時間

時 (日時)

[1] (hour) 時間は、時刻単位で、60です >>2 2.2.4, ISO 31-1

暦における時

[5] におけるは、「n時」のように表すのが普通です。

[6] 明治時代初期には、「n」のように表記されたこともありました。

[7] 西洋式時計の n数字で表される時刻、といったような意味でこの文字が選ばれたのでしょうか。

[8] 文字を当てなかったのは、江戸時代から使われていた「 (とき) との混同を避けるためだったといいます。

ISO 8601 における時

[25] 日時書式表現では、 h数字を表します >>2 3.4.2

[26] 日の時においては、は 00 から 24 までの2桁の数字で表します。 >>2 4.2.1

[31] 小数付き表現においては、小数点小数部を更に続けることができます。 その場合小数部は1桁以上の数字で、桁数は情報交換の当事者間の合意が必要です。 小数部がある場合には、は記述できません。 >>2 4.2.2.4

[32] 24 は暦日の終わりを示すためにのみ使えます >>2 4.2.1小数部は 0 でなければなりません >>2 4.2.3

[33] 24時は、暦日と関連付けられている場合は0時の次の暦日の0時を表し、 関連付けられていない場合は0時と同じを表します。 >>2 4.2.3 NOTE 2

[34] 0時と24時のどちらを用いるかは関連付けられた日付time interval に依ります。 24時を使う方が好ましい (preferred) のは、 time intervalrecurring time interval において終わりを表現する場合のみです。 >>2 4.2.3 NOTE 3

時の範囲

[27] 多くの日時形式では、として扱えるのは 0 から 23 までです。

[28] ISO 8601XML Schemaデータ型は、 24 もとして認めています。ただしの終わりを示すために 24時ちょうどのみを認めていて、24時1分などは表せません。

24時間制と12時間制

[51] 12時間制参照。

閏時

[23] 標準時改正や夏時刻実施に伴い発生するイレギュラーなについては、 閏時を参照。

時間の長さの単位

[4] 時間の長さの単位として使う時は、「n時間」のように表すのが普通です。

経度の単位

[21] 歴史的には経度時(間) (h) 単位で表記することもよくありました。

15 ° (経度) = 1 h

[22] 赤経は普通単位とします >>14

メモ

[35] 時刻 ‐ 通信用語の基礎知識 ( ( 版)) http://www.wdic.org/w/SCI/%E6%99%82%E5%88%BB#xE5xAEx9AxE7xBExA9

[9] 時刻表の誕生と歴史 ( 版) http://www.tanken.com/jikokuhyo.html

時間が「時」ではなく「字」が使われているんですよ。これはどうしてかというと、当時はまだ江戸時代の旧式の時間システムが併用されており、混乱を避けるために西洋時間には「字」を使ったんです。

当時、時間の言い方には「十二支」(深夜0時から2時までが子の刻。以下、丑の刻、寅の刻……)と「数呼び」(深夜0時が九つ、2時が八つ、4時が七つ……)の2つあり、さらに西洋時間が入ってきたことで、時間の呼称が大混乱していました。

[10] 太陰太陽暦と歴史表記、乱暴な明治改暦 ( 版) http://www.ganshodo.co.jp/mag/moon/files/m_c101.html

当時、急に定時法を採用されても、まだ時計も普及していなかったし、それまでの不定時法の「時(とき)」と間違いやすかったので、書くときは「 字(じ)」という文字を使い区別したそうです。開業したとき作成された日本最初の鉄道時刻表の中で、発着時刻に「○字×分」のように「字」を使用していたのはこのためです。

なお、定時法の時刻は、時計の針を見れば分かることでしたが、当時の時計は遅れたり進んだりしたし、普及もしていなかったので鐘や大砲(午砲ードンといった)で修正したり、鐘などで時刻を知らせる必要があったのである。「字」という時刻表記は、翌明治6年1月から「時」の文字に統一されたので「字」と書かれた時刻表で残っているものは極めて少ないそうです。

[11] 日本の時計産業概史 | 時と時計のエトセトラ | 日本時計協会 (JCWA) ( 版) http://www.jcwa.or.jp/etc/history01.html#h3

明治に入り、明治5年(1872年)、これまでの太陰暦から太陽暦採用への布告(太政官布告第453号、明治5年12月3日が 明治6年1月1日となる)がなされると共に、時刻の表わし方も「不定時法」から「定時法」に変わり、「何字」と云われていたものが「何時」と云うことに決められました。

[12] Himuro essay:200007hm.html ( 版) http://homepage2.nifty.com/cat-fish/200007hm.html

一八七三(明治六)年九月二二日の大阪府枚方市の中振村役人日記には、「午後一字地震鳥渡ゆ

る」とあり「字」が使われている。

[13] Himuro essay:200007hm.html ( 版) http://homepage2.nifty.com/cat-fish/200007hm.html

一八八四(明治一七)年七月一六日の青森県鯵ヶ沢の「年中日記」には「其夜九ツ時頃

ニ地震余程強く」という表現がまだ使われており、午前午後一二時間制の時計が行き渡るのには年

月が必要だったということがわかる。

[15] ( 版) http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1912/pdf/191302.pdf

[16] ( 版) http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1912/pdf/191303.pdf

[17] 深夜放送 - Wikipedia ( 版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%B1%E5%A4%9C%E6%94%BE%E9%80%81

