正嘉

正嘉

元号名

正賀

[112] 正賀の用例が全国にいくつか知られています。正嘉に比定されています。

元号名

[74] 読みは 「しょうが」 (歴史的仮名遣: 「しやうが」 >>71) とされます。

用例

信濃国

日時事例

[106] 異体字𬻕swc793です。 >>100

[119] 死去当時のものでなく、後世に作られたと考えられています (>>36)。

紀伊国

日時事例

[113] 令和時代に至るまで、私年号研究の文脈で紹介された事例は知られていません。

鹿児島県下

日時事例

[77] >>63>>72 >>73 は異なるもののようですが、内容が類似しており同系統と考えられます。

[83] >>72 >>73>>80 は同じものかもしれません。

[114] 令和時代に至るまで、私年号研究の文脈で紹介された事例は知られていません。

諸説

[115] いくつかの用例があり、それぞれで若干の議論がされているものの、 全体を俯瞰した議論は見当たりません。

[116] いずれも公年号への比定を行っているものは、正嘉の異表記とすることで一致しています。 それ以外の説は見当たりません。

[117] 正嘉説は、 同音であることや干支年の一致を根拠としています。

[120] と表記することについては、 誤記説 (>>103) もありますが、 他にも類似例が多数あり、当時の表記慣習でどう認識されていたかは検討の余地があるでしょう。 嘉と賀

[121] 筆者の意志を積極的に評価する説 (>>23) もありますが、物証はなく、慎重になるべきと思われます。

[118] >>73 については偽文書と考えられています。 偽文書元号の可能性も考えられ、 >>93 はそう解釈したものでしょうが、一方で正嘉説も考えられます。 偽文書だからといって時代背景まで偽造とは限らず、 作者の歴史認識と当時の表記慣習が反映されたに過ぎない場合もありますから、 よく検討する必要があるでしょう。

研究史

[52] , , , の史料集は、 >>45 を紹介して、 「 ((嘉)) 」 (明朝体) と注釈しています。 >>56, >>58, >>44, >>60

[55] >>45 を引いて同様に注釈した論文もあります。 >>54, >>53


[78] の書籍は、 >>72 >>73 を紹介し、 (しやう) () 年間の文書が云々、とそのまま利用しています。 >>71

[93] の書籍は、 >>73 を紹介して、まったくの偽文書だと論じて、 室町時代以後の用語が使われることを指摘しています。その上で、

それに () () 二年とは僞年號で無けれ ば私年號であつて、餘程の無學でなければ書かぬ所である。

... なることも、その杜撰な偽文書であることの根拠の1つに挙げています。 >>92

[94] すなわち、正賀偽年号ないし私年号であって、 無学の者が使うものだと認識しているようです。 正式な公年号の知識もないものが見様見真似で適当な元号を捏造した、 というような解釈でしょうか。 私年号研究史


[97] の地誌は、 >>26 を紹介しています。 「正賀に」 (明朝体) とそのまま時代の記述にも使っています。 >>95

[110] の地域史は、 >>26 を紹介し、 「正賀 ((マヽ)) 」 (明朝体) と注釈しています。 >>109


[70] の論文は、 >>26 を紹介して、何の注釈もなく、 「正嘉一二五八」 (明朝体) 「正嘉二年」 (明朝体) と説明しています。 >>68


[30] 昭和42年の 日本私年号の研究 は、 異年号のうち私年号でない分類の1つである同音異字年号として >>26 を挙げ、 次のように述べています。 >>25

  • [31] 北佐久郡志>>29 としている
    • [32] 内容的にその説くところに矛盾なし
    • [33] 従って正嘉とみて差し支えあるまい
  • [34] 香取文書嘉慶賀慶としている場合あり
    • [35] 他にもとした例があることは傍証
  • [36] ただし、墓碑に俗名と年齢まで記している
    • [37] 該時代のものとみるには疑問あり
    • [38] 後世の造立と考える
  • [23] としたのは、むしろこそ庶民のとって実感をもって受容しやすい文字だからにほかならない

