[15] 1例知られています。
[19] 日本国熊本県の歴史研究者前川清一が昭和時代後期に紹介しました。 >>3
[17] 私年号ではなく寛政元年または寛文9年の誤りかと判断しました。 >>3
[20] そのためかその後異年号の研究でこれを扱ったものは見当たりません。
[21]
寛政元年か寛文9年としたのは、寛
が共通し、
字形が似た元
/九
の年で、
十干が一致するためと思われます。
[22]
この位置の王
は閏
の異体字と解するのが普通です。
ところが >>6 >>5 のどちらも7月は閏月ではありません。
また、年に十干だけを書いて十二支を書かない方式は東洋の日時表示中、稀な例外だけです。
[9]
前近代に己
と巳
は混用され、
近世には十干のない十二支年が頻用されることを考慮すると、
矛盾が生じない年があります。
[10]
江戸時代には他にも寛
がつく元号が数回ありましたが、
9年まで続き巳年なのはこのときだけです。
[11]
しかし9年にもなって政
を明
に誤刻するなんてあり得るのか、と疑問があります。
かといって意図的に書き換える意味も思い当たりません。