を参照している後続の論文でも天𢟻に触れているものは見られません。
[53]
現在まで報告されている用例は1つだけです。
天慶以外の慶
の避諱の例も知られていません。
未報告の用例があるかもしれませんが、
単発または限られた範囲でのみ使われたと判断するのが妥当でしょう。
[54]
避諱のことを敢えて注釈しているのも、注釈がなければ読めないと筆者が考えたからでしょう。
古い天慶の元号はそこまで頻繁に使わないにせよ、
慶
の文字を使う機会は他にもあったはずで、
新井白石門派内部でもそこまで認知されていない書き方だったと思われます。