[11] 神武天皇が即位した皇紀元年よりも前の年の表現方法はいくつかあります。
[28] 日本書紀の神武天皇即位前紀の神武東征の条には、
神武天皇の即位以前の年は
「干支年」とのみ書かれていました。
[12] 日本書紀の内容を参照する場合に、 「神武天皇即位前紀干支年月月」 のように表記することがあります。
[13] 多くは日本書紀のどの条の内容を指すかを説明しているに過ぎないとみえ、 その場合の神武天皇即位前紀はただの章名と解釈するべきでしょう。 しかし、 即位後の「神武天皇年年月月」に相当する部分で使われるなど、 明らかに日時の記述に使われている例もあり、 「神武天皇即位前紀干支年」 部分全体をもって1つの紀年法といえなくもありません。
[61] その他に神武天皇即位前, 即位前紀, 神武天皇紀元前, 日本紀元前を元号名風に用いる例がまま見られます。
[56]
日本書紀暦日原典の本表は天皇即位紀年と干支年を併記していましたが、
神武天皇の即位前については天皇即位紀年のかわりに
「
[65]
日本書紀暦日原典の解説中の表は、
天皇即位紀年を書いていましたが、
神武東征時代は元号名部分に
「
[66]
日本書紀暦日原典所収小川清彦論文の表は、
最初の方では元号名に「
『日本書紀』巻第三 神武天皇(即位前紀戊午年九月)
『日本書紀』巻第三 (神武天皇即位前戊午年九月)
日本書紀巻三 神武天皇 即位前紀己未年
・神武天皇即位前紀庚申年(前六六一)九月乙巳(廿四)に媛蹈韛五十鈴媛命(事代主神と玉櫛媛の娘)を正妃とした。
・神武天皇元年(辛酉前六六〇)正月庚辰朔に神武天皇は橿原宮で即位した。
「陪」・・・日本書紀卷第十一 仁徳天皇五十年春三月の条 日本書紀歌謡63
「毎」・・・日本書紀卷第三 神武天皇即位前紀戊午年六月の条
ここでは『日本書紀』の「神武天皇即位前期 巳未年二月」の所を引用する。
《神武天皇即位前紀己未年(前六六二)二月辛亥(廿)》己未年春二月壬辰朔辛亥。
神代上第5段一書第6条
神武天皇即位前紀戊午年8月乙未(2日)条
神武天皇即位前紀戊午年12月丙申(4日)条
神武天皇即位前紀己未年2月辛亥(20日)条
神武天皇2年2月乙巳(2日)条
神武天皇4年2月甲申(23日)条
《神武天皇即位前紀庚申年(前六六一)九月乙巳(廿四)》
《神武天皇元年(辛酉前六六〇)正月庚辰朔》
浪華年代記
自神武天皇紀元前戊午年 至後水尾天皇慶長十九年 二千二百七十七年間 第一巻
[42] 日本書紀の紀年のはじめは甲寅年ですが、 神武天皇の年齢が明記され、 しかもそれ以前の神武天皇の経歴が記述されているので、 もう少し遡ることが可能です >>41。
[46]
弘仁私記序
(平安時代成立)
に
「神倭天皇庚午年
[44] Wikipedia は、 神武天皇誕生を 「庚午年1月1日(庚辰の日)」 としています。 日付の出典は 本朝皇胤紹運録 (室町時代成立) とされています。 >>43
[312] 和暦(わごよみ) >>311 は神武天皇即位以前を擬似元号神武天皇前で表しています。 日本書紀の最初である -666年 (紀元前667年) が元年 >>313 (神武東征開始の甲寅の年) で、7年まであります。
[14] 「皇紀前年年」、 「神武天皇前年年」、 「神武天皇即位前年年」、 「神武紀元前年年」、 「神武天皇紀元前年年」のように書いて、 神武天皇の即位する前年を1年とし、遡るほど年数を大きくしていく方式が使われる場合があります。
[15] 西暦における紀元前と同じように、皇紀に関する紀元前として数えていくものです。
[16] 同じ年数でも >>312 方式とは違う年を指します。
[57]
日本書紀暦日原典の柱は、
年の範囲を示しており、
「
[31] 暦と時の事典は 「神武天皇即位前七年」 のように表現しました。 >>377
[59] ウィキペディアの対照表は、 神武天皇の生誕から神武天皇の即位の前年までを、
... と書いていました。 >>58
[60] 皇紀を紀元前方式で遡る数え方を BJ と表記する方法は、 ウィキペディアのこのページ以外の用例を見つけられません。
[63] また 「東征開始時(BC667=BJ7⊂甲寅年)」 とも書いていました。 >>58
[64] 更には、 天孫降臨の年の対照表も示していました。 >>58
枚岡神社の創祀は、皇紀前まで遡り、初代天皇の神武天皇が大和の地で即位される3年前と伝えられています。
