[25]
長本は、元号の1つです。
[2]
日本国長野県上田市の信濃国分寺に伝わる
牛頭天王之祭文
>>3 /63, >>4, >>5, >>7, >>8, >>11
やその派生
>>3 /350, >>6, >>1, >>12
に、
長本元年丙刁正月十三日、
とあります。
[10]
牛頭天王之祭文
写本には
「文明十二年庚子霜□月廿八日」の書写と跋文があります。
これを信用するなら文明12(1480)年11月28日時点で既にこの伝承とこの元号が存在したことになります。
[13]
この長本は、日本の元号はもちろん東アジアでも他に知られていません。
諸書の注釈は、
となっていて、
まとめると
があります。
[24]
牛頭天王之祭文
は、その内容がとても史実とは思われない説話で、
元号以外にも意味のよくわからない箇所があります。
説話特有のこの場限りの架空の元号という可能性もあり得なくはないですし、
原伝承では一応意味のある元号だったものが変化したという可能性も一応考えられます。
[26] 丙寅年[28]
祭文のストーリーによると、
ということです >>11 ので、長本は牛頭天王の先帝の時代で、
日本の歴史時代のことではありません。
[33]
牛頭天王は素戔嗚命と習合しており、
素戔嗚命は新羅と深く関係していますから、
白きとは新羅とも解釈できます。 >>11
すると長本は新羅の元号の可能性が出てきます (が、既知の元号にはありません)。
- [9]
小県郡史 余篇, 小県郡, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/965787/1/279
- [8]
信濃国分寺之研究, 藤沢直枝, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1189316/1/39 (要登録)
右
- [7]
上田市史 上巻, 上田市, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1684269/1/69 (要登録)
右
- [6]
信濃伝説集, 村沢武夫, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/1062602/1/42 (要登録)
- [5]
信濃史料 第9巻 (応仁2年正月-明応2年11月), 信濃史料刊行会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3013099/1/149 (要登録)
左
- [4]
八日堂物語, 山浦国久, 塩入良道, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/2993695/1/94 (要登録)
右下
- [3] 上田小県誌 第5巻 補遺 資料篇1, 上田小県誌刊行会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3017076/1/63 (要登録)
/350
-
[12]
弓箭の国 4 (臥龍), 矢島勝, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9537591/1/238 (要登録)
[11]
蘇民将来符 - その信仰と伝承:牛頭天王祭文,
上田市マルチメディア情報センター,
, https://museum.umic.jp/somin/category_top/g_naiyou.html#hosoku13日本、中国に「長本」の年号はない。『ほき内伝』には「長保元年(999)6月1日、祇園精舎において30日の間、巨丹を調伏す」とあるので、長保の誤記とも思われる。ただし長保元年の干支は己亥であり、本祭文にある「丙寅」とは異なる。近い年代で丙寅に当たるのは、万寿3年(1026)である。いずれにせよ史実ではないので架空の年号と見てもよいのかもしれない。
[1]
蘇民将来の物語(旧中山道番外記 6) - 中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く),
2007年10月16日 09時09分15秒,
https://blog.goo.ne.jp/wxm68971-1936/e/dda9325ecc5685d2edaf66b1767b88dbその物語を、牛頭天王(ごずてんのう)の祭文
(祭文とは神仏に対する讃歌)より要約して以下に述べますが、
つたない現代語訳ですので、なにとぞご了承ください。
牛頭天王はこれを聞きつけて、不思議な思いに駆られ、
ついに長本元年(999年)一月十三日恋の道にあこがれ、
南に向かって王女のもとに出発されました。