[2] 日本国長野県上田市の信濃国分寺に伝わる 牛頭天王之祭文 >>3 /63, >>4, >>5, >>7, >>8, >>11 やその派生 >>3 /350, >>6, >>1, >>12 にあります。
[10]
牛頭天王之祭文
写本には
「文明十二年庚子霜
[38] 諸説をまとめると
があります (>>13)。
[24] 牛頭天王之祭文 は、その内容がとても史実とは思われない説話で、 元号以外にも意味のよくわからない箇所があります。 説話特有のこの場限りの架空の元号という可能性もあり得なくはないですし、 原伝承では一応意味のある元号だったものが変化したという可能性も一応考えられます。
[28] 祭文のストーリーによると、
ということです >>11 ので、長本は牛頭天王の先帝の時代で、 日本の歴史時代のことではありません。
[33] 牛頭天王は素戔嗚命と習合しており、 素戔嗚命は新羅と深く関係していますから、 白きとは新羅とも解釈できます。 >>11 すると長本は新羅の元号の可能性が出てきます (が、既知の元号にはありません)。
[13] この長本は、日本の元号はもちろん東アジアでも他に知られていません。 諸書の注釈は、
となっています。
日本、中国に「長本」の年号はない。『ほき内伝』には「長保元年(999)6月1日、祇園精舎において30日の間、巨丹を調伏す」とあるので、長保の誤記とも思われる。ただし長保元年の干支は己亥であり、本祭文にある「丙寅」とは異なる。近い年代で丙寅に当たるのは、万寿3年(1026)である。いずれにせよ史実ではないので架空の年号と見てもよいのかもしれない。
監修:上田市立信濃国分寺資料館
当コンテンツは「蘇民将来符-その信仰と伝承」(上田市立信濃国分寺資料館 編集・昭和64年発行)を基にして作成しております。
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その物語を、牛頭天王(ごずてんのう)の祭文 (祭文とは神仏に対する讃歌)より要約して以下に述べますが、 つたない現代語訳ですので、なにとぞご了承ください。
牛頭天王はこれを聞きつけて、不思議な思いに駆られ、 ついに長本元年(999年)一月十三日恋の道にあこがれ、 南に向かって王女のもとに出発されました。