[1120] 享保の頃の淡海温故録の附巻古城之図に、 日本国滋賀県蒲生郡日野町関係では 鎌懸山古城之全図 と 近江国栗太郡男石荘左久良太利大神宮之神領 同蒲生郡奥津保左久良ノ郷公文所古城之全図 がありました。 >>76 p.152
[1121]
「
[1122]
楓亭雑話には、
[1123]
淡海温故録の古城之図には、
[1124] 両者は同じ原本から写したと考えられます。 >>76 pp.156-157 (ほぼ同じといっても記載された事実関係に若干の違いがあるのは不審ですが...)
[210] 東桜谷志巻末に 四ツ谷古城図と佐久良古城図が掲載されていました。 >>76
[3] 日本の国文学研究資料館のWebサイトで淡海温故録がカラーで公開されています。 >>2
[5] 楓亭雜話によると、 江戸時代、 椿井文書の偽造で知られる椿井政隆は、 蒲生郡中之郷村 (現在の日野町) に「四ツ谷古城」の絵図等を持ち込みました。 式内社の比定に関心を寄せていた坂本林平に対してはその証拠を示すもので、 祖先のことを調べていた吉倉貞煕に対しては四ツ谷城目代だったことを示したもの (吉倉貞煕の付記録) でした。 >>4 pp.98-100
[6] 淡海温故録附巻古城之図の成立事情は不明ですが、 椿井政隆の描いた古城図の写をまとめたものでした。 そのうち 蒲生郡奥津保中ノ郷四ツ谷古城全図 と 近江国栗本郡男石荘左久良太利大神宮之神領同蒲生郡奥津保左久良ノ郷公文所古城之全図 が、 坂本林平の元へ持参した絵図に相当しました。 >>4 p.100, >>24 pp.400-401
[7] これらは、類似した記述を含む奥津野保左久良十七郷摠絵図とともに、 椿井文書とされます。