社伝によれば、初代神武天皇即位前3年、神武天皇の侍臣で中臣氏の祖の天種子命(あめのたねこのみこと)が、天皇の命で神津岳の頂に祖神の天児屋根神を祀ったのが創建とされる。
社伝によれば、神武天皇紀元前3年(神武天皇即位の3年前)、神武天皇の侍臣で中臣氏の祖の天種子命(あめのたねこのみこと)が、天皇の命で神津岳の頂に祖神の天児屋根神を祀ったのに始まると伝えられる。
式内社(名神大)で河内国一宮。神武天皇前3年(紀元前663年)、中臣氏の祖・天種子命が勅命により、神津嶽に天児屋根大神、比賣大神の夫婦神二神を祀ったのが、創祀と伝わる。
■牧岡神社(大阪)
創建/神武天皇紀元前3年(即位の3年前)
神武天皇即位6年前 都農神社 宮崎県児湯郡都農町
神武天皇紀元前3年 枚岡神社 大阪府東大阪市
神武天皇元年 彌彦神社 新潟県西蒲原郡弥彦村
社伝によれば、神武天皇即位の6年前、天皇が東征に向かう際に鎮祭したことに始まるという[2]。
創建は御即位6年前の神武天皇が宮崎の宮から東の方へ遷る際、この地に立ち寄り、国土平安、海上平穏、武運長久を祈念し、祭神を祀ったことがはじまりといわれている。
創建 (伝)神武天皇即位6年前
創建年代 伝・神武天皇紀元前3年(B.C.663)
[19] 日向国一之宮都農神社公式ホームページ () http://w01.tp1.jp/~sr09697901/
創建されたのは御即位6年前の神武天皇が宮崎の宮を発し東遷の折、此の地に立ち寄り、国土平安、海上平穏、武運長久を祈念し御祭神を鎮祭された事と伝えられる。
[69] 肇国紀伝, 武田祐吉, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1918597/1/5
[70] 世界大年表, 歴史研究会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/768390/1/64
日本紀元の欄が紀元前方式。
[71] 世界史年表 : 世界史三綱, 坂本健一, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/768385/1/24
神武紀元前、神紀前の欄が紀元前方式.
[72] 村上博士佛教講論集: 第1輯 - Senjō Murakami - Google ブックス, https://books.google.co.jp/books?id=sMktAAAAYAAJ&pg=PP71
[27] この他に、相当する西暦年 (紀元前) を使うこともあります。
[30] 天孫紀元、 天之御中主天皇即位紀元でも神武天皇以前の時代を記述できます。
皇紀前3年創祀の我が国最古の神社の1つ。
帝堯(皇紀前1695年頃)の時
二、紀元前七年の詔敕
皇紀前七年詔
紀元前657年(皇紀前3年)に出来たとされる枚岡神社。創祀の地は神津嶽でしたが、650年(白雉元年)現在の地へ奉遷。768年(神護景雲2年)神津嶽にお祀りした天種子命(あめのたねこのみこと)と比売御神(ひめみかみ)の二柱を春日大社へ分祀したため、枚岡神社は「元春日」とも呼ばれています。
創建は紀元前663年です。皇紀前3年でもあります。
[39] 現地由緒看板の写真あり。ある看板には「紀元前三年」と皇紀、 ある看板には「紀元前六六三年」と西暦。
神武天皇御東征の砌、
皇紀前3年(紀元前663年)傷を負った
皇兄、彦五瀬命が敗戦し、命を落とすことに
なった際に、悔やみ雄詰びされた地が
雄水門と呼ばれ、浜の宮として祀られた。
神武前7年 BC667 神武前七年
PDF 10ページ
「不葺合尊治天下中八十三万五千九百九十二年庚午正月朔日降誕」 (縦書き)
PDF 14ページ
「神代庚午年正朔
。明治7年に小学校用に編纂された「世界史」のオリエントの項目にアダムとイブの伝説に触れ「紀元前およそ4000年(神武天皇紀元前3250年)」とある。
[51] 267917757.pdf, , https://core.ac.uk/download/pdf/267917757.pdf
皇紀前
[52] 有馬療養温泉旅館 ~武蔵国橘樹郡史・書物などのご紹介~ (, ) http://www.arimaonsen.jp/konjaku2.htm
[53] _pdf, https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjfs1919/16/4/16_4_302/_pdf#page=3