[17] 正法は、 奈良時代の日本の私年号とされるものの1つです。
[2]
本土寺過去帳
[5] >>1 に白黒写真あり。一部かすれて不鮮明ですが、原本の時点でそうなのかもしれません。
[3] これは崩御の年月を表していますが、 通説によれば天平宝字4(760)年6月7日に当たります。
[4] 月日の違いがありますが、同じだとすると天平宝字4年が正法元年となります。 継続年数は不明です。 >>1
[7] 小金井本土寺過去帳の奥書から、寛正7年以前の成立と考えられます。 >>1
[8] 日本私年号の研究は古代年号には含めずとも「古代年号的」なものに分類し、 私年号とは分けています。 >>1
[9] 同書の分類では異年号のうち同時代的に使われたものが私年号、 遡って作られ「古代年号」等の呼称でまとめられてきたものが古代年号と分けられますが、 正法は形式的には後者に当てはまるものの、歴史的に古代年号の扱いを受けていなかったことから、 「古代年号的」という謎分類に入れられたようです。
[10] 歴史的経緯を踏まえると古代年号は大宝頃より前を指す分類とするべきでしょうから、 奈良時代を表すという点でも古代年号に分類するのは不適切でしょう。 古代年号やその他を含む「遡及的私年号」の分類を新設するのが妥当でしょうか。
[6] 本土寺は日本国千葉県松戸市の日蓮宗の有力寺院で、 法華経を重視する日蓮宗として、 夫妻で仏教興隆に尽くし法華寺を建立した光明皇后の徳を崇めたものと考えられます。 元号名は、 法を正しく行った方との意味で生まれたものかもしれない >>1 とするのが久保常晴の説です。
[11] ところで仏教で正法といえばまず思い浮かぶのが末法思想等の正法でしょう。 久保常晴も当然連想したはずで、それに言及していないのは不思議です。 しかし正法は仏滅後500年なり1000年の間なので、 正法元年は仏滅当時ということになって、実年代にまったく一致しないのです。
[12] それにしても、いかに光明皇后を讃えるためといっても、 そのためだけにわざわざ建元するということはあり得るのでしょうか。
[14] >>13 では光明皇后は左ページに属しますが、右ページ上方には 「小西正法寺」と書かれています。 また、右ページ中には名前の横に「小西正法寺云々」と書かれている項目もあります。 正法寺は日蓮宗の有力寺院で、本土寺とも関わりがあります。
[15] あるいは「正法元」は何処かより「正法寺」が混入し、 元号名と誤認されて「寺」から「元」に訂正された結果とも考えられます。 月だけで年が書かれていない項目は他にもありますから、 光明皇后には元々崩御年が書かれていなかった可能性は十分にあります。
[16] 私年号 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7#%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7
私年号 異説 元年相当公年号(西暦) 継続年数 典拠・備考 正法 - 天平宝字4年(760年) 不明 『本土寺過去帳』