[3] 図説いけばな体系 所収 花書便覧 に掲げられた鹿王院蔵 文阿弥花伝書 に、
綉谷庵文阿弥 天承元年五月十三日
とあります。 >>1
[4] その次の 立花雲乃上巻 にも天承とあります。 >>1
[5] 天承は日本の公年号にありますが、 天承元年はにあたります (大治6(1131)年1月29日改元)。
[6] しかし花伝書が12世紀初頭に出現するとは考えられません。 >>1
[7] 梁川町史は、 東山時代の私年号かとしています。 >>1 文化史の時代区分の東山時代は普通足利義政の時代 (15世紀後半) を指します。 華道の大家、初代文阿弥の活動時期と他の著作等を勘案してこの時代と判断したのでしょう。
[10] この 文阿弥花伝書 は現在も華道分野で紹介されることはあるものの、 詳しく研究されてないとのことです。 >>9
[13] 文阿弥花伝書 には諸本あって、 の奥書を持つ >>12 とかだ >>14 とかいわれています。 西教寺本文阿弥花伝書奥書は文阿弥から数人を経てなどの日付があります >>14。 それら鹿王院本以外の諸本にも「天承」があるのかは不明。
[15] 東山時代、初代文阿弥の生存中の元号で「天承」に似ているのは「天文」 くらいです。 は享禄5(1532)年7月29日の改元で、 その転または誤だとすると2ヶ月の遡及年号になってしまいます。
[2] 作為ある異本が出てくるようなカテゴリーの文献なら、私年号よりまず偽書(嘘日付)を疑ってみるべきかな?
[8] でも著者が文阿弥と明記してあるのに全然違う古い公年号を書いたりはしないかな。
と指摘しています >>17。
[25] どうにも繋がりに無理が感じられるところもありますが (特に >>21)、 紀貫之の件は年月日が完全に一致しているだけに無視できません。
(古文献の写真: 低解像度で読み取れない)
文阿弥花伝書と伝わるものは滋賀の西教寺
に 7 巻、九州国立博物館に残巻 1 巻、他に もあり、鹿王院のものには天承元年(1131) の日付がある。 『特別展 いけばな 歴史を彩る日本の美』図録より
(2009)p42-43