AD-3176 (BC3177) AD-2996 (BC2997) AD-2816 (BC2817) AD-2636 (BC2637) AD-2456 (BC2457) AD-2276 (BC2277) AD-2096 (BC2097) AD-1916 (BC1917) AD-1736 (BC1737) AD-1556 (BC1557) AD-1376 (BC1377) AD-1196 (BC1197) AD-1016 (BC1017) AD-836 (BC837) AD-656 (BC657) AD-476 (BC477) AD-296 (BC297) AD-116 (BC117) AD64 (BC-63) AD244 (BC-243) AD424 (BC-423) AD604 (BC-603) AD784 (BC-783) AD964 (BC-963) AD1144 (BC-1143) AD1324 (BC-1323) AD1504 (BC-1503) AD1684 (BC-1683) AD1864 (BC-1863) AD2044 (BC-2043)
[25] から始まる上元を第1とする数え方 >>7863 がよく使われます。 この数え方は黄帝紀元と深い関係があります。
[60] 日本の江戸時代には60年ずれた三元甲子が用いられました。
[4] 九星と三元にまつわる残念な小話, M.Suzuki, http://koyomi8.com/doc/mlwa/202102200.html
九星の最初の上元甲子は 604年で、あとは 180年ごとに三元が循環するとい いましたが、どこでどう間違えたのか、日本の九星暦家は貞享元年(1684年 上元甲子の年)を下元甲子の年と長いこと思いこんでいたようです。
[9] でもこの記事が「残念」なのは本当はそこではなくて
とすると、2007年はこの上元甲子から 158年目、六白金星の年ということに なります。これが判れば、来年も再来年も、「○○運勢暦」など購入しなく ても自分で、年家九星を求めることができますね。
で、実はは144年目。 158年目になるのは。どうしてそんな間違いが生じたかというと・・・
[5] 暦注の話 ・・・ 九星(2), M.Suzuki, http://koyomi8.com/doc/mlwa/200703150.html
[10] >>4 (発行) は >>5 (発行) の使いまわしで元の文章は
とすると、2007年はこの上元甲子から 144年目、二黒土星の年ということに なります。これが判れば、来年も再来年も、「○○運勢暦」など購入しなく ても自分で、年家九星を求めることができますね。
だった >>5。発行年に合わせて修正するときに年号だけ漏れていたという「残念」。
[26] 東洋の日時表示で三元甲子を使うことは稀ですが、 各地各時代で見られます。
[43] 宋や元の墓誌などにもあります。 >>7863 #page=39
[22] 昭和時代前期の朝鮮研究者鮎貝房之進は、 上元とは上國紀元の略で、 上國とは宋のことだと考えました。 高麗が宋の元号を採用したのがの12月とされるので、 その翌を起点とし、 遼の元号を使う時代になっても宋の紀元を使ったのだと説明しました。 >>17
[23] 確かに宗主国の宋のことを上國と呼ぶ用法はその時代の高麗で見られたもので、 崇禎紀元のような事例からも類推できるおもしろい説なのですが、 三元甲子はこの時代の高麗に限らず東アジア全体で行われた概念ですので、 採るのは難しいです。
[50] 1_KJ00006476847.pdf, https://www.jstage.jst.go.jp/article/religionandsociety/1/0/1_KJ00006476847/_pdf#page=5
[13] 三國遺事/卷第三 - 维基文库,自由的图书馆, , https://zh.wikisource.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9C%8B%E9%81%BA%E4%BA%8B/%E5%8D%B7%E7%AC%AC%E4%B8%89
有本朝名士吳世文。作歷代歌。從大金貞祐七年己卯。逆數至四萬九千六百餘歲。為盤古開闢戊寅。又延禧宮錄事金希寧所撰大一歷法。自開闢上元甲子至元豐甲子。一百九十三萬七千六百四十一歲。又纂古圖云:開闢至獲麟。二百七十六萬歲。
[48]
。高麗の延長年号 +2年 (
[46] 。 これを第3巡の下元甲子として1937641年遡ると、 、 第-10761巡の上元甲子が開闢上元甲子。
[14] 朝鮮寺刹史料 下, 朝鮮総督府内務部地方局, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/992067/1/26
天開甲子後六萬九千三百八十五年午會第十三運之二百六十五年己丑二月上澣
[38] 朝鮮金石総覧 上, 朝鮮総督府, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/946079/1/127
是以運開一千甲子始遇聖明曆數五百星霜再逢賢哲
[39] >>13 >>14 >>15 は地理讖緯説と言われる道詵者流の思想で、 儒道仏を巧みに取り入れた一種の陰陽論であって、 高麗中期から仏教徒の間にも盛んになりました。 >>7863
[40] 例えば
天開於子、一萬八百年、好成寥廓之気、地闢於丑、至一萬八百年、始成厚重之形、人生於寅、 與天地為一三才之理
のように説かれているものと関係します。 >>7863
[41] 一千年甲子の説は
天人之際雖遠、而布算積刻苟録千年、則必得甲子朔日夜半冬至云
のように説いていて、甲子朔日冬至は暦数家の説を採っています。 >>7863
[42] また
人皇氏以後、至四萬五千六百年甲辰、即帝尭即位之元年、尭之二十五年戊辰、 即檀君即位之元年也
[6] 暦 - Uyopedia, , http://uyopedia.a.freewiki.in/index.php/%E6%9A%A6%E5%88%B6#.E5.8E.9F.E7.90.86.EF.BC.9A.E6.98.9F.E8.AA.AD.E3.81.BF
これらを「十天干・十二地支・九人星」といい、すべて組み合わせれば180年の周期ができる。180年は六十干支が3つ重なったもので最初の甲子年を「上元」、次を「中元」、最後を「下元」という。最近の上元はAD1864年(甲子年)、中元はAD1924年(甲子年)、下元はAD1984年(甲子年)であり、次回の上元はAD2044年(甲子年)である。九星でいうと上元の年は必ず一白水星の年、中元の年は必ず四緑木星の年、下元の年は必ず七赤金星の年になる。
[7] 九星気学 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E6%98%9F%E6%B0%97%E5%AD%A6#%E4%B9%9D%E6%98%9F%E3%81%AE%E5%BE%AA%E7%92%B0
年については180年を一つの周期としている。180年の最初の干支は甲子で、干支の周期である60年を一つのくくりとして、上元、中元、下元に分けられている。最も近い上元は1864年から始まっており、2008年現在は下元であり、一白の年である。上元の甲子年を一白として、九紫、八白と星についている数字が減るように循環させて行く。この数が減る循環のさせ方を陰遁とよんでいる。
[37] 暦元のことを上元ともいいます。一般には無関係ですが、 敢えて暦元を上元に揃えて同じものとして語ることもあります。
[1] 紀元・暦法を集めるスレ, https://academy4.5ch.net/test/read.cgi/whis/1044889496/119-129
[15] 朝鮮金石総覧 上, 朝鮮総督府, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/946079/1/157
[24] 青丘学叢 (19), 青丘学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1544543/1/90 (要登録)
[49] 算博士三善為康について_v3 - miyoshi_no_tameyasu.pdf, , https://www.lab.twcu.ac.jp/~osada/miyoshi_no_tameyasu.pdf#page=5