[15] 年は王の治世に基づく即位紀年で数え、
王位継承の後の最初の年を元年としました。 >>6
[16] 2世紀、プトレマイオスはまで遡った王と治世期間の一覧表を作成しました。 >>6
[17] 他にも古代の王の一覧が見つかっており、 初期は精度があまりよくないものの、 紀元前2000年頃まで遡れています。 >>6
[7] 1年を次の12月に区切る太陰暦でした。 >>6 附属書D表4
[14] 通常は新月が最初に出現したときに月が始まるとしたため、 月の長さは29日と30日で不規則に変動しました。 新月を観測できないときは30日を月の終わりとしました。 >>6
[5] 紀元前3世紀頃には1太陰月 = 29.53059日とかなり正確な値で運用されていました。 暦法及時法
[19] 季節変化と月を合わせるため閏月が置かれました。 >>6
[20] 最初は紀元前2400年頃に、 大麦の収穫が年始頃となるよう置かれました。 >>6
[21] 紀元前1000年頃に、 年始に月がプレアデス星団に近接するように置かれました。 >>6
[22] 紀元前500年頃に、 19年周期とされ、 Adaru II が3、6、8、11、14、19年目、 Ululu II が17年目に置かれることとなりました。 >>6
[4] 第六月または第十二月の後に閏月を置きました。 閏月の実施は、政府職員の天体観測の結果により布告されていました。 暦法及時法
[6] JIS X 7108:2004 D.3.3 は古代バビロニア暦について例示しています。
[23] 附属書D表6はネブカドネザル2世時代のバビロニア暦の記述例を次のように示しています。
TM_Calendar
J = JY + INT ((M - 1) × ) + D - 1
N = Y 年の月数
Y = Nisanu 月第1日のユリウス日が J より小さな最大値であるような年
M = INT ()
D = J - JY + 1 - INT (M ×
TM_CalendarEra
TM_Period
[18] ネブカドネザル2世の最初の10年は次のような暦でした。 >>6 附属書D表5