[101] の地域史は、 >>26 を紹介して、 次のように述べています。 >>100

[87] の論文は、 >>26 を紹介して、 「正賀 (原文) 二年」 (明朝体) と注釈し、 「望月町誌に依れば正賀二年」 (明朝体) とそのまま利用しています。 >>86

関連

正喜

[22] 正嘉正喜と表記された例がいくらか見られます。

[39] 紀元編は、 紀元類聚考 にある正嘉を、 誤って正喜と引いています。 >>42

[40] 昭和42年の日本私年号の研究は、 私年号でなく私年号的諸資料の本文中 (単独立項なし) で、 >>39 を紹介しています。 >>42 昭和39年の論文でも立項しないのは同じです。 >>43

椿井文書の用例

[8] 偽書である椿井文書に用例があります。

[19] >>8興福寺官務牒疏翻刻で、正喜2年2月の日付があります。

[18] >>7右ルビに「(〓)」と注釈がありますが、 >>7 の画像では潰れて読めません。

[20] >>2 は史料として 興福寺官務牒疏 から「正喜二年」を引いていますが、 の右横に「嘉カ」と注釈があります。

[3] 興福寺官務牒疏偽書ですが、ここでは気づかず使われています。

日時事例

[1] >>21 は本文中の年数計算から、元号名は誤記とわかります。 本文中元号名が繰り返されるが一貫して誤っています。

近現代の用例

[9] 日本名勝地誌: 東海道之部下. 第3編 - Google ブックス, https://books.google.co.jp/books?id=wOrz1uG8vPUC&pg=PP307&dq=%22%E6%AD%A3%E5%96%9C%22

妙源寺 「正喜 (しやうき) 二年」創立

[11] 妙源寺 (岡崎市) - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%99%E6%BA%90%E5%AF%BA_(%E5%B2%A1%E5%B4%8E%E5%B8%82)

正嘉2年(1258年)に寺を建て、これを明眼寺(みょうげんじ)と名付けたと伝えられる。

[12] 續々群書類從 - Google ブックス, https://books.google.co.jp/books?id=suDTAAAAMAAJ&pg=PP183&dq=%22%E6%AD%A3%E5%96%9C%E5%85%83%E5%B9%B4%22

宝物目録 壬生寺 正喜元年銘の鰐口

[13] 史料通信叢誌 第9編, 近藤瓶城, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/769766/1/30

壬生寺 正嘉元年 鰐口

(同じものかはわからないが)

[14] 明治節用大全: 傳家寶典 - Google ブックス, https://books.google.co.jp/books?id=WYAuAAAAYAAJ&pg=PP1263&dq=%22%E6%AD%A3%E5%96%9C%E5%85%83%E5%B9%B4%22

後深草天皇の正喜元年

(正しくは正嘉)


[10] 鳴門中將物語 - Google ブックス, https://books.google.co.jp/books?id=5rWcrxLlTuAC&pg=PP21&dq=%22%E6%AD%A3%E5%96%9C%22

手書き 公卿家伝からの引用 正喜2年11月11日

[4] 遠江国風土記伝 - 内山真竜 - Google ブックス, https://books.google.co.jp/books?id=XiWlHoM7MtwC&pg=PP544&dq=%22%E6%AD%A3%E5%96%9C%22

正喜二年

原本ママか誤植か不明

[5] 近世文藝叢書 - Google ブックス, https://books.google.co.jp/books?id=HN_Ya2d84GwC&pg=PP235&dq=%22%E6%AD%A3%E5%96%9C%22

正喜2年3月23日

原本ママか誤植か不明

[6] 夫木和歌抄 - Google ブックス, https://books.google.co.jp/books?id=tZvSeXziTQEC&pg=PP38&dq=%22%E6%AD%A3%E5%96%9C%22

正喜二年

原本ママか誤植か不明


[15] この他近現代に用例がままあり、正嘉の誤りと思われる。

[16] 近世以前にも多くある誤りだったか確証はないが、 近代の翻刻が全部が全部誤植とも考えにくいので、 それなりの数の「正喜」があったと考えたい。

関連

[17] 延喜の誤記の事例 年代記類

メモ