[9] 京都の商人で国学者の村井古巌は、 古図纂などの名前で知られる図集を編纂したとされます。 本書は日本各地の遺跡や出土遺物を図して説明を加えたものでした。 書名と内容が少しずつ異なる複数の写本が残されており、 収録される遺物と順序に違いがありました。 >>497 PDF 60ページ, 104ページ
[284] 各本の目次や奥付に村井古巌の名があってその編と知られていますが、 東京国立博物館本古図纂収録遺物の発掘年間の下限は下巻所収 摂州川辺郡清水村松山塚 のであり、 村井古巌の死後追加されたものもあることがわかります。 各図の場所、年代、最初に書き留めた人物はまちまちでした。 >>497 PDF 60ページ
[283] 古図類纂のように鬼室集斯墓碑を掲載しない >>497 PDF 104ページ ものを除くと、 次の写本の現存が知られています。
[490]
国立国会図書館に、
外題
[471]
宮内庁書陵部所蔵
池底叢書
(屋代弘賢)
[488] 宮内庁書陵部本古廟陵並植物之図部分の奥書に、次のようにありました。 >>478
天明乙巳年󠄂十一月十四󠄂日
冩 https://glyphwiki.org/wiki/u2ff1-u5196-u2ffa-u2ff9-cdp-88cd-u706c-u76ee 之 浪蕐 人人 邨󠄅 レ→ノ 井古巖ト云者東都ニ來 亅 ル只古跡 心-ノ ヲ好ミ 廵覽スル処ノ奇噐ヲ圖󠄂ス春
波 楼 藏 物
[472] 胡口靖夫は、 著書で宮内庁書陵部本古廟陵并埴物之図写本があるとしか書いていませんでした。 >>224 他に該当するものなく、 本書を指すと思われます。
[296] 胡口靖夫の著書によると、宮内庁書陵部本に次のようにあったといいます。 >>224 (注釈は >>224 のまま) 微妙に違うのは誤植でしょうか。
天明乙巳年十一月十四日写之、浪華邨󠄂井古厳 ト云者東都ニ来ル只古跡ヲ好ミ巡覧スル処ノ 奇器ヲ図ス 春波楼蔵物
[491]
東京国立博物館所蔵
[300] 東京国立博物館本巻一奥付 >>304, >>497 PDF 79ページ
浪
華 艹一 一十 人 人 邨󠄅 卯偏(下ナ) 古巖集 ホ亅
東 亅 奥 https://glyphwiki.org/wiki/u2ff3-u2ff5-cdp-8bd6-u7c73-u4e00-u516b 玄澤散人藏 䒑𮍌
東 亅 都 高梨 ホ亅 昌本摸 䒑 伊豫 三
和 亅 惟仲 書異󠄃本天明乙巳年十一月十四󠄂日 写之 浪
華 艹一 一十 人 人 邨󠄅 卬偏 井古巖ト云者東 亅 都ニ來 亅 ル只古跡ヲ好ミ廵覧 https://glyphwiki.org/wiki/u89a7-itaiji-005 スルノ竒 噐ヲ圖󠄂ス春波楼
藏 䒑冫𮍌 持
[492] 続き >>305, >>497 PDF 60ページ
右古廟
陵 土ハ夊 並埴 𥄂 物 ノノは朱書 之記乞需之以植 直󠄉 田維󠄂章所󠄃藏 䒑ノ𮍌 本摸 䒑 冩 𦥑 尤 https://glyphwiki.org/wiki/u2ff7-u5c22-u4e36-var-001 古代之遺 ⻎ 風嚴然也可感 https://glyphwiki.org/wiki/gt-66932 稱 亅https://glyphwiki.org/wiki/sdjt-10123 者歟 左|| 嗚呼維󠄂時天明五
稔 亅⿰禾𫝹 乙 https://glyphwiki.org/wiki/u4e59-15-var-001 巳初秋 亅 下幹多賀常政誌之
[498] 宮内庁書陵部本奥書 >>492 によると、 植田維章が古廟陵並埴物之記を所蔵しており、 7月下旬に故実家の多賀常政 (御三卿清水家の家臣) がそれを借りて書写しました。 >>497 PDF 60ページ
[499] 国立国会図書館本奥書 >>490 によると、 天明6(1786)年2月28日に多賀常政がそれを書きました。 つまり宮内庁書陵部本と国立国会図書館本は、 多賀常政が2箇年にわたって本書をまとめた体裁を伝えています。 >>497 PDF 60ページ
[306] 宮内庁書陵部本 >>488, >>298 および東京国立博物館本 >>300 奥書によると、 、 書写されました。 当時村井古巌は江戸に滞在していました >>497 PDF 79ページ。 その写本は司馬江漢 (春波楼) の所蔵するところとなりました >>224, >>497 PDF 79ページ。
[500] 東京国立博物館本 >>300 奥書によると、 蘭学者の大槻玄沢が写本を模写したか貰い受けました。 更に高梨昌本が臨写しました。 そして三和惟仲が書を付しました。 >>497 PDF 79ページ