時刻表示はタイムテーブルには0時 - 5時では無く「24時」 - 「29時」表記が使われる事が多い。一般に一日の放送は深夜放送が終わる29時(=5時)まで続き、翌日の放送は終わった瞬間の5時より始まる。放送休止時間が挟まる場合は一週間の放送が終わる26時(=2時)まで。放送局内の日付管理もこれに従っており、マスターで翌日の送出プログラムに切り替える「日替わり処理」をこの時刻で行う(局毎に日替わり時刻を決めている)。

[18] 空企画|古代~現代の定時法と不定時法の時刻の対応など (すとらぁ (空企画) 著, 版) http://www.kuu-kikaku.jp/rekishi/jikoku-etc.html

[19] 空企画|西暦→和暦変換&日本史雑学カレンダー (すとらぁ (空企画) 著, 版) http://www.kuu-kikaku.jp/rekishi/rekishi-zatsugaku-calender.html

このスクリプトでは、不定時法の  

時鐘・辰刻と定時法の時刻の対応  

は、節月ごとに変化するようにな  

っています。

[20] ( 版) http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/168484/1/tnk000258_383.pdf

[37] 佛國の新子午線及標準時 ( (地学雑誌 Vol. 11 (1899) No. 5 P 396a-397, )) https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/11/5/11_5_396a/_article/-char/ja/

[38] 江戸時代の時刻と現代の時刻 ( (地学雑誌 Vol. 86 (1977) No. 5 P 273-284, )) https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/86/5/86_5_273/_article/-char/ja/

[46] 時刻の表記(広報Q&A):日本広報協会 () http://www.koho.or.jp/useful/qa/hyouki/hyouki07.html

時刻制度は、1872(明治5)年の旧暦11月9日に太政官達第337号として発令されました。これによると、午前は「零時」から「12時」まで、午後は「1時」から「12時」までとする12時間制になっています。

よって、この達の通りに表記すると、昼の12時は「午前12時」、夜中の12時は「午前零時」または「午後12時」になります。また、達の中では「午後零時」という時間は存在しないことになります。

しかし、「午前12時」「午後12時」が昼を指すのか夜を指すのか分かりにくく、特に「午後12時」は、昼の12時と解釈してしまう可能性があります。

そこで、こうした誤解や混乱を避けるため、「12時」の表記については達を厳密に適用せずに、独自のルールを定めている例が多くあります。

例えば、天文台では「零時」「12時」には午前、午後をつけないで「午後6時~零(0)時」「午前10時~12時」といった表記を勧めています。新聞社などでは、昼の12時ちょうどは「正午」、夜の12時ちょうどは「午前零時」とし、「正午」は「午後零時」としないと決めているところもあります。

[47] jikoku () http://www.little-hp.net/jikoku.htm

奈良・平安時代は、先ほど紹介したような水時計による定時法でした。鎌倉時代になると、時計のない地方や、戦さで大きな装置を持ち歩けない場所で、だんだん不定時法を使うようになりました。そして、江戸時代には不定時法が公式になりました。

[48] 戦国時代の時計の数え方 - 歴史 | 【OKWAVE】 () http://okwave.jp/qa/q3761069.html

初更(甲夜) 午後7-9時

二更(乙夜) 午後9-11時

三更(丙夜) 午後11-午前1時

四更(丁夜) 午前1-3時

五更(戊夜) 午前3-4時

[49] 「No.52 時間を見直そう!~時計の歴史から振り返る私たちの生活~」眠りについて知ろう|快眠コンソーシアム () http://www.kaimin.gr.jp/sleep_column/52.html

日本では660年に天智天皇が漏刻という水時計を作り、時刻を知らせたという記録が残っていますが、戦国時代には2時間ごとに時間を区切る方法 が使われ始めたようです。しかし、戦国時代の混乱で統一した時間管理はされなくなり、1551年にフランシスコ・ザビエルが大内義隆に時計を献上するまで は、日が昇ったら1日が始まり、日が落ちたら1日が終わるというような生活が基本だったようです。江戸時代に入ると、昼と夜の時間をそれぞれ6等分し、そ れらをさらに上刻、中刻、下刻と3等分して時刻を管理。津田助左衛門が日本人ではじめて時計を作り、徳川家康に献上したという記録があります。

[50] Himuro essay:200007hm.html () http://homepage2.nifty.com/cat-fish/200007hm.html

一八七三(明治六)年九月二二日の大阪府枚方市の中振村役人日記には、「午後一字地震鳥渡ゆ

る」とあり「字」が使われている。「一時ちょうど」といっても基準の子午線が大阪あたりの子午

線だとすれば、東京の時刻から二〇分近く遅れていることになる。

例えば、一八八四(明治一七)年七月一六日の青森県鯵ヶ沢の「年中日記」には「其夜九ツ時頃

ニ地震余程強く」という表現がまだ使われており、午前午後一二時間制の時計が行き渡るのには年

月が必要だったということがわかる。

[3] インド - Wikipedia () https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89#.E5.9B.BD.E6.97.97

法輪の中の24本の線は1日24時間を意味する。

[24] 「字」と「時」: suchowan's blog () https://suchowan.at.webry.info/201909/article_18.html

[29] カラパ暦の時刻表記: suchowan's blog () https://suchowan.at.webry.info/201910/article_24.html

[30] KOTOBA9608 (, ) http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/menicuita/9608.htm#18

[36] 時刻表 - Wikipedia (, ) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E5%88%BB%E8%A1%A8#%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%A4%89%E9%81%B7