[55] オウム真理教は、 昭和時代末期から平成時代前期にかけて日本を中心に活動したカルト宗教系テロ組織でした。 救済と真理の元号を定めていました。 真理は日本征服後の新しい国の元号として予定されていました。
[12] オウム真理教の教祖の麻原彰晃は、 平成3(1991)年を救済元年としました。 >>10
[35] 平成3(1991)年夏、 麻原彰晃は、 「平成3年を救済元年とする 旨の説法」 をしました >>34。 (y~1746)
[31] オウム真理教の機関誌 MAHAYANA 四十五号 () に、 「救済元年」 の決意のもとに諸企画を打ち出したとありました。 >>>13
[30] 麻原彰晃の著書 キリスト宣言 () に、 「今年を救済元年にする」 とありました。 >>13
[36] 平成3(1991)年 (時期不明)、 麻原彰晃は説法で 「救済3年、救済4年」 などと発言しました >>32。
[27] オウム真理教の機関誌 真理Information () に、 救済三年 激命 悪趣ポワ なる記事がありました。 >>13
[40] オウム事件後の破防法適用手続き中の弁明で、 麻原彰晃は、 救済元年とは 「より多くの人にその真理を理解していただくために、本格的にその布教をやるぞという決意の年」 だとしました。 >>38
[41] 麻原彰晃は救済元年の西暦年を尋ねられ、 1992年か1993年と記憶しているとし、 それを受けて代理人は 1992年としました。 >>38
[42] 数年の月日が経過しており、勾留中でもあった麻原の記憶が曖昧になっていたのは本当かもしれませんが、 他の資料と1年のずれがあります。代理人は事実確認なく弁明に望んだのでしょうか。 それとも何か他の根拠を持っていたのでしょうか。
[43] 92、3年という麻原の記憶は、 平成3年との混同から生じた可能性もあるでしょうか。
[17] 、 オウム真理教の教祖の麻原彰晃は、 信者に対し、 「1997年は真理元年の年、 日本の王として君臨する。」 と発言しました。 >>18 真理元年の構想がいつからあるものか不明ですが、 日付が明らかなもので最古であるのはこの例のようです。 (y~1747)
[24] オウム真理教の楽曲の1つに、 麻原彰晃が歌唱する 進軍 がありました。 歌詞 (ナレーション) に 「1997年、この年は真理元年である。」 とありました >>22, >>4, >>13。 に編曲されたといい >>21、 作詞も同時期とみられます。 作詞者は不明ですが、麻原彰晃でしょうか。
[26] オウム真理教の楽曲の1つに、 教団幹部の石井紳一郎が歌唱する 真理元年 がありました >>3。 成立時期は不明です。
[19] 西暦1995年か1996年、 日本政府当局により逮捕されていた麻原彰晃は、 信者に対し、 西暦1997年が真理元年と改めて表明しました。 >>6
[44] 破防法手続き中、 麻原彰晃は、 真理元年は 「まだ明らかにされていなかったすべての法則、真理の法則が完全に明らかになる、体験的にも明らかになる年」、 「それによってすべての人の魂の善業とか悪業とかがはっきりとあらわれてくる年」 であるとしました。 >>38
[14] 西暦1994年の7月から8月にかけて >>2、 オウム真理教の幹部で顧問弁護士の青山吉伸は、 教祖麻原彰晃の指示により 太陽寂静国基本律第一次草案 を起草しました >>1, >>2。 これはオウム真理教の武力革命によって日本国にかわって建国させる太陽寂静国の憲法に当たる法案でした。
[15] 第18条は、建国年を真理歴元年とすると定めていました。 全文には 「真理歴元年 月 日」 と建国の日が記述されました。 >>1 本文書は法案で建国前のため、 「真理歴元年」 が具体的にいつに当たるのか、 定まっていませんでした。
[45] オウム真理教の勢力拡大の背景の1つに、 世紀末 (20世紀後期-末期) の社会的な閉塞感やオカルトブームのようなものが指摘されます。 オカルト思想が社会現象的に流行し、 オウム真理教など新興宗教は良くも悪くも脚光を浴びていました。
[46] ノストラダムスの大予言 (西暦1999年滅亡説 = 「1999年7の月」) をはじめ、 オカルトの世界ではしばしば年月日の数値が神聖視され、 迷信的暦注や占星術のようなものから発達したのであろう、 呪術的な解釈が生み出されていました。 オウム真理教もそのような類の思想を持っていたようです >>39。
[47] 西暦年は、 通常の生活や、 そうした宗教的用途で用いられていたようです。
[65] 初期の機関誌の日付は、 「86.4」 >>62、 「'86.5」 >>63、 「1986.6」 >>64 とありました。
