嘉永

嘉永

元号名

[1] 袖ケ浦町史 史料編 2, 袖ケ浦町, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9642789/1/294 (要登録)

異体字

賀永

[27] 賀永と表記した事例がいくつかあります。

用例

日時事例

[16] >>331 は >>14 の写真によるとややわかりにくいものの、第1字が賀であることがわかります。 字画のはっきりした楷書で彫られているようにみえます。

[23] >>331 >>7 は元号年と十二支年があり、嘉永の場合と一致します。

[24] >>18 は文脈からして嘉永とみなして矛盾がありません。

諸説

[28] これまでに3例が知られています。うち2例は半ば暗黙裡に嘉永に比定され、 残りの1例も嘉永であることが明らかです。

[29] 干支年や文脈からいずれも嘉永として良いと考えられます。 嘉が入った他の元号でも、賀への交替が見られます。 日本の異年号の一覧

[30] 検出されても軽微な異表記ないし誤記とみられて異年号として一々報告する発想につながらないとみられ、 これ以外にも用例が存在する可能性があります。元号名における異表記の研究の進展のためもあって、 こうした事例を丁寧に拾う作業が望まれます。

研究史

[22] の著作集は、 >>21 を紹介し、「賀永」の賀あたりにママ注を付しています。 >>17

[15] の地域史料集は、 >>331 を紹介し、 嘉永元年5月17日と説明しています。 >>10

[9] の地域史は、 >>7 を紹介し、 賀永2年はと注釈しています。 >>6

[26] 令和時代に至るまで、元号研究の文脈で紹介した事例は見当たりません。

関連

嘉と賀

喜永

[34] 喜永と書いた事例が知られています。

用例

日時事例

研究史

[42] の史料集 新収日本地震史料 は、 >>40 を紹介して、 「 喜永 ((ママ)) 」 (明朝体) と注釈し、 嘉永7年 = 安政元年条に収録しています。 同書には他の安政元年11月5日地震の記録も収録されています。 >>39

[39] 詳細検索 - 地震史料集テキストデータベース, https://materials.utkozisin.org/articles/detail?id=J1900485
和暦嘉永七年十一月四日
綱文安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東以西の日本各地〕
書名〔小野氏家譜〕○宿毛市大島小野鉄一家文書(旧庄屋)
本文[未校訂](九代義秋) 一喜永(ママ)七寅年十一月五日大ニ地動揺シテ大津浪打来リ海辺ノ 漁屋潮ノ為ニ破ラレ水底ニ亡滅ス尤漁屋転倒スル事二三屋 流舎一二軒計リ此時家内ノ宝器家財流亡無之義秋公用ヲ以 佗出致居候事此時宝器ノ四稜ノ鑓スクモ立田安兵衛方へ見セニ遣シ候処右時変ニ付紛失致候趣申来事
出典新収日本地震史料 第5巻 別巻5-2
ページ2357
備考本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。

[38] 付 Web頁 (初出不明) は、 >>36 を紹介して、 かと注釈しています。 >>35

メモ

[43] 3943.pdf, , https://www.town.nakanojo.gunma.jp/uploaded/attachment/3943.pdf#page=314

小沢を渡ると芳ヶ平ヒュッテになり︑ ヒュッテ小屋の東が大平湿原から来る道を合わせた所である︒ここに火 山の噴出物と思える三角形の自然石があり︑正面は﹁大日知来﹂で︑下 に﹁右ハくさつ/左ハ入山村 中の条 しれ昭﹂と刻む道標花しき湯 である︒喜永と間違えたが︑嘉永七(一八五四)年の碑で︑﹁入山都 山本藤左衛門﹂等の名がある︒嘉永七年に行った道路修復の記念で建て たと思える道標で︑他にも同年の道標が幾つかあり︑﹃入山研究﹄の記 述を裏付けている︒﹃入山研究﹄を見ると︑嘉永七年に﹁京塚のみちし るべは︑入山村と信州側で道を整備しあった時に造られたと聞いていま す﹂の記載があり︑この時にこの道標を建てたと考えても不自然ではな かろう︒

[44] >>43 は実際に石碑に「喜永」と書かれていて著者が間違いと判定したということなのか、 実際には「嘉永」と書かれているのに著者が「喜永」と読み間違えるような字形だったということなのか、 いまいち文意が掴みかねます。

改元手続き

[32] 東山御文庫御物 : 皇室の至宝 4, 毎日新聞社「至宝」委員会事務局, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/12671869/1/267?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83 (要登録)

[3] 三川町史資料集 第6集, 三川町教育委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/13243281/1/65?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83 (要登録)

[4] 神私実事集 : 東之庄神主家役所 続 (自天保十三年至安政二年), 東庄郷土史研究会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/13177304/1/34?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83 (要登録)

日本国千葉県東庄町

改元伝達

[5] 古川市史 上巻, 古川市史編纂委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/3451131/1/210?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83 (要登録)

[33] 岸和田市史 第7巻 (史料編 2), 岸和田市史編さん委員会, , , https://dl.ndl.go.jp/pid/9574261/1/364?keyword=%E6%94%B9%E5%85%83 (要登録)

用例

[31] wakizashi; blade | British Museum, , https://www.britishmuseum.org/collection/object/A_1981-0808-72-a

Inscription transliteration: Yokoyama Kaga-no-suke Fujiwara Sukenaga Kaei sannen nigatsu jitsu

Inscription translation: Yokoyama Kaga no suke Fujiwara Sukenaga; a day in the second month in the third year of the Ka'ei era [1850]

関連

[2] 関連: 嘉政, 永佳

[25] 国立国会図書館デジタルコレクションで「賀永」で見つかるほとんどは、 「寶永」のOCR誤読です。

メモ