正法

正法 (日本)

[17] 正法は、 奈良時代日本の私年号とされるものの1つです。

読み

[32] 読みは 「しょうほう」 >>18 とされます。

用例

[20] 1例のみ知られています。

日時事例

[3] これは崩御の年月を表していますが、 現在の通説によれば光明皇后崩御天平宝字4(760)年6月7日に当たります。

諸説

[34] 正法は用例も1件しかなく、これを扱った研究もほとんどありません。 日本私年号の研究私年号と認定しなかったためか、 その後の私年号研究でもほぼ無視されています。

[35] 現在知られる唯一の用例は中世成立の過去帳で、 遡って奈良時代の没年を記入したものです。 時代的にも地域的にも、著しく離れた記録です。

[36] 光明皇后のことも、その時代のことも、 同時代のもの・後世のもの共に全国に多く記録が残りますが、それでも正法の用例は1例しか報告されていません。 未報告のもの、消滅したものの存在を考慮しても、 これが光明皇后の当時から受け継がれた記録と考えるのはかなり無理があります。 また、後世的にせよ広く用いられた年の表現方法と考えるのも難しいと言わざるを得ません。

[37] すると消去法的に、

... のいずれかになるでしょうか。


[40] 日本私年号の研究 は、 本土寺が教学上の理由で意図的に利用したと想定しています (>>27)

[12] それにしても、いかに光明皇后を讃えるためといっても、 そのためだけにわざわざ建元するということはあり得るのでしょうか。 教派的に重要な他の僧侶などでなく光明皇后だけが特別に元号を設けられるほど、 光明皇后が重視されていたようにも思われません。

[11] ところで仏教正法の時代といえば、 まず思い浮かぶのが末法思想等の正法でしょう。 しかし正法仏滅後500年なり1000年の間なので、 どう数えるとしても、 正法元年と光明皇后の時代はまったく一致しません。

[42] 日蓮宗正法といえば、 正当な法、すなわち法華経のことをいいます。 確かに久保常晴が指摘するように、 光明皇后法華経の信仰に貢献した人物といえます。 しかし、それをもって法華経の時代とするほどの画期かといえば、 疑問も残ります。 有名どころでいえば、聖徳太子日蓮正法元年とする方がむしろ適切とも感じられます。


[14] >>13 では光明皇后は左ページに属しますが、右ページ上方には 「小西正法寺」と書かれています。 また、右ページ中には名前の横に「小西正法寺云々」と書かれている項目もあります。 正法寺日蓮宗の有力寺院で、本土寺とも関わりがあります。

[15] あるいは「正法元」は何処かより「正法寺」が混入し、 元号名と誤認されて「寺」から「元」に訂正された結果とも考えられます。 月だけで年が書かれていない項目は他にもありますから、 光明皇后には元々崩御年が書かれていなかった可能性は十分にあります。

研究史

[9] 用例のある 本土寺過去帳 は古くから研究者に知られていましたが、 異年号として認知されたのは 日本私年号の研究 が最初と思われます。

日本私年号の研究

[8] 昭和42年の 日本私年号の研究は、 正法私年号にも古代年号には含めず、 古代年号的諸資料分類しています。 次のように述べています。 >>1

平成時代

[10] 一覧表の類で正法を掲載したものはほとんどありません。 >>29

[30] 日本語ウィキペディアの表は、 平成20年に追加しました。直接の出典は不明です。 >>31

[33] SNS 投稿は、 あたかも当時同時代的に実用された私年号であるかのような説明をしています >>19 が、根拠は不明です。 本土寺過去帳を挙げていますが、それを読んで分析した結果のようには読めません。 ウィキペディアの表を見て、それ以上の信頼できる資料を確認することもなく適当に書いた類のものでしょうか。

関連

仏暦

正法 (紀年法)

メモ