NAM

NAM

[31] ホーチミンによる第49号臨時政府主席勅令で、 公文書保大のかわりに「ベトナム民主共和国元年」 の紀年法を使うよう命じました。 >>196

[32] ということは建国からこの指示までは保大がまだ使われ続けていたのでしょうか。 それとも西暦干支など他の紀年法が使われていたのでしょうか。 それとも既に実施されていた慣習に正式な法的根拠を規定する目的の発布でしょうか。

[2] 元号 - Wikipedia ( 版) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%8F%B7

しかし、1976年までの旧北ベトナムにおいて、寺社などの建築物の棟札・扁額や祈祷文などに見られる漢字テクストの中には1945年を元年とする「越南民主共和」と干支を非公式に使用した例があり、また、1946年発行の2ドン(đồng)銅貨にも西暦とともに1945年を元年としたnam II(2年)という表示がある。

[14] Vietnam First Issue 1945-1946, , https://art-hanoi.com/collection/vncoins/first.html#km4

貨幣。ある面に「1946」、逆面に「NAM II」 (y~329)

NAM II = Second year (?)

Wikipediaの出典はこのサイト。

[3] 北ベトナム・ドン - Wikipedia, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%B3

「NAM II」という表示が確認できる。反対面には「1946」と書かれている。

[15] 同時代の他の貨幣には西暦年はあっても NAM はない。 Web検索でも「NAM I」や「NAM III」は見当たらない。

[4] Wikipedia は「非公式の紀年法」「私年号」とするが >>1、 政府の硬貨に書かれた私年号とは何事か。 まさしく公年号だろう。 棟札祈祷文はまだしも、 扁額に使われているのを「非公式」と判定した >>2 理由は何か。

[5] ベトナム漢喃研究所の古醫籍書誌 (mayanagi makoto著, ) http://square.umin.ac.jp/mayanagi/paper01/hannom.html

奥附に「越南民主共和拾柒年一九六二貳月日/珠江公平/陳文逢承抄/家數第肆拾柒號在河城行□庯/檢閲阮克昌記」を墨書。

[6] ベトナム漢喃研究所の古醫籍書誌 (mayanagi makoto著, ) http://square.umin.ac.jp/mayanagi/paper01/hannom.html

八一葉ウラに「道光初年」の記述あり。書末に跋なく、識語に「越南民主共和拾柒年一九六二貳月貳拾五日/檢閲阮克昌/阮晉明/珠江公平陳文逢承抄/家數第肆拾柒號在河城行□庯」を墨書。

[7] ベトナム漢喃研究所の古醫籍書誌 (mayanagi makoto著, ) http://square.umin.ac.jp/mayanagi/paper01/hannom.html

書末に「越南民主共和拾柒年(一九六一)正月日/河城首都中央科學書院鄧春卿承抄/依正本在四民醫館書院/檢閲/阮克昌/阮晉明」の識語。

[8] ベトナム漢喃研究所の古醫籍書誌 (mayanagi makoto著, ) http://square.umin.ac.jp/mayanagi/paper01/hannom.html

阮德旺・陳文逢抄於越南民主共和國十七年(一九六二)。

末尾に「越南民主共和拾七年(一九六二)歳次壬寅/貳月/初拾日/檢閲阮克昌(越南民主共和…三月二十六日)珠江公平陳文逢抄/家數第肆拾柒號在河城行□(字喃)庯」の識語あり。

前者は中文訳。その編者が「国」を補ったものか?
[9] ベトナム漢喃研究所の古醫籍書誌 (mayanagi makoto著, ) http://square.umin.ac.jp/mayanagi/paper01/hannom.html

書末に跋なく、「越南民主共和拾柒年(一九六二)月日/河城首都中央科學書院鄧春卿承抄/依正本在四民醫館書院/檢閲/阮克昌/阮晉明」の識語を記す。

[13] 「拾柒年(一九六一)正月日」の1例が17年 = 1961年としている (y~329) のを除き、 17年 = 1962年 (y~2180)。1年のずれがある。

[10] 元号 - Wikipedia () https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%8F%B7#%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%A8%E6%9D%B1%E5%8C%97%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%80%81%E6%9D%B1%E5%8D%97%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2

また、元旦節や清明節、春分節などの伝統節日の紀年においては、公元(西暦)ではなく旧暦と同期した「共和社会主義越南紀元」が、サイゴン解放・南ベトナム革命(1975年)の翌年(1976年)以降、現在に至るまで非公式に用いられている。1976年 = 共和社会主義越南三十二年であり、元年 - 31年までは観念上の存在であって遡及的に使用される。共和社会主義越南紀元は、厳密には国号とイデオロギー口号(こうごう、スローガン)を合わせたものであって、紀元でも元号でもないが、ローマ字やキリスト紀元(西暦)の使用が憚られる宗教建築ー村落集会所(亭)や寺、廟、族祠の棟札などには、原則として漢字(及び喃字、チューノム)と漢数字で、阮氏大南帝国時代の元号(年号)のように使用されている。実際にはローマ字や算用数字で書く場合もあり、共和社会主義越南紀元の代わりに干支と陰暦(旧暦)による紀年が用いられる場合もあって、その使用は必ずしも絶対ではない。共和社会主義越南紀元の観念上の元年は、1976年以前に旧北ベトナムの亭、寺、廟、族祠などで非公式に使用されていた越南民主共和紀元と同じ、八月革命の年、1945年である。

[11] 30040_Dissertation.pdf, https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/70708/30040_Dissertation.pdf#page=20

・『諒山七族土司家譜』

冒頭に「越南民主共和二十五年十月日」とあり、1970 年に作成されたことがわかる。

y~2180

[16] 越南民主共和9年(1953)纪念精美手抄汉字古籍书《陈朝显胜讃文献礼科》_孔夫子旧书网, http://mbook.kongfz.com/18538/387786399/

y~329

商品名以上の情報なし

[17] 4023003104.pdf, http://nhuir.nhu.edu.tw/bitstream/987654321/27576/1/4023003104.pdf#page=10

いずれも y~329。出典文献中に根拠 (例えば干支年併記) があっての換算なのかは不明。

[24] >>17 の論文は干支年の特定を避けていますが、 仮に20世紀頃とすると次の年に当たります。 帝国滅亡後やむなく干支年を使ったかもしれないと思いましたが、 そうとも言い切れない (60年前、120年前かもしれない) ようです。

[30] 乗後景さんはTwitterを使っています: 「今年の干支は辛丑なので越南民主共和辛丑になるのかとふと思い出しました。ベトナムの廟で年を使わず越南民主共和丁酉なんて古風な書き方なのを見て中華な伝統の根強さに感心したものです。ただ元号と違ってずっと続くとなると建国から60年過ぎてしまったのでどんどんややこしくなりますけれども。 https://t.co/HPapibUjaK」 / Twitter, 午後4:37 · 2021年2月13日, , https://twitter.com/jougokei/status/1360493366518063104/photo/1

丁酉は,

[33] 関連: ベトナム共和国