賀幾徒

嘉吉

元号名

異体字

[4] 千葉県史料 金石文篇 3 補遺, 千葉県企画部県民課, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9641996/1/38?keyword=%E5%B9%85%E4%B8%80%E5%9B%9B (要登録)

[34] >>28 /79 「嘉吉」 /80 「嘉𠮷

𬻎吉

[3] 群馬県史 資料編 8 (中世 4 金石文), 群馬県史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9644240/1/377?keyword=%E5%8D%83%E4%BB%A3%E7%94%B0%E7%94%BA (要登録)

賀吉

[89] 賀吉の用例が全国各地に見られます。

用例

宮城県下の用例

日時事例

[49] >>45 は、に同著者、同雑誌の論文2つで紹介されています。 >>44, >>5

[50] いずれも、やや形式が違えど、元号名の2字がで囲まれています。 標準的な慣習通り判読困難の推定を意味すると思われますが、説明はありません。

[51] 2字とも推定ということは、他に材料もありませんから、 確証がないものの残画がそのように推定できる、ということかと思われます。

[53] 2つの論文の両方で同じとなっていること、 他に嘉吉は出現しないものの、はどちらの論文でも別元号名で使われていること、 より、原稿の癖字や印刷業者の誤認などに由来する誤植の可能性は低そうです。

[54] しかし、他に情報がなく現状は不明です。

千葉県下の用例

日時事例

[13] >>7 は神前の起請文です。 >>6

[12] >>8 は、当該文章によると、里見義実およびその家臣である著者らが渡海上陸したです。 >>6

[18] 上陸時期には諸説あります。

[102] なお、嘉吉への改元は2月17日であり、 賀吉嘉吉の意味だとすると、 2月中にこのような文書を作成することは一応可能ではあるものの、 疑うべき理由の1つにはなります。

[103] 嘉吉元年2月2日は遡及年号です。

紀伊国の用例

日時事例

兵庫県下の用例

日時事例

[66] 前後の配置から、嘉吉を意図した可能性が高そうです。

隠岐国の用例

>>70

諸説

[94] 全国各地に用例が見られますが、それぞれ独立して取り上げられており、 複数の用例にまたがって検討した事例は見当たりません。

[95] 諸論者いずれも嘉吉の意と解しています。しかし、 多くは暗黙の前提のように扱っており、 本格的な検証は見当たりません。

[96] 用例は少なくないものの、各地に分散していて、互いの関連性は見出し難いです。

[97] >>45 は銘文不明確、 >>7偽文書の疑い濃厚、 >>29 >>58 >>70 は後の時代に書かれたものであり、 同時代的に使われたとする証拠は今のところありません。

[98] 独立・偶発的な誤記の可能性が高そうですが、 それぞれの史料の原字形を確認した詳細な分析が必要です。

[99] も意味も似ており、 位置こそ違えど音符が共通しているので何となくの字形の雰囲気も似ています。 取り違えもそれなりに発生しやすいのでしょうか。

研究史

[25] 大野太平の研究では、 >>7 を紹介していますが、 全文引用では「賀吉」とし、 部分引用では「嘉吉」として、 特に断りなく嘉吉の意と解しています。 >>16

[26] 当論文は、 >>7 すなわち里見日記の内容が信頼できないものであること、 里見日記同筆の古文書写本が共に伝来し、 そちらも信憑性が置けないことを指摘しています。 >>16

[27] ただし、 >>7 の他 >>18 の各種文献の記述を紹介し、その大体が信用できないことを指摘しつつも、 里見義実の当地への上陸は嘉吉の頃であろうと結論付けています。 >>16

[36] 自治体史は、 >>7 を紹介していますが、史料としては疑わしいと断っています。 「 ((嘉)) 吉元年」 と注釈し、としています。 >>35

[10] 自治体史は、 >>7 を紹介し、 嘉吉の誤りであろう、としています。 >>6

[11] その根拠に >>14 >>15 などが挙げられています。 >>6

[42] 史料の信憑性には疑問を持っていないようです。

[41] 自治体史は、 >>7 を紹介しています。 「 ((嘉)) 吉元年」 と注釈しています。 >>40

[43] 史料の信憑性には疑問を持っていないようです。

[32] の史料集は、 >>29 を掲載し、 「 ((嘉)) 𠮷元年」 と注釈しています。 >>28

[33] それ以上の説明はありません。 文書の内容や元号名の類似性から誤字ないし通用と判断したのでしょうか。


[55] 勝倉元吉郎の2つの論文は、 板碑を紹介するものであり、 >>7 を掲載しています。 >>44, >>5

[56] 銘文の元号名賀吉としていますが、何の説明もありません。 しかし賀吉3年をと注釈しており、 嘉吉と認識していることがわかります。 >>44, >>5


[67] の史料集は、 >>58 を掲載し、 「 ((嘉)) 」 としています。 >>57

[68] それ以上の説明はありません。


[90] 私年号研究の文脈で紹介された事例は知られていません。

賀幾徒

[86] 賀幾徒は用例が1件のみ知られています。

用例

隠岐国の用例

日時事例

[72] 自治体史で、 北乃総神社の中世の寄進所領の説明があります。

[75] 現存古文書に記載があると説明し、それと思しき文書が掲載されています。 元号名が一覧では「賀吉」であり、文書では「賀幾徒」ですが、 特に説明はありません。 >>69

[76] >>70昭和自治体史の本文の一部分ですが、 この種の文献の常として、何らかの先行する資料からの転載の可能性もあります。

[77] >>71 は「四年」とありますが、 >>74 は「二年」とあり、一致しません>>71 にはと注釈があるので、 そのままだと嘉吉2年ずれとなりますが、 「賀吉二年」の誤植の可能性があります。

諸説

[91] 嘉吉と暗黙裡に同定されており、関係を明確に説明したものは見当たりません。

[87] 漢字3字、しかも元号名らしくない漢字で不審に感じられますが、 3字とも変体仮名, , としてよく使われる字母です。

[92] 実物の字形を確認したいところではあるものの、 仮名書き年号𛀞𛀤𛁭」と考えるべきかもしれません。

[93] 現在報告されている事例は1件のみですが、漢字翻刻されたものに限っての話であり、 仮名書き年号とすれば他にも事例はあるかもしれません。

研究史

[81] の地域史は、 >>73 を紹介していますが、 嘉吉2年の出来事と説明しています。 >>80 そのことに何も注釈はありません。

[78] の地域史は、 >>73 を紹介し、 >>70 のように説明しています。 >>69

[79] >>71 にはと注釈があります。 完全には一致しませんが (>>77) 嘉吉時代にほぼ一致します。 自治体史の編者は >>71嘉吉またはその別表記ないし誤りと認識していたと可能性が高そうです。

[88] 元号研究の文脈で紹介された事例は知られていません。

嘉吉改元

[100] 永享13(1441)年2月17日嘉吉改元されました (辛酉年)。

嘉吉からの改元

[101] 嘉吉4(1444)年2月5日文安改元されました。

延長年号

[1] 北下総地方史 : 茨城県結城・猿島・北相馬郡域, 今井隆助, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9640557/1/77?keyword=%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7 (要登録)

13年

事件

[2] 嘉吉の乱

メモ