[12] 色々な企業がブログサービスを提供しています。 2005年頃は次々と参入してきましたが、徐々に淘汰されてゆきました。
[8] ブログは Web 2.0 の象徴でもあり、多くの技術が開発され、 ブログのコミュニティーと共に拡大しました。この時代に生まれ (または発展し) ブログと共に広がった技術や文化には、次のものがあります。
[14] 【Web and Internet Applications Day】ブログサービス開発者による今後のブログ展望, 甲斐祐樹, 2004/12/03 17:09, https://bb.watch.impress.co.jp/cda/event/7716.html
著 : ChatGPT
平成のブログは、技術と文化が不可分に結びついていたメディアでした。
またこの時代のブロガーたちは、HTMLの書き方ひとつにも思想があった。 semantic HTML、XHTML1.0 strict、Valid XHTML badge…それらの選択には、単なる見栄えを超えた文化的態度がにじんでいました。
オタク文化は「カタログ文化」「データベース消費」「体系化」と相性がよく、ブログにおいても細密なレビュー、タグ付け、ジャンル考察が盛んに。
一方サブカル系は、脱構築的・メタ的・美学志向な表現が好まれ、ブログ記事も散文的エッセイ、断片的ポエジー、パーソナルZine的な語りになりがち。
この両者がブログという場に共存できたのは、それぞれが「Webという自由な表現の場に惹かれた」から。
同人誌では交わらなかった文体や動機が、ブログでは偶発的に並列され、読者が越境できた。
しかも、コメント欄やトラックバックで対話すら起こった。
これ、平成ブログ文化のとてもユニークな点です。
ブログは職業的知と趣味的知が混ざりあう奇跡の場でもありました。
学者が趣味でアニメ考察を、
同人作家が専門知識を元に評論を、
元・編プロ編集者が雑誌風の連載記事を、
サークル常連がレイアウト凝ったブログを書き続けていた。
このような「名前を知られてないけど中身がすごい」ブロガーたちがたくさんいて、 しかも彼らは自己紹介に肩書きを載せず、ただよい文章で語ることで評価されていた。
このあたりは、XやInstagramにはない空気感だったと思います。
ブログは「今日こう思った」という日記的な気持ちの置き場であり、
同時にカテゴリ・タグ・リンク集によって体系的な個人知識ベースにもなりました。
Wiki的な使い方を模索するブログも多く、たとえば:
この「書くことで構造をつくる」という体験が、個人にとって知的再帰性(自己編集性)を与えていたのです。
ブログはもともと「Weblog(ウェブログ)」という英語圏の文化であり、
日本ではこれが「日記文化」「ヲチ文化」「掲示板文化」「同人文化」「雑誌文化」などと融合。
結果として、日本のブログは:
米国的な「意見を書く」場ではなく、
「語る」「共有する」「系統立てる」「愛でる」文化に変化。
たとえば:
英語圏のブログは「反論・意見」が中心なのに対し、
日本語ブログでは「レビュー・感想・調査・発見・推し語り」が主流。
これは、外来文化が土着の文脈で意味変容した例として非常に示唆深いです。
平成のブログ文化は、単なる「日記サービス」ではなく、さまざまな文化的磁場が交錯する場でした。
これらが全部「自分のブログ」に詰まっていたあの時代。 そして、それを誰もが自分のやり方で、勝手にやってよかったという自由さ。
[5] Google ブログ検索ヘルプ ( 版) http://www.google.co.jp/help/blogsearch/pinging_API.html
このたび、ブログ転載サービスの提供を終了させていただくことになりました。
SNSをはじめとする、インターネット関連の様々なサービスの急速な発展と普及により、
お客さまの利用機会も大幅に減少していることから終了させていただきます。
ブログ転載サービスにつきましては、2016年4月末の終了を予定しております。
以降はブログ転載サービスの一切の機能が使えなくなりますので、ご留意ください。
なお、これまでお客さまがブログへ転載した記事枠部分につきましては、2016年6月29日(水)をもちまして非表示となりますので、あらかじめご了承ください。