[21]
日本国静岡県南伊豆町伊沢普照寺鰐口
「
[22] わざわざ作字したように見える。 本書の他の箇所は通常の「庚」を使っている。 (がこの種の異体字を厳密に翻刻している例は本書の他の箇所にほとんどない。)
[51] 朝鮮金石総覧 上, 朝鮮総督府, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/946079/1/166
[52] >>51 「玄」が欠画。原文は高麗時代なので翻刻した明朝体活字がたまたまそうだったのかもしれない。
[53] >>54 避諱で丙のかわりに景を使った、唐の属国の新羅の事例
[29] あまり紹介されることはありませんが、 「庚」が「更」と書かれることがあります。 字形ないし音の類似による通用なのでしょうか。 それとも誤記、誤写の類なのでしょうか。
[43] 辞書では異体字関係にはされていませんが、 十干の意味の説明では庚が更と関連付けられていることが多いようです。 同音語という説明が多いようです。
[38] ウェブ検索によるとハングルに漢字を併記したページが多く、 ハングル世代の同音語の混同とも思われますが、 単なる誤りにしては用例が多いです。 (が、同じページで 「更子年」と「庚子年」を併用しているような例も多いので、 誤用にも思われます。)
[39] ウェブ上には韓国語用例が多いですが、 中文も案外多く、 中華人民共和国でも中華民国台湾でも用例があります。
[44]
越南の元号に関する越南人研究者の論文で、
日本語版では
大越史記全書
から引いて西暦紀元前111年 (111年とだけあるのは誤り)、
西暦970年を
「
[45] ところが 维基文库本大越史記全書の該当箇所は 「庚午」 になっています。
[46] 同論文の越南語版の該当箇所は越南語国語表記しかありません。 >>230
[47] 越南で流通しているであろう 大越史記全書 では 「更午」 と書かれているのでしょうか。 それとも和訳時に宛てたのでしょうか。 現代の越南ではこの語に更を宛てるのが普通なのでしょうか?
[40] 古籍の用例はあまり出てきません。 また意外にも日本語の用例は出て来ないので、 日本語入力の誤変換ではなさそうです。 (日本語を含む東アジア全域で同音なのに、 日本語でだけ用例がないのは不思議です。)
[24] 運歩色葉集, , https://www.komazawa-u.ac.jp/~hagi/txt_seiunpoirohashu.txt
いするぎ,【石動】,石動 能登國孝謙女帝天平勝宝虔刀立至天文十六丁未七百九十八年也,イスルキ,103
「虔刀」 (庚寅)
[25] huibao_028.pdf, https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/78838/huibao_028.pdf#page=5
[26] 黒羽夏彦さんはTwitterを使っています: 「片岡巌『臺灣風俗誌』(臺灣日日新報社、1921年)をめくっていたら、当時の台湾で用いられていた略字の例が載っていた。現在の中国の簡体字と同じものも多い。 https://t.co/1jDgDaUf84」 / Twitter, , https://twitter.com/troubadour_k/status/1571417631881826305/photo/1
[27] 先哲叢談 8巻, 原 念斎, , , https://doshisha.repo.nii.ac.jp/index.php?active_action=repository_view_main_item_detail&page_id=13&block_id=100&item_id=2619&item_no=1
序に「文化14年歳次彊圉赤奮若孟春月下浣 江都佐藤坦大道甫題於愛日樓南軒」とあり
[57] XユーザーのGordian Schreiber@Managraphyさん: 「@JUMANJIKYO もう一つの返事でごめんなさい。 十干の「庚」が「广」で略した例もあります。その字体は高山寺本表白集に書いてあります。 添付している画像は『高山寺本古往来 表白集』(1972年、854頁)からのです。翻刻は「久安二年十月四日广〔庚〕子」と述べます。 https://t.co/fazzekG13Q」 / X, , https://twitter.com/managraphy/status/1699436966620586193
[60] 国書データベース, https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100371627/17?ln=ja 左
[59] No.338.pdf, , https://www.town.kadogawa.lg.jp/magazine/data/No.338.pdf#page=4
発巳 (癸の誤植?)
[1] Celestial stem - Wikipedia, the free encyclopedia ( 版) https://en.wikipedia.org/wiki/Celestial_stem
[4] 阿波文字 - Wikipedia () https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%AD%97
[5] 【太神宮諸雑事記】, http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0214-22602&IMG_SIZE=&PROC_TYPE=null&SHOMEI=%E3%80%90%E5%A4%AA%E7%A5%9E%E5%AE%AE%E8%AB%B8%E9%9B%91%E4%BA%8B%E8%A8%98%E3%80%91&REQUEST_MARK=null&OWNER=null&BID=null&IMG_NO=5
即位三
年 >>6 关 酉
关 = 癸
[48] 暦 - Uyopedia, , http://uyopedia.a.freewiki.in/index.php/%E6%9A%A6%E5%88%B6#.E5.8E.9F.E7.90.86.EF.BC.9A.E6.98.9F.E8.AA.AD.E3.81.BF
中国では甲年から始まる10年を1甲、10甲=1元=約60年(干支の一回り。この元は普通は「運」であり、元とするのは何かの間違いかと思われる)、6元=1周=約360年、これを三倍した約1080年が一つの周期とされた。
[56] 『関孝和全集 第一巻 現代語訳』 - 0913280_vol1.pdf, , https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/tachiyomi/0913280_vol1.pdf#page=20
7. 原文中の十干,十二支,二十八宿の文字は,下の表のアルファベットとギリシア文字に置
き換えて表記する.ただし,一部異なるアルファベットに置き換えた部分がある.