[1] 興福寺年代記 - 国立国会図書館デジタルコレクション () https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/769252
[3] >>1 /22 の金光から断続的に元号年の上に干支年が入ります。
[4] 天皇ごとに即位年の干支年や治世年数が書かれていますが、 その直後に並ぶ元号年と矛盾します。 例えば敏達天皇は壬辰年即位と書かれているのに第2年が乙未年です。
[7] よく観察すると、天皇ごとに区切られているのに、元号は天皇をまたいでいるかと関係なく前後どちらかの天皇に配当されていることがわかります。 天皇欄に書かれている即位年が前の天皇の最後の元号に含まれることもあれば、 次の天皇の最初の元号に含まれることもあります。
[8] 元号年のすべてに干支年が書かれているわけではないので、 天皇と元号の関係がすべて把握可能になっているのかはわかりません。 このような構造になっている天皇記事部分と元号一覧部分が元々同時に作られたものなのか、 それとも別々のものが途中で組み合わされたものなのか、 検討する必要があるでしょう。
[5] >>1 /23 の鏡帝2年の干支年の位置に「一廻」と書いてあります。その前の鏡帝[元]年には己亥とあります。 その次の3年には厂子 (庚子) とあります。本来とは連続しているはずです。
[6] から1周のことをいうのだとするとかあたりで、 微妙にずれています。
丙午即位 治世十三年
建元太化當太宗貞観廿年丙午也
とあります。その直後の元号欄は「
[10] 丙午はで、日本書紀大化2年、唐貞観20年にあたります。
庚戌はで、日本書紀大化5年に当たります。
逆算すると「
[11]
治世13年とありますが、日本書紀によれば在位は10年です。
本書で孝徳天皇に配されている「
[12] 大化については、 /29 の天武天皇の元号欄にあり、更に天武天皇の元号欄の朱鳥の欄に「大化カ持統天皇」と記述があります。 天皇欄は孝徳天皇時代に大化としていることと、 元号欄は孝徳天皇の時代に常色とし天武天皇ないし持統天皇の時代に大化としていることは、 この年表の成立過程を考える上で重要になるのでしょう。