[1] 子平 (y~1706) は日本の中世私年号の1つです。
[21] 子平5年 (か) の用例が発見されていますが、 いつからいつまで使われたかは不明です。
[16] 日本国熊本県で金石銘に1件、用例が発見されています。 これが現在知られている唯一の用例です。
[9] かつては植木町の乗越横穴群に五輪塔残欠と共に放置されていたといわれます。 その後植木町中央公民館所蔵となりました。 >>23
[2] 昭和時代に歴史研究者の前川清一は、 熊本県の私年号の1つとして紹介しました。 >>23 (白黒写真, 拓本, 翻刻), >>513 pp.31-32 (拓本、翻刻)
[17] これまで知られていなかった私年号です。 前川清一または前川清一と親しい熊本県民の発見と思われます。
[12] 同地域の同型の宝篋印塔がからに分布していて、同時期と考えられます。 >>23
[14] その範囲内の丙寅年で、加平との関係から、 を意味すると推測され、 元年はです。 >>23
[4] なお建元がと一覧表にある >>513 p.31 のは誤りです。
[18]
板碑とその時代はが元年か、
子平5年はか、としていました。
[10] 私年号 - Wikipedia, , https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7#%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7
私年号 異説 元年相当公年号(西暦) 継続年数 典拠・備考 子平 - 文亀2年(1502年) 不明 熊本県熊本市北区植木町所在宝篋印塔銘
[5] >>513 の拓影を見ると「子平」はバランスが悪く1文字のようにも見えますが、 「辛」ないし「年」1文字にしては「平」部の「ソ」が不審ですし、 年数の前なのでどちらも意味が通りません。 しかも宝篋印塔ということなので上にもう1文字書く場所はなさそう。
[6] 近い時代に加平もあるので、元号名であるのは間違いなさそう。 両者は何らかの関係がありそうですが、「子」と「加」は字形が似てそうで似てないので、 直接的な誤写のような関係ではなさそう。