寛明

寛明

[12] 寛明は、 元号名の1つです。

[18] 寛政の誤記と考えられています。

用例

[15] 1例知られています。

日時事例

[14] 昭和時代後期までに知られるようになりました。

[16] >>3 で他に提示されている事例は地元の研究者の論文などで先行する報告があるので、 これももっと早い段階で知られていた可能性はあります。

[4] 様式は近世後期とされます。 >>3

研究史

[19] 日本国熊本県の歴史研究者前川清一昭和時代後期に紹介しました。 >>3

[17] 私年号ではなく寛政元年または寛文9年の誤りかと判断しました。 >>3

[20] そのためかその後異年号の研究でこれを扱ったものは見当たりません。


[21] 寛政元年か寛文9年としたのは、が共通し、 字形が似た/で、 十干が一致するためと思われます。

[7] しかしこれでは「己王」のが解釈できません。

[22] この位置の異体字と解するのが普通です。 ところが >>6 >>5 のどちらも7月は閏月ではありません。 また、十干だけを書いて十二支を書かない方式は東洋の日時表示中、稀な例外だけです。

[9] 前近代には混用され、 近世には十干のない十二支年が頻用されることを考慮すると、 矛盾が生じない年があります。

[10] 江戸時代には他にもがつく元号が数回ありましたが、 9年まで続き巳年なのはこのときだけです。

[11] しかし9年にもなってに誤刻するなんてあり得るのか、と疑問があります。 かといって意図的に書き換える意味も思い当たりません。

[23] 原稿が草書で誤読したとかでしょうか? そんなことあるのでしょうか...

メモ