本項は歴史的事項を説明しています。本項の内容の一部または全部は、現在の状況とは異なるかもしれません。
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南明は日本の徳川幕府に何度も援軍の派遣や物資援助を要請している。御三家や薩摩藩は出兵に対して乗り気であったとの記録がある。日本側は清への手前、公式に援助を行なうことが出来ないため鄭氏の交易利権(長崎貿易)を黙認することによって間接的に援助した。
なお鄭成功は清との戦いに際し、たびたび日本へ軍事的な支援を申し入れていた(『日本乞師』)が、鎖国体制を整えつつあった当時の幕府は火中の栗を拾うことを避け、支援は実現しなかった。