[43]
現存する養老時代成立の日本書紀の前に、
和銅時代成立の通称和銅日本紀があり、
前者の不自然な点や各書が引用する日本紀は実は和銅日本紀の残滓である、
とする和銅日本紀説を提唱しました。
[44] 和銅日本紀説は現在では友田吉之助の代表的な業績として知られています。 本説が歴史学の主流から遠いことは友田吉之助自身も認識していたようで >>21、 当時も現在も賛同する研究者はほとんどいません。
[24] 初版:
[21] 増補版:
[71] 函 + 本体
[68]
[69]
奥書頁には著者の検印「
[38] 日本書紀成立の研究 / 友田吉之助 - 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア, , https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784759903171
[39] >>38 に目次あり。ただし増補版目次は一部のみ。
[49] 初版、増補版とも出版から相当の時間が経過していて新品の入手は不可能ですが、 古本ではそれなりの数が流通しています。
[50] 古本で入手するのは難しくないですが、まあまあの値段です。
[51] 思ってるより(謎)分厚い本です。
[97] 改めて目次見直すと、なんかお腹いっぱいになるなあww
[108] 旧稿を訂正増補したものもあり、題名を変更したものもある >>96 とのことです。
[109] 本編全体でつながるように編集されていて、原論文まったくそのままのものはなさそうです。
[27] >>25 は雑誌目次のみ、>>26 は1ページ目のみ見える。 >>26 は >>25 収録? (題名が一致する)。
[67] 論集・古事記の成立, 倉野憲司 他著, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12269031/1/46 (要登録)
[6]
伊野部重一郎は、
友田吉之助の提示したそれぞれの根拠について、
友田吉之助のような解釈を採らずとも穏当な解釈があり得る
(または友田吉之助の説では無理が出る)
点を数本の論文にわたって検討、指摘しています。
[47] 独創的な古代史論を持つアマチュア歴史愛好家らに友田吉之助の説はそこそこ人気があるようです。
[1] 友田吉之助、「旧本日本紀」の存在を示唆す - 礫川全次のコラムと名言, https://blog.goo.ne.jp/514303/e/d26cf40b2230e80ff0a9dd91f09e1355
[2] 友田の古事記、書紀同時奏上説, , http://kenkokusi.web.fc2.com/kojiki/2.1.html
[3] 和銅日本紀と古事記との関係, , http://kenkokusi.web.fc2.com/kojiki/2.5.html
そのなにがしかの改定理由の一つとして、『百済本紀』の出現ではなかろうかとする興味深い推論が最近千葉商科大学教授の江口洌(きよし)氏によりなされているので(『古代天皇の聖数ライン』河出書房新社、2007年)、こちらも併せて参考にされるとよいだろう。
[4] 題名だけで本文読まずに先入観持ってどうこう言うのはよくないとわかってるんだけど、んーしかし、 聖数となwww ウェブ上の書籍紹介などを見ると題名から想像できる内容らしいんだよなw 他にも紀年論の本を出しているらしいが、、、
[12] 狐 - 吉野裕子 - Google ブックス, https://books.google.co.jp/books?id=lKNQEAAAQBAJ&pg=PA111
[52] 天孫降臨の原義 は、 友田吉之助の死後に出版された遺稿です。
[53] 本書冒頭に經緯が書かれています。 友田吉之助は晩年まで研究を続けていて、 神話時代から古代までの日本史を描いた全4部のうち、 第1部の原稿を書き終えていたそうです。 第2部もできていたようなことも書かれていますが、 出版されたのは第1部と、第2部から第4部の目次だけです。 第2部は出版できるような状態まで至っていなかったのでしょうか。 未完に終わったのは残念です。 >>142
[11] null, http://www.keisui.co.jp/cgi/isbn.php?isbn=ISBN978-4-87440-466-9
[54] 出版からまあまあの月日が経過していますが、 出版社の直販サイト >>11 およびいくつかのネット書店で購入できるみたいです。 出版社サイトでは割引されているのでお買い得。
[55] 内容は >>11 に目次が掲載されていますが、その見出しから想像されるものだといえばおおよそわかっていただけるかと思います。
[56] 晩年に書き溜めたものということで、発表済みの論文等でもないオリジナルのようです。 先行研究の参照とかもあまりなくて、1つの壮大?なストーリーになっています。
[151] 関連: 異種干支紀年法説, 一百七十九万二千四百七十余歳, 神武天皇即位年異説
[10] [mixi]福井県古代文明説 - [異説] 超古代文明 [オカルト] | mixiコミュニティ, https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=26496&id=39498147
友田吉之助『天孫降臨の原義』
もっとも、私はこの本を書店でパラパラと見た時には同姓同名の別人だと思っていた。購入してから、「あの」友田先生と同一人物が書かれた本と気づいてかえって驚いたほどである。
さて、本書はその友田先生の遺稿を整理したもの。構想では全4巻の大著『日本国家形成史の研究』の第1巻となる予定だったのですが、志半ばにしてご逝去。出版はご遺族によりなされました。本書にその全4巻の構想上の目次も掲載されています。ちなみに第2巻以降はそれぞれ『神武天皇東征の原義』『高天原の原義』『大和国の発展と出雲国の西遷』となる予定だったとのこと。
友田先生によると、日本国家を建てた民族は満洲の遼河下流域から黄帝暦をたずさえてやってきた(この黄帝暦が後世、和銅日本紀を編纂する際の暦法となる)。彼らはまず北陸地方に小国家を建設した(その文化は鳥浜貝塚遺跡からうかがえるという)。その事実を伝えるのがニニギの天孫降臨伝説であり、西暦前1122年に相当する。さらに、その子孫である神武天皇が即位したのは前660年だという(この即位年推定は『日本書紀』に依拠している)。
[58] 前著では和銅日本紀は顓頊暦で編纂されたことになっていましたが、 実はこちらの本では黄帝暦に訂正されています。 前著ではなぜ顓頊暦が使われていたのかは十分解明されておらず、 異種の干支紀年法はアジアの仏教関係で広がっていたのかも、 というストーリーでしたが、 その辺の話はなかったことになったのか、 本書では天孫降臨前が古代中国史に接続されています。
[59] ただ残念なことに本書の範囲が天孫降臨からなので、 黄帝暦を使っていた集団の一部が日本にやってくることになった流れはあまり詳しく説明されていません。
[61] また、前著では和銅日本紀で甲寅年が神武天皇元年だったことを解明していたはずなのですが、 それはもうなかったことになったのか、 本書では神武天皇元年が紀元前660年で間違いなかったことになっています。
[60] レインボーライン梅丈岳~日本のはじまりである, , https://web.archive.org/web/20080131012553/http://www.mikatagoko.com/origin/index.html#index
[17] はじめの頃はしっかりした歴史研究者だったらしく、その頃の業績は他の研究者に引用されたりもしているのですけどね。
[18] いったいどこで足を踏み外してしまったのか。
[150] 論文リストを見ると当初の専門分野は鎌倉時代だったようです。 吾妻鏡や愚管抄のような中世の歴史書を取り上げていて、 そこから中世の歴史書を使い古代の史料を訂正するという方法論に陥ってしまったようです。