[8] 芦原太陽暦 (y~1791) は、 日本で芦原金次郎が一時用いたという紀年法 (即位紀年) でした。
[9] 明治29(1896)年 >>27, >>2, >>4, >>3 を 「即位二万五千四年」 >>1, >>2, >>4, >>3 とするものでした。
[13] 「葦原太陽暦 25004年」 とした >>27 とする少数説もありました。 この「葦原太陽暦」との呼称が当事者により正式に用いられたのか、 周囲で用いられた通称なのかよくわかりません。
[287] 制定者の葦原金次郎は、 明治時代から昭和時代の日本人でした。 精神病院に入院しながら皇位を主張するなど虚言癖で有名で、 新聞などでもしばしば取り上げられていたようです。
[10] 制定の勅令 >>27 の他にどの程度利用されたのか不明です。
[289] 勅語の写真が Web 上にいくつか見つかりますが、 いずれも 「昭和五年」 「昭和六年」 「昭和七年」 「昭和十年」 のように >>5, >>6, >>7、 日本の元号を使っていました。
[11]
同様に皇位を主張する者が元号を建てた例は、
少数ながら同時代にいくつかありました。
[12] 葦原金次郎の場合教祖でなく入院患者なので、 身の回りの世話をするものはいても信者を率いているのではなく、 葦原金次郎本人 (や勅語を代筆していた周囲の人物) 以外が実用した可能性は低そうにみえます。
[288] Google Books で 「葦原太陽暦」 で検索して該当したのはこの4冊だけでした。
[15] 呉教授在職二十五年記念文集 [第4輯], 呉教授在職二十五年祝賀会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1185564/1/84 (要登録)