[59] 入信申込書 には、 「91・3・6」 と書式改訂日が西暦2桁年号で書かれており、 「19 年 月 日」 のように西暦年を書かせるよう上位2桁の「19」 が印字されていました >>57。
[60] カレンダーには 年: 「1995」、 月: 「7」「JUL」 のように書かれていました >>58。
[48] 救済や真理の元号は、 それらとは並行して、 スローガン的元号のような形で使われていたとみられます。 スローガンにとどまらず実際の年や日付の表記を指向した形跡はみられるものの、 本格的な利用に進展していたのか (例えば出家信者がそれだけ使って生活する段階にあったのか) は不明です。
[54] 特に真理元年はオウム事件後に到来したため、 リアルタイムで実用された例があるか不明です。
[49] 救済から真理に改元されるとされていたかのような説明もありますが >>11、 現状知られている両者の用例には数年の空白があり、 実態は不明です。
[20] オウム事件後、 教団幹部だった上祐史浩は、 日本の元号が真理に変わると理解していたと述べました。 >>6 おそらく他の信者も、 オウム真理教国家樹立に伴う平成からの代始改元と理解していたのでしょう。
[50] 破防法手続き中、 麻原彰晃は、 イエスキリストが王となった西暦の時代が終わり、 麻原彰晃が王となるのが真理元年だとしました。 >>38 つまり西暦から真理への改元だと説明しました。
[51] 代理人は麻原彰晃に対し西暦との関係のみをたずね、 日本の元号との関係はたずねませんでした >>38。 西暦からの改元であって日本の元号からの改元ではなく、 宗教的な「王」であって国家転覆の意図はないと弁明しました >>39。
[52] 東アジアでは歴史的に元号の制定は独立国の象徴でした。
現代の常識でも、
政府により定められた元号を改変することが現体制の否定につながるのは明白です。
[53] 破防法手続きにおける教団関係者と代理人の発言は、 破防法が適用され教団が壊滅することを避ける目的でなされたものです。 これをそのまま鵜呑みにすることはできません。 オウム事件以前の思想や運用実態は、 当時の資料も発掘して検証する必要があります。
[67] 真理歴は元号ではなく、 改元を前提としていない建国紀元型のシステムのようにも見えます。 救済から真理へと切り替わった歴史的経緯は、 改元を繰り返す元号システムの強い影響下とも思えます。 (これといった理論的根拠なく、教祖の思いつきでころころ変えただけかもしれませんが...) 西暦からの改元という発想も、 東アジア型の紀年法観を継承しているとみることができます。
[66] 令和改元の約1年前の、 オウム真理教事件の死刑囚が処刑されました。 平成時代を代表するテロ事件の首謀者らを処罰するもので、 改元を前に平成時代の後処理を終わらせるものだと、 元号と関連付けられた形でニュースになりました。
[68] 一連の事件によりオウム真理教は解散しましたが、 残党がいくつかの団体を設立し活動を継続しています。
[69] これまでに残党が旧オウム真理教の日時制度を利用したり、 独自の日時制度を設けたりといった事例は確認されていません。
[33]
「過労死救済元年」 (西暦1995年)
など何々救済元年の類はいろいろあるようです。
オウム真理教とは無関係です。
[71]
カルトかどうかは別として宗教団体が独自の元号を制定する事例は日本にもそれ以外にもあります。
[76] 宗教の紀年法を世俗国家の紀年法にかえて実施しようとする企てという点では、 日本共産党やキリスト教の関係者による元号廃止論と似た構図といえます。
[72] サリン攻撃の後で : オウム真理教と日本人, 渡邊学, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9603540/1/1
[73] 南山宗教文化研究所所蔵オウム真理教関係未公開資料の意義について, 渡邉学, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9603627/1/1
[74] 西日本宗教学雑誌 (20), 西日本宗教学会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/7917265/1/47 (要登録)
[75] 研究所報 (6), 南山宗教文化研究所, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/4426627/1/8 (要登録)