私年号の新資料「永佳」

永佳

[27] 永佳は、 日本の私年号の1つです。 幕末頃に使われました。

元号名

[40] 元号名永佳です。

[41] 読みは不明です。

紀年法

[39] 元年がいつだったのかは不明です。

用例

[28] 現在までに用例が1つだけ発見されています。

永佳絵馬

[13] 日本国石川県鹿島郡中島町 (平成の大合併により七尾市) 小牧白山社 >>14 (小牧白山神社) の絵馬に、 永佳紀年があります。 >>12

[15] 絵馬は天地 85.5cm、横幅 166cm の武者絵馬です。 表面には武者の一騎打ちが描かれ、銘文はありません。 裏面には天地逆に「永佳元年/土佐長隆書」と墨書銘があります。 >>12

[17] 表面全体が写った小さな写真が >>12 に掲載されています。 絵馬は建物の床に、壁に立てかけるように置かれているように見えます。 恒久的な設置ではなく調査のためのものかもしれません。 >>12

[20] に完成した新本殿では、 御神体に向かって左側の壁面上部に掲げられている額のようなものが、 件の絵馬のように見えます。 >>19 の記事中の写真に一部映り込んでいます。

[36] 令和6年能登半島地震ではこの地域一帯が甚大な被害を受けました。 白山社も鳥居の倒壊など大きな被害があったようですが、 ブログでは本殿の被害記事はみあたりません。 改築直後で被害を受けなかったのであれば不幸中の幸いです。

[21] 肝心の銘文を写した写真は見当たりません。


[16] 戸澗幹夫によると、 絵馬の作風は幕末頃とされます。 >>12

[30] 銘文にある土佐長隆は不明です。 この名前の有名な画家は鎌倉時代から南北朝時代にかけて活動し、 合戦も描いています。 同名の別人なのか、翻案仮託なのかはよくわかりません。


[22] この私年号絵馬は、 時点で「近年発見された新資料」でした。 平成9年に石川県立歴史博物館戸澗幹夫機関誌で紹介しました。 >>12

[31] しかしその後平成時代を通じて他の論文のみならずウェブページでも、 この私年号に触れたものは見当たらず、 私年号研究分野では完全に見落とされてきました。

[23] 他に用例がない私年号の貴重な用例ですが、この絵馬文化財指定も受けていないようです。 >>18 同じ現七尾市域の久宝の扱いとは対照的です。


[24] 戸澗幹夫は、 この墨書銘を「秘匿されていた」、 「意図的に額面と天地を逆にして記している」 と理解し、 憶測と断りつつも嘉永との関係を疑っています。 >>18

[25] そして無記名のため村人の総意の絵馬と考えられ、 内憂外患の世相から公儀への不満、世直しへの希求のため 「永く佳き年であれ」 との思い込めた私年号を人目を憚りつつ記したとしました。 >>18

[26] このようは推測は、政治への不満を密かに絵馬の裏に記したという久宝に対する推測説をそのまま踏襲したと思われます。

[32] しかしわずか1例で元号利用の状況説明のようなものがまったくない中で、 このように背景を邪推するのは妥当ではないでしょう。

[33] 天地を逆に書いた旨については、意図的だと主張するなら、せめて周辺地域の他の事例でどれくらい見られるのか知りたいですね。

[42] 「ひそか」な私年号説は日本の私年号参照。

[34] 干支もなく作者の手がかりもなく、 奉納の記録も見つかっていない、 似た私年号の用例もないとなれば、現状、年代の特定は不可能です。

[35] ヒントは幕末の様式、嘉永との類似だけで、これ以上は不明とせざるを得ません。

[38] 永長と字形が似てるかも?とくずし字の字形例を眺めてみたけど間違えそうにはないかなあ...


[29] 幕末期には全国各地で多数の私年号が生じています。 幕末維新期の日時

[37] 能登では多数の私年号が見つかっています。 日本の私年号

メモ

[2] 日本絵卷大成: Gosannen kassen ekotoba - Google ブックス, , https://books.google.co.jp/books?newbks_redir=0&id=pQpIAQAAIAAJ&dq=%E6%B0%B8%E4%BD%B3

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... 永佳三年に奥別の行赴く裏そ武負の子も衛其金子廣るくは武家やせりふら~武徳と代りその昔のやふんさのころに陽和の女のかごろ J こうそこの序文一巻は、字粒の大きさや書風からみて、明らかに本絵巻とは別のものであることがわかる。しかし、序文の末尾に ...

[3] >>2 これはOCR誤読っぽいなあ。

[6] 武将四十五代記, 岡田伴治, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/900169/1/13 左ページ右端

[7] >>6 「永徳二年」と草書であるのが

の云威大系喜ふ永佳二年義滿宮大にくうた

OCR誤読されている。

[8] 尾張名所図会 前編 巻6 知多郡, 岡田啓 (文園) , 野口道直 (梅居), , , https://dl.ndl.go.jp/pid/764885/1/76 右ページ

[9] >>8 「永徳二年」と草書であるのが

ひしう樣小火災だけけ永佳二年後に大らと改うしえ大髙菜大る村

OCR誤読されている。

[10] >>7 >>9 どちらも人間の目だと「佳」には見えないなあ...

[4] 書道 3(8), 泰東書道院出版部, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1543406/1/6 (要登録)

[5] >>4 これは

三年五月」と金文および楷書で書かれたものが

日发售賣Uあ千佳三年五月旣臥霸甲

OCR誤読された例。「隹」が「佳」に化けている。 (その前の「千」がどこから来たのかはよくわからない。)